あなたと出会って、私はパンツを放り投げた。

成井露丸

あなたと出会って、私はパンツを放り投げた。

 海は凪いでいた。


 コンクリートの道を海沿いに歩く。

 通学用の履きなれたスニーカーはもう、硬質な衝撃を吸収してはくれない。

 それでも、公道のアスファルトを走り抜けた私は、弾んだ息を整えるように、海岸のコンクリートを歩いていた。


 左側には黄昏の海が広がっている。


 自転車は喫茶店に置きっ放しだ。今さっき、通い慣れた憩いの場所は、居心地の悪い空間に変わってしまった。そもそも、彼にあのお店を紹介してたのは、私なのに……。

 ずっと、好きだった喫茶店だったんだよ? 何もあの場所で、別れ話をしなくても良いのに、って思う。これからは、あそこに行く度に思い出すんだろうなぁ。


 昨日、スマートフォンに飛んできた「ちょっと話がしたいんだけど」ってメッセージに、嫌な予感はしていた。言いたいことがあるなら、いつもみたいにメッセージ送ってくればいいじゃん? だから、それは言いにくいことだったのだ。彼にとって――


 海から風が吹いてくる。

 走って上気だった私の頬を撫でていく。


 海風は嫌いじゃない。


 小学生まで住んでいた街には、海が無かった。中学に入るときに親の転勤で引っ越してきたこの街には海があった。

 始めはそれだけで興奮したのだけれど、地元の人にとっては普通みたいで、私もすぐに海があることを当たり前のことだと思うようになった。

 でも、「普通」ってことは決して、意味が無いってことじゃなくて、それが生活の一部として溶け込んでいるってこと。当たり前のもの。当たり前だから大切なのだ。


 だから、何か辛いことがあると、私は時々、この海に来るようになった。


 風が髪を攫って、私は目を細める。

 南の海は、仄かに夕日の光を受けながら、静かに凪いでいた。


 ――あれ?


 私は、桟橋の先に、人影を見つけた。

 その先端に、男の人が海に向かって立っている。


 その時。突然、その人が動いた。

 その男性は大きく振りかぶると、何かを海に向かって放り投げたのだ。


 右手から放り投げられたそれは、少し先まで飛ぶと、開き、花びらがユラユラと舞うように、海の中へと落ちていった。


 何をしているのだろう? 何を投げたのだろう?


『海に物を投げるのはよくありません』、『海はゴミ捨て場ではありません』、いつも言われるそんな注意が、頭をよぎる。


「あのぉ~。今、海に何かを放り投げられませんでしたか?」


 気付けば私は、桟橋の先に辿り着き、その青年に声を掛けていた。いつもだったら、そんなことしないのだけれど。


 彼に振られたせいで、どこかやけっぱちになっていたのかもしれない。あと、思いっきり走ったから、妙に興奮気味なテンションになっていたことも否定できない。


 いずれにせよ、私は、そのグレーのジャケットを身に付けた男性に自分から話しかけていた。振り向いた青年は、黒縁のメガネを掛けていた。身長は高くて、端正な横顔。控えめに言ってイケメンだ。ドキッとする。

 年齢はきっと私より少し上。大学生だろうか?


 でも、振り向いた彼を見た時に、ドキッとしたのは、彼がイケメンだったからだけじゃない。その眼鏡越しの瞳が、潤んでいて、確かにそこに涙の跡が見えたからだ。


 泣いて……いたのかな?


「……君は?」

 

 振り向いた青年は潤んだ瞳のままで、小首を傾げた。

 何かを投げたように見えたその右手は、今はジャケットのポケットに突っ込まれている。


「えっと。四方しかた……四方瑞穂しかたみずほ。明成高校の三年生です」


 あれ? なんで、自分が自己紹介しているのだろう? と、心の中で首を傾げながらも、私は流されるように名乗っていた。学校名を言う必要があったのかどうかは分からない。いや、不要だったと思う。でもまぁ、いっか。


「高校生か。だったら……『青春』の季節だね」


 そう言って、彼は目を細めた。眼鏡の向こう側の目は、どこか憂いを帯びていて、なんだか吸い込まれる。

 でも、その言葉には、ちょっとだけムッとした。


「――高校生だったら、誰でも『青春』だっていうのは、大人の短絡的な思考だと思います」


 私は思わず頬を膨らませた。これは条件反射。

 だってそうでしょ? 未成熟な高校生は間違いも一杯するし、教室の中は羨望や猜疑心、力関係や上下関係でめちゃくちゃだ。大人はいつだってそれを、青春だとか、そんな爽やかな言葉で、ひっくるめてしまうのだ。

 私というものがありながら、後輩の女の子に手を出した彼の行動だって、青春の1ページだなんて言って片付けられてしまうのだ。でも、……私は、そんなこと許せないよ。


 そんな私を、一瞬驚いたような顔で見遣ると、青年はクククと可笑しそうに笑った。


「私、……何か変なこと言いました?」

「いいや、全然。本当にそうだ。高校生だったら『青春』だなんて、本当に短絡的。間違いない。――君、面白いね」


 そう言って、男はジャケットのポケットに手を突っ込んだまま立つ。


「そういえば、僕も、今、まさに『青春』してたところだからね。そうだよ。高校生だけの特権じゃないよ、『青春』は」


 あ、そっちか。

 私が『青春』じゃないってことは、認めないんだ。


「お兄さんは、……高校生、じゃ、ないですよね? 社会人?」

「大学生だよ。まだね」

 

 そう言って振り返ると、その男の人はニッコリと笑った。

 泣いていたんじゃないのだろうか? 良くわからない人だなぁ。


「あ、名乗ってもらったんだから、僕も名乗らないといけないね?」


 私がコクリと頷くと、彼は自らを「水沢」と名乗った。


 水沢さん。この街じゃ皆が知っている有名大学に通う大学生。私より二つだけ年上らしい。


「大学生って、まだ『青春』なんですか?」

「どうなんだろうね? 少なくとも、こうやって桟橋で黄昏の海を眺めている僕は……『青春』してるんだと思うよ。……君と同じようにね」


 そっか、『青春』って年齢じゃ無いのかも。


 映画で『青春』だと、高校生同士が恋したり、ぶつかりあったり、砂浜を走ったりするけど、あれは年齢じゃなくって、ああいうことをすること自体が、『青春』ってことなのかもしれない。


 水平線を眺める水沢さんの隣に、私も立ってみた。

 たしかに、こうしていると『青春』っぽい。


四方しかたさん――君も、何か辛いこと……あったのかい?」


 そう言われて、私は思わず振り向いた。

 眼鏡越しの視線とぶつかる。


「え? どうして?」

「だって、――泣いているみたいだから」


 思わず右手の指先を目元に当てる。眦が濡れていた。


「あれ……、おかしいな。えっと、そんなつもりは無かったんですが……」


 泣いているつもりは無かった。でも、ショックで、喫茶店から駆け出して、スニーカーでアスファルトを蹴って、コンクリートを蹴って、たどり着いた桟橋で、こうやって海を眺め始めたところで、緊張の糸が切れたのだろうか?


「ごめんなさい。初めて会った人に、こんなところ見せちゃって……。困りますよね。初対面の女子高生に突然、涙なんか見せられても……」


 水沢さんは、「全然」と、首をゆっくり左右に振った。


「――恋愛関係かな?」


 いきなり当てにくる水沢さん。私は無言で頷いた。「そっか」と小さくつぶやいて、彼はまた、海を眺める。


 やおら、頭の上に暖かくて柔らかなものを感じる。ジャケットのポケットとから取り出した左手で、水沢さんは、私の頭をポンポンと撫でていた。


 いつもなら、見ず知らずの男性に触られるのなんて、絶対に嫌なのに、なんだか水沢さんの手は――心地よかった。

 不思議なのだけれど、暖かくて、ちょっと、嬉しかった。


「君は僕に似ているね」


 その言葉に、思わず横顔を見上げる。

 夕日が眩しくて、彼の瞳は見えなかったけれど、何か、思い詰めた表情が、そこにあるように思えた。


「水沢さんも、……誰かに振られちゃったりしたんですか?」

「まぁ、……そんな感じさ。色々あるよね。――生きているとさ」


 そう言って、肩を竦める。


「そうですね。色々ありますよね~」

「うん。いろいろね」


 そう言われると、なんだか、急に、私の中で、水沢さんに対する親近感のようなものが湧いてきた。

 あぁ、この人も、きっと私と同じようなショックを受けて、どうしようもない何かを抱えているんだろうなぁって。


「――僕らは知らず知らずの内に、しがらみに囚われて、その中に閉じ込められているんだ。自分自身でも、障壁を作って他人を寄せ付けなかったり、自分自身をその中に閉じ込めてしまっているのさ」


 水沢さんは、水平線に向かって訥々と言葉を紡いだ。少し寂しそうに。

 でも、その言葉の意味することは、ちょっと、私には分からなかった。


 きっと、水沢さんも何かあったのだろう。私が今日、突然、彼に振られたみたいに。

 大学生。自分よりも少し年上の彼。男女の関係も、また、すこし大人びているんだろうなって思う。


 純粋な瞳で遠くを見つめる水沢さんの横顔を、私はそうやってただ見上げていた。


「恋愛だってそうさ。人生が旅だとするなら、僕らは出会いと別れを繰り返す。一つの別れがあって、また、新しい出会いがある」

「――そうですね」

「四方さんも、放り投げてしまえば良いんじゃないかな? 自分を閉じ込めている障壁をさ……」

「――障壁?」


 その言葉はピンと来なかったけど、水沢さんの言うことは何となく分かる気がした。

 水沢さんも、投げ捨てたのだろう。彼に涙を流させた、何かを。その旅を――次のステージへと進めるために。


 私もそうなのかもしれない。彼のことなんて、もう――。


 私は桟橋の先、コンクリートの上に腰を下ろした。街の中の雑事なんて忘れて、海風の中に浸りたい。海の上に浮かせて、足をブラブラと自由にする。こうしていると、気持ち良いのだ。


「水沢さんも、座りませんか? こうして足をブラーンってすると、気持ち良いですよ?」


 仰け反るように上を見て、下から水沢さんのことを見上げる。

 そうすると、水沢さんは、ちょっと困ったような表情を浮かべた。


「僕は、座るのは……遠慮しておくかな?」

「どうして? 気持ち良いですよ?」

「ちょっと、今の僕には、コンクリートの上に直接座るのは、ちょっと刺激が強いんだ」

「どうして?」

「いま……パンツを穿いていないんだ」


 一瞬、水沢さんが、何を言っているのか分からなかった。


 え? パンツ……穿いていない? 変態?


 でも、そう言う水沢さんの表情は、変態と呼ぶには、あまりに清々すがすがし過ぎた。それはまるで、世の真理を知る哲学者のようで。それはまるで、未来の可能性に瞳を輝かせる少年のようで。


「どうして、……パンツ、穿いてないんですか?」


 海は凪いで、夕日が小さな波に、乱反射する。

 彼は無言のまま、海を見つめている。


 返事が無いから、私は一つ溜息をついて、コンクリートの上に両手を突く。聞こえてないのかなって思って、立ち上がる。

 砂と埃を落とすように、制服のスカートのお尻を払ってから、彼の耳元で、もう一度、囁いた。


「どうしてパンツ、……穿いてないんですか?」


 私の方を振り向かぬまま、水沢さんは真っ直ぐに水面を指差す。その先を目で追う。海面は昏かったけれど、それでも、その先に何かが水面で揺蕩たゆたっているのが見えた。


「さっき、放り投げたのさ――」


 アッ、と私は思い出す。遠くから水沢さんの姿が見えた時、確かに、彼は何かを海に放り投げていた。


 そうか。あれは、パンツだったのか。


 私は改めて彼の指の先を辿る。

 目を細めてよく見ると、確かにそれは男性もののブリーフだった。色はよくわからないけど、多分、――青色。


 でも、――どうして?


「どうして、わざわざパンツを海に投げるんですか?」


 海に叫んだり、海に石を投げたりする『青春』なら聞いたことがある。でも、海にパンツを投げる『青春』なんて聞いたことがない。


 そんな私の質問に、柔らかな笑みを浮かべながら、彼は振り返った。

 さっき耳元に顔を近づけていたから、彼の顔が至近距離になって胸は波打つ。


「四方さんはさ……パンツって何だと思う?」


 思いがけない問い。私は返答に窮する。

 そんなこと、考えたことも無かった。――パンツって……何なんだろう? って、これ、哲学?


「パンツは……パンツじゃないですか。大切な所を……守る下着です」


 どうして私は、こんなことを説明しているんだろう? 思わず頬が熱くなる。


 そんな私を見て、水沢さんはハハハと嬉しそうに笑った。

 ちょっとその仕草が、年上のお兄さんって感じがして、嫌いじゃない。


 嫌いじゃなくて――困る。


「そうだよね。『パンツは大切なところを守る下着』――そのとおりだ。でも、その大切なものって何だろう? ……排泄をする器官?」

「……それも大切ですけど。……それだけじゃないです」

 

 何の話をしているのだろう?

 困惑しながらも返した私に、水沢さんは、一つ頷いた。


「うん。もし、パンツが排泄器官を守って、その汚れから君を守るためだけのものだったら、僕たちはこんなにパンツを特別視しないよね? 女の子がパンツでお洒落をしながら隠し、また、男の子がパンツ一つで興奮することも、無いんだ。もちろん、男女が逆転したってそうさ」

「……水沢さんは……何が言いたいんです?」


 水沢さんは、結論を急ぐ私を柔らかく制止するように、そっと左手を広げた。 


「つまり、パンツは僕らの『性』を司っているんだ」

「……『性』を司っている?」

「あぁ、それは『恋』って言っても良いかもしれない。僕らの『恋』を守るもの……それが、パンツなんだ」

「……『恋』を守る?」


 彼の言葉をただ繰り返す。

 何だか難しいけど、水沢さんの言葉は、私の中に響いた。

 いや、本当はよく分からないのだけれど。なんとなく。


「うん。だからそれは、誰かから愛されることのしがらみであり、誰かに向けた恋が生む障壁なんだ。知らず知らずの内に、誰かに向けた想いが、誰かから受けた想いが、……君のパンツを形作っていくんだよ。……現象としてのパンツ、いや、存在としてのパンツを」

「……私の……パンツを?」

「そう、君のパンツをね」


 さすがにそれは、よく分からない。哲学的すぎる。


 でも、水沢さんが言うように、パンツって何だか特別なものだって気はする。

 ただの服の一つというよりも、きっと何か特別な存在なのだろう。

 ――そんなこと、考えたこともなかったけれど。


 彼に会う時だって、いつも穿くパンツには気を使った。色だったり、デザインだったり。見せることなんて、ほとんど無かったけれど。


 付き合い始めた頃、これまで買っていた雰囲気と少し違う新しいパンツを幾つか買って、お母さんに見事に感づかれたりもした。……あの頃は楽しかったな。

 

 今日だって、可愛い空色のパンツ、……穿いてたんだよっ!

 

 思い出すと、何だか切なさと虚しさがこみ上げてきて、私は思わず唇を尖らせた。もう、彼のことは忘れるんだ。これ以上、惨めな気持ちにはなりたくないから。


 ふと横を見ると、水沢さんが、私のことを優しい瞳で見つめていた。

 思わず心臓が跳ねて、視線を下ろしてしまう。やっぱり、イケメンだ。ちょっと変な人だけど。


「だから、君が今、穿いているパンツは、君が終わらせたい恋の――象徴なのさ」

「終わらせたい恋の――象徴?」

「そうだよ。それが今、君が穿いている――パンツなんだ」


 水沢さんの視線が、私のスカートの上に落ちる。

 

 私は制服のスカートの下に穿いているパンツのことを思い出す。意識する。 


 彼と付き合い出してから買った、空色のパンツだ。

 気に入っていた。大好きなパンツだ。大好きだったパンツだ。そう、大好きだったんだ……。


「――四方さん?」

「え……あれ? あれ……?」


 水沢さんの視線が、私の顔の上に注がれる。知らぬ間に頬を伝った涙が、一滴、一滴とこぼれ落ちた。でも、私は笑顔を作る。思いっきり、笑顔を作る。


 夕焼けを背にした水沢さんは、そんな私に一つ頷いた。

 私のことを慈しむような、優しい表情。私を包み込んでくれるような。


「だから、水沢さんは、パンツを放り投げたんですね?」

「そうだよ」

「水沢さんも、振られちゃったんですか? 大好きな人に」


 私が尋ねると、水沢さんは、イエスともノーとも言わずに、ただ、優しく微笑んだ。その笑顔が、私の中にゆっくりと広がっていく。


 ――そっか、水沢さんも……、一人なんだ。


 水沢さんは、言ってくれた。「君は僕に似ているね」って。

 今、穿いているパンツは、終わらせたい恋の象徴。

 それを脱いで、放り投げたら、また、新しい恋に向かって行けるのかな?

 

 私は水沢さんの顔を覗き込む。その視線に気づいた彼が「ん?」って目を開く。

 視線と視線はぶつかり合って、絡まり合った。

 瞳は逸らせない。逸らしたいって思えない。


「もし、私もパンツを海に放り投げたら、私……終わらせたい恋に、さよならできるかな? 新しい恋に、……向かって行けるのかな?」


 海から風が吹いてくる。

 それが私の髪を攫い、彼のジャケットをはためかせた。


 どれだけの時間、見つめ合っていただろう。

 それは一瞬だったかもしれないし、十秒だったかもしれない。もしかすると、一分だったかもしれない。


 やがて、夕日を背に受けながら、水沢さんは「そうだね」と微笑んだ。照れたような笑みを口許に浮かべながら。


 黄昏の中、私は、桟橋の先端に立つ。


 よし! って、心を決める。私も前に進むんだって。


 私は制服のスカートの裾から両手を差し入れて、少しだけたくし上げる。

 少し海風が、太腿に触れた。そっと、両人差し指を、腰にかかったパンツと肌の間に差し入れる。

 じっと目を瞑り、それをゆっくりと開いて、そっと下げていく。少しずつ。少しずつ。

 お尻の膨らみが、空色のポリエステルから抜け出して、柔らかな布は、太腿を抜ける。

 膝上で止めて、スニーカーを履いたままの右足を抜き、そして、左足を抜いた。


 やがて、私の両手のひらの中には、大切だった、空色のパンツが広がる。屋外でパンツを脱ぐなんて、恥ずかしいのだけれど。


 ……でも……でも!


 チラリと隣の水沢さんを見ると、彼と目が合う。

 その瞳は真摯で、私のことを応援してくれていた。


 そして私は大きく振りかぶる。まるで、青春映画のワンシーンみたいに。


 あの人との思い出が、走馬灯のように駆け抜ける。

 大好きだった。大好きだったんだ。


 右手をスイング。指先から私の空色パンツが離れていく。

 それはスローモーションのように、桟橋の先から、夕焼けの中へと、空に舞い上がる。

 

 初めて付き合った人だった。初めて交わしたキスだった。


 私のパンツが飛んでいく。私の思い出が飛んでいく。

 頬を流れる涙を、もう、私は気にしなかった。


 だって、私たちは人生の中で、出会いと別れを繰り返す。

 別れがあるから、また、新しい出会いがあんだ。


 だから、さよなら……私の大好きだった人。


 さよなら、大好きな人!


 やがて、私の恋は海と一つになった。



 海から風が吹き、私のスカートをはためかせる。


 パンツを履いていないスカートの下は、何だかスゥスゥする。だけど、私にはそれが、自由と、新しい日々を、象徴しているようにさえ思えた。

 胸をすくような開放感が、不思議と内側から溢れ出してくるのを、私は感じていた。


 振り向けば、少し年上の彼が、私を見てくれている。

 その視線に、私はちょっとだけ、頬を赤らめた。


「どうだい。パンツを穿いていないのも気持ちいいでしょ?」

「――うん。そうかも」


 この日、私はあなたと出会って、パンツを海に放り投げた。


 別れがあるから、出会いがある。



 だからまた、可愛いパンツを買いに行こうと思う。


 私の新しい『恋』のために――

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