第5話:立つ鳥の跡


「言い切るということは根拠があると考えても?」


わずかに目を細めて浅海は輪に真っ向から目線を返す。

美人だけにその威圧感もそれなりのものだが、委縮しかねない闘志を叩き付けてくる美人とは先日に刃を交えたばかりだ。

良くも悪くも図太さはあった輪がアスガルドに行ってからというもの、土壇場の度胸は格段に磨かれている。


逃げ出してもおかしくない状況で、勝敗はともかく戦い抜いた経験は明確な自信となって根付いていた。


「言い切る根拠は……お母さんから魔素マナの気配を感じたからです」


普通は日常的に魔導士の気配を感じるわけでもない。

サーシャに一時的に反応を示した時のように、内部の文字盤が魔術を欲するのか唐突な反応を示すことがある。

浅海と顔を合わせた時、何故かわずかに魔素の気配がした。


現代に存在する魔素はわずか、人体から感じるのなら魔術のことを全く知らないという理屈は通らない。


「知らないと言うのなら、これ以上は追及しないわ。でも、返事はどうあれ私はアスガルドに戻る。それを伝える為に戻ってきたのよ」


舞がその後を引き継いで、アスガルドの件を付け加える。

ただ問い詰めるだけでは母親が何も言わないと判断し、舞が再びこの世界から消える事実を突き付けたのだろう。


「……まさか、舞がそんなことに首を突っ込んでいたとはね」


浅海はため息を吐くと観念したように呟いた。

これ以上はしらを切っても意味がないことに気付いたのかもしれない。


「じゃあ、母さんもアスガルドに?」


「私は頻繁には行ってないけどね。あそこに行ける力を持っていたのはあの人だったから。『一番繋ぎ易い』と言ってたわ」


浅海は懐かしむように視線を異世界の風景に飛ばし、素直に全てを語り始める。

同時にその発言で、本来ならアスガルドに繋がる保証がなかった転移が複数回に渡って成功した理由が判明する。

アスガルドには舞の魔術を引き寄せる要素があった、それだけだったのだ。


「私はあの人ほど詳しくない。ただ、わかっていたのは舞が魔術の才能を持っていることだけ。舞が成長するにつれて、怯えていたわ。この子が使おうと思えばいつでも人を傷付けられるって」


「………っ!!」


「私には大した魔術の才能はなかったから余計にね。私は、あの人を夢中にさせた魔術なんてものは消えてなくなればいいと思ってる」


舞は唇を噛んで俯いたが、何も反論はしなかった。

魔術がどれだけ危険かは理解しているし、そんなものに夢を見た父親が家庭を疎かにしたことは想像が着く。

普通の人間からすれば魔術の才能がある他者など気味が悪いだけだ。


「アスガルドに戻ってどうするの?この世界では生きにくいから、向こうで幸せになろうとする?断言するわ、そんな気持ちじゃ向こうでも同じことになる」


「違うの、私達は―――」


ここまで来れば魔王に閉じ込められたことを言わざるを得なかった。

舞は端的に魔王の力に巻き込まれたことを話して聞かせるが、それでも浅海の表情は全く変わらない。

アスガルドへの転移で度胸が磨かれたのは母親も同じことだ。


「事情はわかったけど、さっき言ったことを取り消す気はない。今まで何もかもから逃げてきた舞がやり直しても何も変わらないでしょう。戻る方法を模索するかどうかは任せるから」


要するに、逃げたいのならアスガルドに残れと浅海は言っている。


逃げてきた、といえば他者から見るとそうなのかもしれない。

母親との交流を諦めて、友人を作ることも諦め、踏み出した先も同じ魔術師だと確証がある輪相手だけだった。

常に前に進みながら生きている人間に比べれば、その歩みは停滞していると言われても完全に否定は出来ないのかもしれない。


だが、輪だけはそれを否定してはならない。


アスガルドに行く前にも、自分に出来ることをしようと歪みを閉じ続けた。


今だって自分に出来る精一杯を模索する、彼女の小さくとも確実な歩みを否定なんて出来るはずがない。

何もしていない、と肉親に言われる舞を見ているのが耐えられない。


「舞は……変わらないままなんかじゃありません」


溢れる気持ちを抑え込み、低い声を絞り出す。

相手は舞の母親だし、ずっと年上なので礼儀を弁えるべきなのは理解している。

それでも、今は真っすぐにぶつかる時だ。


「舞は変わろうとしてる。俺に声を掛けて、アスガルドでは友達も出来て。こっちに戻ってきても人と話をしようと頑張って、少しは出来るようになった。こいつなりに前に進んでるんです」


「それは普通の人間なら学ぶこと。今まで逃げてきたツケを少し払っただけで称賛されるのは理屈が立たないでしょう。だから、アスガルドで上手くやれる自信があるなら好きにすればいいと言っているだけよ」


母親でありながら娘に一生会えなくてもいいと、逃げるならそのままでいいと諦めるようなことを言い放った。

理解のあるセリフに取れなくもないが、それは許されるラインを超えている。

沈んだ表情の舞を見て、輪の中で何かが切れた気がした。


堰を切ったように内側が熱いもので満ち溢れていく。


「……本気で、言ってるんですか!!ここじゃない世界に戻るって言ってるんですよ!?」


拳を握り締めて、無礼と言われても仕方のない語気で言葉を叩き付ける。

肉親に歩み寄れなかった自分の過去が浮かぶのを熱で塗り潰そうと、ただ真っすぐに言葉をぶつけた。


「どうにもならないでしょう。私は仮に戻れないならと助言をしているだけ」


「こいつは逃げてもいないし、この世界に戻るつもりでアスガルドに行きます。そして、必ず成長した姿をお母さんに見せる。母親とはいえ、娘を過小評価しすぎじゃないですか?」


「……随分と言うじゃない。まるで貴方が責任を以って舞の面倒を見ると言っているように聞こえるけど」


さすがに気分を害したか、冷たい口調で浅海は言い返す。

舞の歩みを全て否定した発言への怒りと悔しさだけで、輪は冷たい視線を真っ向から受け止めて見せた。


舞と一緒にこの世界に戻ってくる覚悟はとっくに出来ている。


魔導院の教えは『前に進む意志を見せろ』、『結果を出すべく戦え』。

その教えをわずかな期間とはいえ受けたことで、輪の中に確実に意志は育った。


「俺は大した人間じゃないですが、舞と一緒に戦い抜く覚悟は出来てます。せめて、家族として帰りを待ってあげて欲しいんです。だから―――」


帰りを待つ人間が誰もいないなんて寂しすぎる。


情けない程に潔く頭を下げた。

舞を少しでも納得のいく形で送り出してやりたかったから、あんな舞の顔をもう

見たくなかったから。

そして、本当は家族の温もりが欲しかった輪は自分と鷹崎家を重ねてしまっていたのだろう。


「―――舞を、俺に預けてくれませんか?」


輪が繋ぎ止められなかったものを守ってやりたかった。

言葉も滅茶苦茶で、鷹崎母に全てが伝わったかどうかもわからない。


「……家族として待っていて欲しい、か」


浅海が呟いた言葉には輪が伝えたかった内容のほとんどが集約されていた。






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