エピローグ――やっぱりそれでも平和な日々のお話〜






 サッと窓から差し込んた眩い陽光が、俺の瞼を焼いた。


「……っぅ」


 海底から掬い上げられるように意識が覚醒に導かれ、目を開いた。

 ぼんやりとハッキリしない思考の中で、何気なく上半身を起こそうとする。

 しかし、体にまとわりついた重りのような何かに戸惑って、俺は自分がどんな状況で寝ていたのかを再確認した。


「……」


 俺はかなり大きなベッドの中心に体を寝かせており、そんな俺を囲むようにしてアリア、ソフィア、エレナの三人が俺に抱きついている。

 三人はまだ眠っているが、抱きしめる力が強過ぎて、暑苦しくも息苦しい。

 乱れ切った彼女たちの寝間着から覗く白い肌と、触れ合う肌の柔らかさを再確認しながら、俺はもう一度体を寝かせた。


「……ぁぁ、そっか」


 得心したような低い声が口からこぼれ出る。

 

 ここはソフィアの家で、とにかく本当に色々あって、無事、これからはここで四人一緒に暮らすことになったのを思い出した。


 ――俺は、やり遂げたのだ。


 



「あっ、あっちに面白そうなのがあるよっ」

 

 活気と喧騒が取り巻く大通りの雑踏をかき分けるようにしてエレナが元気よく走っていった。その愛らしい顔立ちに、嘘偽りない弾けるような笑顔を浮かべて。

 

「もうっ、エレナちゃんそんなに急ぐと転んじゃうよ」

「ほら、ウィル? いこっ」


 一人興奮して先を急ぐエレナのあとをソフィアとアリアが早足で追う。俺もまた、アリアに手を引かれる形でそれに続いていた。

 エレナを追うソフィアとアリアの表情もまた、とても楽しいそうで、そこに嘘偽りは見当たらない。


 ここは王都中央通りの商店街。

 俺たちはこれからの四人の生活に必要なあれこれを買い揃えに来た感じだった。

 移動はソフィアの転移魔法で一瞬だった。本当に助かることである。


 賑々しくも騒がしい人混みに紛れて、俺はアリア、ソフィア、エレナの三人と歩く。


 俺は一歩引いた形で、彼女たち三人の様子を観察していた。


「ねっ、この服ってアリアちゃんに似合いそうじゃない?」

「そうっ? あたしはソフィアちゃんの方が似合うと思うけどな」

「えー、私にこんな可愛らしいのは似合わないよー」

「エレナは、こっちのが可愛いと思う! ねぇっ、ほらほらっ、お姉ちゃんアリアちゃんっ」

 

 そんな仲睦まじい三人の様子を、俺はどこか信じられない気持ちで眺めていた。

 だって彼女たちは、つい先日には本気で戦っていたのに、だ。その根本たる原因になってしまった俺が言うことではないと思うが。

 むしろこれは喜ばしいことであり、俺が心から願った光景なのだ。

 俺が見たかった眺めだ。


 何十年来の親友みたいに楽しくはしゃぎ合って、笑顔を弾けさせる彼女たち。

 その中に偽りなんてどうやったって探し出せそうにない。


 だがあんな目にあったんだ。彼女たちを信じたいと思っても、どこかで疑う気持ちが生まれてしまう。


「ねぇねぇねぇっ、お兄ちゃんも見て見てっ、エレナにこれ似合うと思うっ? かわいいっ?」


 服飾が並べられた露店の前で、一つの服を体に当てて俺に見せてくるエレナ。

 年相応の無垢な元気ありあまる表情で笑いかけられる。

 その無邪気な姿は、どこを取っても本当に可愛い。


「あぁ、かわいいよエレナ。ホントにかわいい」

 

 明るい茶色の髪を撫でると、エレナは「えへへっ、」と満足そうな声を上げて俺の腰に抱きついて来た。その拍子にエレナが持っていた服がくしゃくしゃになり、店主のおばさんが思いっきり顔をしかめる。

 すみません、ちゃんと買いますから。


「えへへ……、かわいい、エレナかわいい……」


 エレナが蕩けたような笑みで、ぎゅうと俺の腰から手を離さない。


 すると、その光景をすぐそばで見ていたアリアとソフィアが張り上げるような声で言った。


「ウィ、ウィルっ、あたしのはっ? あたしのはどう思う? かわいいっ?」

「ウィルくん、ウィルくん。ほら、お姉ちゃんも可愛いと思うんだけどなーっ」


 どこか必死なアリアと、チラチラチラと熱視線を送ってくるソフィア。

 そんな二人も、言うまでもなくたまらなく可愛かった。

 誰にも渡したくない。


 ふと、俺は思った。


 こんなにも上手くいっていいのだろうか、と。





 迷子になった。


 こんなに多くの人々が行き交っているのだ。それも仕方ないだろう。

 大通りの中途に見世物がやっていて、それを見ようと集まって来た人の集団に飲み込まれて、彼女たちを見失った。


 きっと今頃、彼女たちは死に物狂いで俺を探しているだろう。

 想像ができた。

 彼女たちは、もう俺に『盗感魔法』すなわち盗撮盗聴まがいのことはしないと宣言していたからだ。

 こんな激しい往来では、一度逸れると中々再開できないだろう。


 俺は人混みを避けるようにして、通りの端っこを進みながら声を張り上げる。


「アリアーっ! ソフィアーっ! エレナーっ!」


 そんな俺の大声も、何重にも重なった喧騒に呑み込まれ、大した意味を成していなさそうだった。

 まいったな……、どうしようか。

 しかし他にいい案が思いつくわけでもなく、俺は変わらず声を上げながら、人混みの中に目を凝らし、通りの端を歩く。


 そして、ある時に不意に、彼女たち三人の誰かの声が聞こえた気がして俺は耳をすませた。

 すぐに、その声が活気溢れる大通りとは逆の、薄暗い路地裏の方から聞こえてくることが分かった。


「…………っ?」


 訝しげに思いながらも、他に頼るものもない俺は路地裏を進んで言った。

 そこは賑やかだった商店街がウソのように静まっていて、薄暗い。遠くの方からはまだ喧騒が聞こえてくるが、それもどこか違う世界のものに思えた。

 人気が薄い。


 歩みを進める度、先程聞こえた声はハッキリと聞こえるようになり、俺はあることに気づいた。


「……違う」


 その声は、女性のものであることは確かだが、アリア、ソフィア、エレナのうち誰のものでもなかった。

 そして聞こえてくる声はその一つではなく、軽薄そうな男の声も響いていた。


「な……? 別にいいだろ、いい加減諦めた方が身のためだぜ?」

「い、いや……! やめてください!」

「ちょーっと俺と一緒に来てくれるだけでいいんだから、な?」

「だからっ、わたしはさっきから断って……っ」

「おいおいおい、そこまで強情だと、マジで痛い目見るぞ、あ?」


 角から顔をのぞかせると、そこには壁の隅に少女を追いやって、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている若い男がいた。

 少女の方は一目見てわかる整った端正な顔立ちで、十人いれば九人が美人と答えるだろう。

 対する男は一目見てわかる調子に乗り切った不良だった。

 何が行われているかは明白だった。


「……」


 俺は一瞬考え込む。

 まさか、ここで踵を返して逃げるのは人情に反するだろう。


 正直言ってかなり怖いが、多分大丈夫だと思う。

 俺は魔法を使える。周りにいる彼女たちが凄すぎて実感がわかないが、一般的には魔術をまともに扱えるだけでも、そこそこ凄い。そういう認識のはずだ。


「いいから大人しくしろって――」

「きゃ、ぁあ!」


 いよいよしびれを切らした男が強硬手段に出ようとして、少女は涙目で恐怖を顔に浮かべて叫ぶ。

 そこに俺は割り込んだ。


「ちょっと待った」


 男の腕を掴んで、こちらに振り向かせる。


「あぁっ? なんだテメェいきなりよぉ!」


 ガッと男に胸ぐらを持ち上げられて、首元がしまる。

 体がわずかに浮き上がり、息苦しくなる。


「……」

「おいおいおい何とか言えよテメェ。何のつもりだ? まさか俺に――」


 それ以上の言葉を彼は紡げなかった。


 俺が予め魔力を丁寧に編み込んで作り上げていた特製岩石が、宙空から落ちて来て脳天に直撃したからだ。


 ガスッと嫌な音がして、男は地面に倒れ伏す。動かない。気絶したらしい。


「勝った」


 まさかこんなにあっさり行くとは。保険も用意してたんだけどな。

 よくこんなので強行ナンパに出ようと思ったものだ。相手に選んだのが彼女たちの内の誰かだったら即死してたぞ。


 俺は、隣で震えていた少女に声をかける。


「あー、大丈夫か? 助けられてよかった」


 すると、少女はそのつぶらな瞳を大きく見開かせて、倒れた男と俺を交互に見やる。

 次の瞬間、少女は俺に抱きついて来た。


「――――っ!?」

「こ、こわかった……っ、こわかったです……っ!」

「わ、わかった。分かったから、ひとまず落ち着こう、な?」

「わぁぁぅぅ……っ、うぅぅ……ッ、ありがと……、ございましたぁ……っ! わ、わたし……っ」


 泣きながら、ぎゅうとさらに強く抱きしめられる。


 待って待って待って待って、待って、ダメ、これはダメだ。ヤバイヤバイ、色々とヤバイ。


 頭の中で警鐘(アラート)が大音量で鳴り響いていた。今すぐこの少女を引きはがして、この場を後にしろと、全力で叫んでいた。

 この状況は本当にまずい。

 こんな路地裏に彼女たちがこんな絶妙すぎるタイミング現れる可能性なんてほとんどないだろう。それこそ、『盗感魔法』を使わないとそんな偶然ないだろう。

 それでも、決してあり得ないとは言えない。

 これはマズイ。この状況はマズイのだ。

 

 俺は何とか彼女の肩に手を置いて、力を込めて引きはがそうと――……、

 待て、この子チカラ強すぎだろ。男としての自信を失いかけるわ。


 ぐすぐすと鼻を鳴らして涙を流す美少女の顔が、目の前にあった。


 か、かわいい……ッ!


 って、そうじゃないだろ!!


 俺が全力で自分に突っ込んだその時だった。


 俺は、それに気がつく。


「――――ッツ!!!?」


「ふ、ふざ、けんなよ……、っ、」


 気絶したはずの男がフラフラと起き上がって、少女の肩越しに俺を睨みつけていた。

 少女はそのことに気付いていない。


 男は頭を押さえながら、一歩俺に距離を詰めて、俺に殴りかかろうとしてくる。

 もちろん万力のようなチカラで少女に抱きつかれている俺に逃げ場はなかった。


 このまま、何も起こらなければ、彼の拳は真っ直ぐに俺を撃ち抜くことだろう。


 俺は、男を見て、思いっきり叫んだ。


「馬鹿野郎ッ、はやく逃げろ!」


「――はっ?」


 瞬間、男が文字通り吹き飛んで、俺の視界から消え去った。悲鳴すら残さない。


「………………」


 お、遅かったか……。生きてるかな、あの人。

 俺は、いつの間にか目の前にいたアリア、ソフィア、エレナを見ながらそう思った。


 彼女たちは、驚くほどいい笑顔で、美少女に抱きつかれる俺を見ていた。


 ――俺は死を覚悟した。



 


 場所は先程と変わらない路地裏。

 ここにいるのは俺とアリアとソフィアとエレナ。

 俺は硬い地面に正座して、俺を囲むように立っている彼女たちを見上げた。


 俺が助けた美少女は、もうここにはいない。今さっき、ここから逃げるように離れていった。泣き叫びながら。

 俺に抱きついていた時のようなすすり泣きではなく、泣き叫んでいた。

 その間に何があったのか、それを正確に思い出すのは少々憚られるので、ここでは割愛する。


 それはともかく、反射的に地面に正座した俺は、彼女たちの言葉を待っていた。


「……」


 心臓が痛い。張り裂けそうだった。正直俺も泣き叫びながら立ち去りたい。

 

「ウィル、は、」


 静寂の空間の中、最初に口を開いたのはアリアだった。

 そこで俺は顔を上げて彼女たちの顔を見る。


「――――」


 そこにあった彼女たちの表情は、俺の想像とはかけ離れていて。どこか寂しそうであり、悲しそうなものだった。


「ウィルは、あたしたちのことが好きって言ってくれたよね」

「……あ、あぁ」


 俺は頷く。


「それってさ、あたしたちに遠慮してとかじゃ、ないんだよね?」

「……え、は?」


 一体何を言ってるんだ。


 俺が首を捻っていると、今度はソフィアが口を開いた。


「あのね、私たち、ちょっと考えてたの。私たちウィルくんにあんなことしたのに、ウィルくんは本当にそんなことはもう気にしないで、好きって思ってくれてるのかな、って」


 ソフィアは不安そうに言った。


 しかし、そこで俺は気づくことができた。

 

 ――あぁ、彼女たちも同じだったんだ、と。


 俺はこのどこか上手く綺麗にことが運び過ぎているような状況に、小さな疑問と違和感を感じていた。

 それは彼女たちも同じだったのだ。


 それが分かった瞬間、もやもやと心の中にあった何かがスッと消えていくのを感じた。


 あぁ、きっと大丈夫だ――と。


 だから、俺は確信を持って真っ直ぐな視線を彼女たちに向けて、口を開いた。


「そんなの何も関係ない。アリアとソフィアとエレナ、俺は三人が好きだから好きなんだし、今になってそれは変えようがない。だから、大丈夫だって」


 そんな俺に彼女たちは小さく目を見張ったが、やがて小さく笑った。

 まず一番にエレナが俺に抱きついてくる。


「うぅ……、うぅ……っ、お兄ちゃんっ、大好き……っ」


 俺はそれを受け止めて、エレナを撫でる。

 顔を上げると、そこにはにこやかなアリアとソフィアの顔があった。


「うん、ウィル、大好きだよ。でも、さっきみたいなのは、あたし、あんまり見たくないなぁ」


「ウィルくんは優しいんだね。本当に、優しいよ。だからそんな優しいウィルくんが、他の女の子にさっきみたいにまとわりつかれてるの見たら、私どうなっちゃうか分かんないから気をつけてね?」


 ニコニコと明るい二人の笑顔に、心身がゾクリと縮み上がった。

 

 やっぱり、そう簡単に本質が変わるわけではないよな……。


 ――絶対に何があっても浮気はしない。


 本当に心の底からそう決心して、俺はこの先の明るいのか黒いのかよく分からない念願のハーレム生活に思いを馳せたのだった。

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異世界でモテモテハーレム目指したら大変なことになった 青井かいか @aoshitake

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