第52話:乾坤一擲の風


地に伏せる刃は、どす黒い煙を纏い始めていた。


生体魔素マナ自体が黒く変色するなど普通は有り得ない。

魔素マナ魔笛ガロンとの明確な違いは、前者が『創り出すもの』に対して後者が『侵食するもの』である点だ。

周囲の魔素マナと同調することで現象を現実のものとする魔術と比べ、魔素そのものを強制的に変化・再構成させる魔笛は存在からして別物である。


生体魔素アストマナの干渉を受けた魔素を変質させるのは、過去にも例がない。


「何よ、これっ!!魔笛・・・・・・!?」


「ご名答、ことごとく聡明で何よりです」


周囲に噴き出す煙を風で吹き飛ばして回避を試みるも焼け石に水で、強力な魔笛を彼女は真っ向から吸ってしまった。

わずかであれば影響はなかっただろうが、動き続けて荒れた息を堪え続けるのは人間の構造上は不可能だったのだ。


眩暈から彼女は足を辛うじて踏み締めながらも魔術を起動する。


不覚にも魔笛を吸ってしまったとはいえ、体内の生体魔素アストマナを侵食し切る量には到底及ばない。


旋風魔術ゼフュロス・・・・・・」


「無駄ですよ、ただの魔術では私を―――」


嘲りを滲ませた声を意に介すことはなく、舐め切って真っ向から駆ける男に正面から魔術をぶつける。

彼女が最も得意とする、単純に機動力を強化するものではなく純然たる攻撃を目的とした魔術形式。


「・・・・・・第四式フォースッ!!」


この形式に関しての彼女の魔術構成速度は常人では有り得ない域に達する。

何千回以上もの反復練習が生む、咄嗟に出せる大型魔術は彼女の研鑽の証明だ。


生まれるは周囲を完全には倒壊させないように、ギリギリまで範囲を絞った竜巻状の現象。


木の破片を取り込み、最も近くの店から転がり出た椅子を容易く食い千切り、土砂を巻き上げて上空へと運ぶ。

天を衝く威容はその魔術の破壊力を如実に示す。


しかし―――


「魔術を斬れない、と言った覚えはないですがねぇ。我々は魔術に対抗する術は性質からして多いものでして」


大鎌が斬るは二度、それだけで竜巻は収縮していく。

三度目の斬撃を与えないということは、魔術をそのまま魔笛にするまでは出来ないという証左。


第四式フォースまでも容易く捌く反魔導士協会の男は、体術で戦うタイプではないサラとの相性は明確に悪いと言っていい。


今までの彼女であれば、ここで諦めていたかもしれない。


「・・・・・・ここからだっての」


胸の内には誰かから貰った火が燃えている。


本人はそこまでは気付いていないかもしれない。

サラは前に友人として庇った相手が自分を置いて、魔導院を去ったことを恨むつもりは一切ない。

嫌がらせに首を突っ込んだのはサラ自身だし、被害から逃れる為に魔導院を去る選択肢は誰しも考える。


だが、正直に言えば内心ではやり場のない気持ちがあった。


“お前は・・・・・・悪くねーよ”という言葉が脳裏に浮かぶ。


『異世界の人間となら仲良く出来るかも』なんて打算も少しはあったのに、輪は自分も辛そうな顔で言ってくれた。

実際に落ち度があったかの話ではない、その気持ちを否定しないと強い意志を示したのだ。


まだ、達観するには早いと背中を押された気がした。


こんなに熱い言葉を掛けてくれる人もいる、と心が熱を取り戻す。

今までよりも先を考えるようになった、手を伸ばすようになれそうだった。


だから・・・・・・あの二人のように前に進もう。


第四式アレが破られるなんて、予測着いてるに決まってんでしょーが」


刃で敵の進行を阻害しながら、サラは隙を晒して拳を前で握る。

その奇妙な動作に怪訝そうな顔をする男。


人間の大きな死角は頭上、その理論だけはどんな魔術を使用しても変わらない。


先程の竜巻は当てる為ではなく頭上に風を集める為に選択した魔術形式だ。

今更気付いても遅いが、まだ男は気付くはずもない。

奇妙な行動で目を引く為に、わざわざ発動の瞬間を目立つ方法で示したのだから。


「こっちも問題。あたしの魔導器ロッドは幾つでしょうか?」


「ま、さか・・・・・・!!」


焦りと共に頭上を確認した時には完全に手遅れだ。

すぐ目の前には停止したはずの刃の一つが静かに迫っていた。

魔素マナを共鳴させた操作は出来なくとも、風で強引に飛ばして操るのは不可能ではない。


それでも鎌を振るおうとした男の前に。


「だから、遅いってのッ!!」


意識の合間に間近まで突進したサラ自身が、手にした魔導器ロッド本体の柄を使って男の腕を強かに突いた。

周囲にある他の刃を警戒しながらも反撃を間に合わせる男の身のこなしは大したものだが、ただ一つだけ無警戒だったのはサラ自身の特攻だ。


遠距離で制圧する彼女の戦術には似つかわしくない愚直な突進は戦況を変えた。


辛うじて急所は避けたものの、肩を裂かれて血液を滴らせながら男は膝を着く。

サラとて男を殺すつもりはなかったので、刃が衝突するギリギリで速度をわずかに緩めたのだ。


「・・・・・・やってくれましたねえ、魔導士風情が」


声に底知れない憎悪を垣間見せながらも、男は冷静さを崩さなかった。

そして、血が滴る傷を抑えながらもしっかりとした足取りで立ち上がる。


「あんた、あんまり無理すると死ぬわよ。あたしはそこまで望んでないわ」


「生憎、そこまで繊細な体ではありませんので。それよりもアナタは後悔することになりますよ、あそこで私の首を掻き切っておかなかったことを、ねぇ」


今までとは違う種類の愉悦を滲ませ、男はクチバシ状をした仮面に手を掛けた。

それを視認した瞬間、サラの全神経が理由の解らない警鐘を鳴らすのを感じた。


あの仮面は・・・・・・外させてはいけない。


しかし、それも間に合わないと体が理解した時。



「それ以上、続けると言うのなら私が相手になりますよ」



ふわりと白銀の剣士が二人の間に舞い降りた。



「・・・・・・えっと、誰?」


敵ではなさそうな口振りと態度にサラは戸惑うばかりだった。

明らかに正規の魔導士ではないが、その出で立ちには一点の隙もない完成度と気高さすら覚える。


「サラ、大丈夫か!?」


「こっちは何とかなったわ、ありがとう」


加えて、異世界から来た二人も同時にその場には到着していた。

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