第9話:輪の決別


そして、図書館で時間を潰した後。


舞も着いてくる約束だったので、輪の住んでいるマンションまで連れてきた。


明るい色のフローリングにややクリーム色がかった壁紙、いたって普通のマンションに過ぎない。

無論、高級マンションではなく築十七年の新しくはない物件。

狭いキッチンでお茶を淹れながら、輪の母親が帰宅するのをじっと待つ。


「何だか・・・・・・ここにいると緊張するわね」


「俺だって緊張してるよ。それに友達だって言って信用されるどうかだよな」


「・・・・・・べ、別に彼女を名乗っても構わないわ」


「その方が話は早いけど、とりあえずナシで頼む」


ただの友人を母親に会わせようと待っていたと信じる方が少数派だ。


それならば恋人と名乗った方が手っ取り早いのだが、出来ればその手段は取りたくない事情がある。

単なる男のプライドに過ぎないが、今の輪は『舞の気持ちを察してはいるものの告白は未実施なので保留』状態だ。

都合の良い時だけ恋人扱いにしてもらうのは何とも虫が良過ぎる。



そして、ついにガチャリと玄関の鍵が開く音がした。



ついに現実世界におけるラスボス、逆無未華さかなし みかの帰還である。

久しぶりのせいで、顔を合わせるにも若干の気まずさを感じる。


「あら、輪?もう帰ってたんだ」


肩で切り揃えた茶色がかった黒髪、舞の母ほどではないが見た目も話し方も客観的に見れば年齢の割には若い方だろう。

現代魔術師に関わるの大人は何故か、年齢より見た目が若い人間が多かった。


「久しぶり、元気してた・・・・・・みたいじゃん。彼女連れ込んでるくらいだし」


「彼女じゃねーって。学校と部活が一緒なんだよ」


「ま、結婚するならその時に紹介してくれればいいよ。それで、何を待ち構えてたわけ?」


にやあっと愉し気な笑みを浮かべる母親から目を逸らして輪は否定する。

母親と全く会話が出来ないこともなく、向こうも口数は決して少なくない。

むしろ口が軽めで会話も振ってくるが、親子の問題の根っこには輪の方が母に抱く複雑な感情がある。


もう何年も、親子らしいことはしていない。


最初は毎日帰っていた母が帰らなくなり、代役で通っていた親戚も輪が一人で生活できるようになってからはそれもない。


誰もいない家で食事をすることも増えて、他人が家族旅行だの家族との団らんに言及するたびにウチは事情があると自分に言い聞かせた。

たまに、母から電話をしてきたり帰ってきた所で何も変わりはしない。

そんな引け目があったから、クラスでの話題に深入りできなかった。


優しくて力強かった父親が生きていたら、と思わないようにしていたのだ。


「ああ、実は頼みたいことがあるんだ」


引き延ばした所で結果は変わらないだろうし、アスガルドに行く問題は早めに片付けておきたい。

だから、返ってきた言葉を聞いた時には複雑な気持ちだった。


『一月ほど学校を休みたい』と話した答えは予想通りか予想外か難しい。


「いや、ダメでしょ。私は確かに母親を堂々と名乗れることしちゃいないけど、アンタを学校に行かせてやれるように働くって最後の一線は保ってるつもり」


スマートフォンの画面を操作しながら、どこか上の空に見える母親は輪の申し出を常識的に否定してきた。

普通の親なら鷹崎家のようにあっさりと行くはずがない。


世間体、子供への愛情、様々な要因で一月もの間を行方不明になろうとしている子供を行かせる親はいない。


舞の場合は事情が事情だが、逆無家は魔術書もないマンションに住む一般人だ。

アスガルドに行くと正直に言えないせいで、彼女は実の子の申し出をあっさりと突っぱねたのだ。


「そうかよ、でも・・・・・・俺は行かなきゃならないんだ」


別にそんなものは無視してしまえばアスガルドに行く輪には関係ない。

だが、ここまで一人で育ったわけでもなく、周囲の人間にしっかりとケジメを付けてから戻るべきだと思った。

実際、舞は苦手な母親相手でも逃げなかったのだから。


どんなに気に食わなくても親子なのだと思いたかった。


居場所は言えないが遠くで舞の一家と過ごす、稚拙で何の説明にもなっていない理由で説き伏せられるものか。

でも、アスガルドに行けば永遠に会えない可能性だってゼロではない。

一月という期限だって守れない可能性も十分にある。


だから、今だけはプライドを捨てて頭を下げる。


「悪いことに巻き込まれてるわけじゃない。だけど、頼む。行かせてくれ」


これを断られれば輪は家族の縁を振り切って旅立つしかなくなる。

少なくとも失踪しても事件性がないことはこれで解って貰えるだろうし、最低限は伝えることができた。


「場所も言えない、目的も言えない、でも学校休んで行かせてくれって?随分とふざけた言い分じゃない?」


じろりと冷ややかな目で睨み返されているのを感じる。

いかに面倒を大して見てないとはいえ、保護者という立場からすれば当然の言い分で反論の余地はない。


でも、それでも。


「・・・・・・頼む、俺は行かなきゃならないんだ」


頭を下げたままで、みっともなく懇願する。

結局、何も説明は出来ていないし母親を甘く見ていたのも反省しよう。

だとしても、このまま黙って旅立つのが決して正しいとは思えなかった。


「随分と父さんに似てきたね。ろくに理由も話さない癖に誰かの為に必死になってる、そんな人だったよ」


苦さや懐かしさを少しずつ顔に浮かべると、やれやれと言いたげに逆無未華は肩を竦めてみせた。

理由を幾ら聞いても無駄だし、否定しても息子が旅立つことを察する。

母親の判断として異常だと理解しながら、彼女は輪の目を真っ向から見つめた。


「誰よりも真っ直ぐだった父親に誓って、犯罪に関わらないって言える?」


「ああ、どれだけ信用ないんだよ」


久しぶりに真っ向から親へと向き合った輪は捻くれた返答をしながらも、真っ向からその瞳に挑む。

そして、しばし向き合うと未華は興味を失ったように携帯画面に目を戻す。


旅立つ息子に送られた餞別は一言だけだった。



「自分に恥じないようにやってきな、バカ息子」



輪は久しぶりに母親の心の底からの笑顔を見た気がした。

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