第103話 『世界一の景色』

 絶望の淵から自力で復活を見せた夜の東京は、かつての地球時代と変わらぬ煌めきを見せ、人も変わらぬ足取りで街を歩き、多くの車種が道路を走っていた。

 燃料問題が完全に解消された今、あらゆる面で自粛要請はされていない。

 世界二位、三位の経済大国であった日本に少しでも近づくべく、そして少しでも新時代で裕福な生活をしようと、国、行政、企業、人は切磋琢磨に活動を活発化させていた。

 そんな東京にあるレストランの駐車場に停めてある車のドアが開き、二人の男女が乗り込んだ。


「はぁ……おいしかったですね」

 助手席に座った鍬田は、店内では言えなかった感想を満足げに呟いた。

「それはよかった」

 運転席に座り、シートベルトを締める羽熊はその純粋な感想を喜ぶ。


「日本と異地の食材を合わせた料理を出すって話題だったからね。喜んでくれてよかったよ」

「お昼に回ったスカイツリーも、空気が澄んでて遠くまで見渡せて綺麗でしたし、本当に最高のデートでした」


 屈託のない、心の底から出たであろう満足な表情に羽熊も微笑んだ。

 イルフォルン観光中に約束をしたロマンチックなデート。羽熊は佐々木総理の会見の翌日に鍬田にデートの約束を取り付け、一週間の準備期間を経て当日を迎えた。

 鍬田の望みを聞きつつ、自分なりの最高のプランを練ったが夕食を経ての感想に羽熊は満足する。


「でもすみません。私だけお酒を飲んじゃって」

 運転をする羽熊は飲酒は出来ない。よって羽熊が飲んだのは全てノンアルコールだ。

「気にしなくていいよ。美味しそうに食べてくれた君の顔を見れただけで満足だから」

「もう、恥ずかしいこと言わないでくださいよ。嬉しすぎてにやけちゃいますよ」

「二人っきりなんだから気にすることないさ」

 エンジンボタンを押して静かにエンジンを始動させる。


「この後はどこに行くんですか? 私としてはホテルもいいですよ?」

「んー、それもいいけど、それは今度かな」

「今度なら良いんですか?」

「これでも男だからね。でも初デート……は初詣でしてるから違うか。二回目で行くのもなんかね。それにホテルに行きたい気持ちより、今日はもっと行きたい場所があるんだ」

「ホテルよりも行きたい場所ですか」

「考えられる最高のデートスポットだよ。多分これ以上はないんじゃないかな」


 ギアを入れて車を出す。


「となると夜景ですか? ならまたスカイツリーですか?」

「何かは着いてのお楽しみだよ」


 車の流れに乗り、頭の中の地図と案内板の指示で首都高を目指す。

 経済は戻りつつあれど、GPS衛星が日本上空にないため多くの車種に搭載されているカーナビは全て機能していない。近々新たな日本版GPSである〝みちびき〟を搭載したロケットを、イルリハラン政府が許可したことで静止衛星軌道に打ち上げられるらしい。

 日本列島はフィリアの赤道上にあるため、静止軌道で常に日本本土をカバーできるらしく、そうすれば日本全国のカーナビは再び地図情報を表示することが出来るようになる。

 それまでは三十年前と同じ地図帳を持っての運転だ。だから運送業を中心に地図帳の売り上げが凄まじいらしい。


「……ふぁ……」

「眠い?」

「お酒を飲むとすぐ眠くなっちゃうんですよ。悪酔いはしないんですけど」

「寝ててもいいよ? 着いたら起こすから」

「いえ、せっかくのデートですから起きてます」

「そっか」


 羽熊はそれ以上何も言わずに運転に集中する。

 カーナビが使えないので、ある程度の地理を入れていないと迷子になってしまう。

 近所ならナビの必要はなくても、いま走っている東京は住み慣れた土地から大きく離れている。ある程度の地理は頭に入っていても、精通はしていないから通り過ぎないように案内板を注視する。

 そう考えるとカーナビが一切なかった三十年前から以前の運転手は凄いとしか思えない。

 逆に考えると利器に依存しきった今の人が軟弱なだけか。


「なんかこう……活き活きしてるって感じですね」

「佐々木総理の会見での発破が効いたんだよ。未知の惑星への国土転移って言う絶望から一転して新時代への希望に変わったんだから。みんな生きようとしてるんだ」

「そうですね。接続地域に来る前の東京は自粛や経済の停止で絶望のどん底でした。でも今は転移前の東京そのままです」

「戦後の東京は戦争に負けた絶望から終わった希望に変えて一気に活気を取り戻した。転後の日本は転移した絶望から主権を獲得した希望に変えて活気を取り戻したんだよ。まだまだ苦労はするけど、終わるにはまだ早いさ。きっとね」

「……でも日本はこのまま異地に居続けるんですか? それとも地球に帰るんですか?」

「分からない。でも帰れる時が来るまではここにいないといけないから、異地に住みながら地球に帰る方法を模索する生活を両立させないといけないんだ。片方だけに力を注ぐわけにはいかないよ」

「異地の生活に力を注げば地球に戻れなくて、地球に戻ろうとしたら異地での生活が遅れる。矛盾ですね」

「そうならないようにバランスを取るんだよ。佐々木総理はまずは異地の生活の地盤を整えないといけないから、会見でも言及はしなかったんだと思う。結局太陽系がどこにあるのかもわかってないしね」


 実際はとっかかりは掴めていて、レヴィロン機関の初速からバスタトリア砲までの中間速度の法則の研究を始めている。だがこれは国家機密で誰であれ秘密にしなければならなかった。


「客観的に太陽系を見たことはありませんからね。目的地が分からないのに転移も何もないです」

「だからそこは敢えて言わなかったんだと思う。せっかく異地の生活が落ち着くのに、地球に戻ることを言って乱したくないから」

「……私からしたら戻る意味ってあまりないって感じですけど」

「そこは島国の強みだね。地球に残した沖縄を考えたらそんなことは言っちゃいけないけど」

「はい」


 車は首都高に入り、常磐自動車道に乗るよう走らせる。

「……あれ、向かってるの接続地域じゃないですね」

 接続地域に向かうには東関東自動車道を走る方が近く、常磐自動車道ではより東北に向かってしまう。羽熊の活動範囲で接続地域より北はないから、鍬田は羽熊の顔を見ながら訪ねた。


「秘密」

「まあ洋一さんが一緒ならどこでも大丈夫です。例えひと気のない山奥でも!」

「さすがにそんなところにはいかないよ」

「気を付けてくださいよ。洋一さんは有名人なんですから、さっきのレストランやスカイツリーでも色々な人が見てましたから、ネットに色々と書かれたら大変ですよ?」

「そう言えば見られてたね。別に芸能人じゃないんだから無視すればいいのに」

「やっぱり歳の差とか見たりしたかもしれないですね。この前のインタビューで私の事言っちゃいましたし」

「おいおい、歳の差を気にしないって言い出したのは君だろ?」

「もちろん洋一さんと付き合ってることに後悔は微塵もないです。でも世間は別ですから。ただでさえ教授と大学院生って肩書ですし」

「君が未成年なら大問題だけど、成人してるし大学も違う。マルターニ語修学でも終わった後だから気にすることないよ」


 鍬田との交際に法的、倫理的になんら問題ないことは確認済みだ。仮にそれで騒がれても堂々としていればよく、下手に反応するほうがかえって面倒になると言うことだ。

 想いに気付いたのは家庭教師中でも、実際に交際を始めたのは終わったあとだから尚更問題はない。

 政府系の仕事も辞めるから、話題になったところで困ることもないのだ。


「それとも俺と別れる?」

「絶対に嫌です。まだ腕の傷の恩返しもしてませんし、一生掛けてするつもりです!」


 言って鍬田は運転の邪魔にならない力加減で左腕に右手を添わせた。


「こら、あぶないよ」

「この傷は私の命を守ってくれたんです。死ぬまで恩返しをするつもりです」

「ありがとう」

「だからどこに連れて行っても大丈夫ですから、一体どこに行こうとしてるんです?」

「それはついてからのお楽しみ。危ないから手離して」


 夜間の自動車道は週末や大型連休から外れていることもあって車の量は多くなく、渋滞で止まることなく走り続ける。

 特にラジオを点けることもなく、カーナビでテレビを見ることもなく淡々とした振動と変わり映えしない道。

 刺激が希薄な上にリズミカルな振動を加え、飲酒をすれば眠気を助長するには十分だった。

 いつしか喋らなくなって横を見ると、静かな寝息を立てながら鍬田は眠ってしまっていた。

 サプライズを込めて目的地は悟られたくなく、起き続けるから敢えて遠回りを選んだがようやく利いてくれた。

 羽熊はホッとしながら最終限界地点だったつくばジャンクションで首都中央連絡自動車道に乗り換え、東関東自動車道へとさらに乗り換えた。

 向かう先は接続地域。


      *


「美子起きて、着いたよ」

 駐車場に車を停め、羽熊は隣で眠る鍬田の肩を軽く揺らした。

「ん……」

 軽く肩を揺らしたくらいでは起きない。酒もあって熟睡してしまっているようだ。


「美子、起きて。おーきーて」

「んー!」

 熟睡してしまって手を払いのける。

「おーい」

 仕方ないので服に着いたゴミを払う程度の力でぺちぺちと頬を叩く。

 これでも起きない。


「起きろっての」

 起きてもらわないと困るので、右斜め四十五度の角度でチョップを入れた。とはいえ小突く程度の優しい加減でだ。

「あうっ……あれ」

 ようやく目が覚めたようで、眼をこすりながら鍬田は起きた。

「よく寝てたね」

「あ、寝ちゃってました? ごめんなさい」

「いや、むしろ寝てくれてよかったよ。出来れば目的地まで秘密にしたかったからね」

「え……ここって……接続地域じゃないですか」

 覚めた目で周囲を見て、鍬田はどこか目的地なのかを把握した。


「そ」

「でも違うところに向かってませんでしたっけ?」

「それは君に知られたくなかったから遠回りしたんだよ。寝てくれなかったら諦めたけど、幸い寝てくれてよかった」

「そこまでして場所を知られたくなかったってことですか?」

「さ、降りて」


 羽熊は鍬田の質問を遮って車から降りるよう促し、鍬田の反応を待つ前に車から降りた。

 少し遅れて鍬田も降りる。


「あの、洋一さん?」

「こっち」


 指さして歩き出し、そのすぐ後ろを鍬田はついてくる。

 接続地域はより非戦闘区域に持っていくべく国防軍の数は日に日に減り、民間や行政の職員の方がはるかに自衛官より多い。

 さすがに拉致やテロ対策で完全な撤廃こそはされないが、転移当初と比べたら九割減は来月にはなるだろう。

 もう顔見知りの多くが以前いた駐屯地に戻っていて、共に転移当初からこの地域を守るべく寝食を共にしてきたからこうした形で終わりとなると悲しくなる。

 しかしこれも新時代に向かうための必要な措置だ。いつまでも居座り続けるわけにはいかない。

 元浜辺ながら整地されてアスファルトで覆われた地面を歩き、日本と異地の境界線へと向かう。

 職員や自衛官は羽熊と鍬田に目を向けても特に何も言わない。


「洋一さん、いいんですか? ユーストルに出て」

「大丈夫。許可は貰ってるから」


 このデートの準備を始めたのは一週間前。最初は許可が下りるのか心配であったが、この接続地域で尽力した甲斐があってか、特に戸惑われることなくあっさりと全ての許可が下りた。

 その代わり立場を利用してのことだから、こうしたわがままは二度と出来ないだろう。

 ただ、羽熊は二度目はいらないと思っていた。これらは今後観光収益として活用できるから、その先駆けと思われればよかった。

 鍬田はまだ羽熊の意図に気付いていないのか不安に満ちた表情を見せ、羽熊は微笑んで安心させる。

 日本とユーストルを区切る境界線を越えて異地へと歩を進める。

 一応境界線から十キロは割譲された日本領なので、安全上の問題はあっても出入り自体は自由だ。なによりここは日本の最重要拠点。対地対空防御は最高レベルだからまず心配ない。

 境界線を越えて三十メートルほど歩くとアスファルトが途切れ、踝までの草が生える草原になる。

 その先で一台の飛行車が地面すれすれで停まっていた。


「あれ、ルィルさん」

 飛行車の屋根に座る形でルィルが一人待っていたのだ。

「遅い。約束の時間から一時間も経っているんだけど」

「ごめんごめん。ちょっと遠回りしたから」

「ならせめて連絡くらいいれてよ」

「運転中でケータイが使えなかったんだよ」

「まったく。博士だから待ったけど他なら帰っているところよ」

「待っててくれてありがとう」


「あのぉ……詳しい事何も聞いてないので分からないんですけど……どうなってるんです?」

「博士、何も話してないの?」

「驚かせたくてね。美子、乗って」

「いいですけど、どこに連れて行くんですか? いえ、どこでも行きますけど」

「すぐにわかるよ。ルィル、飛行車、少しだけ借りるね」

「博士には色々と助けてもらったからね。これくらいお安い御用よ。ドライブレコーダーとかは電源を切ってるから車内で何をしても誰も分からないから」

「ありがとう。でもバカなことはしないから安心して」

「心配はしてないわ。博士の事信用してるから」


 ルィルは飛行車右側のドアを開けると車内中央にある運転席にまず羽熊が乗り、右隣の助手席に不安がぬぐい切れない鍬田が乗車する。


「洋一さんが運転するんですか?」

「ルィルから運転の仕方教わったからね」

「え、でも免許は?」

「まだ日本は飛行車を航空機か自動車かどっちで扱うのか決まってなくて、法的に飛行車の運転に免許は必要とされてないんだ。ここは日本領だから日本の法律が当てはまるから、イルリハラン領なら無免許で捕まっても日本なら捕まらないんだよ」

「そうなんですか」

「それじゃ博士、美子、楽しんできてね」

 パタンとドアが閉まる。


「じゃあシートベルトして」

 二人揃って腰と両肩を覆うレーサーと同じシートベルトをすると、羽熊は飛行車のハンドルを握った。

「ちょっと怖いと思うけど、ゆっくり行くから安心して」

「は、はい。あ、でも洋一さんと一緒に死ぬならまだいいです」

「大丈夫。絶対安全で行くから」

 レヴィロン機関はすでに掛かっているので、ハンドルを飛行機の操縦桿のように手前にゆっくりと引くと、飛行車は引きに合わせて高度を上げた。

 スピードメーターなどがあるメーターパネルにはマルターニ語で、高度と縦横速度、水平器にバッテリー残量と発電量が表示されており、上昇に合わせて高度と縦の速度の数字が増大する。


「洋一さん、いつの間に飛行車の運転を覚えたんですか?」

「デートの約束をした後でね。さすがに横移動はダメって言われたけど、縦移動なら危険はないからいいって教えてくれたんだ」


 レヴィロン機関は地球の航空機と違い、フィリアの自転と公転に同期した気体フォロンに干渉して浮遊する。干渉する先が不動であれば飛行車は気象や自転、公転に惑わされることなく常に相対的にゼロを保つことが出来た。

 もし気流に流されてしまえば、わずか三十メートル先の気体フォロンの無い日本に飛行車は落ちてしまうかもしれない。それがないからルィルも自分の車を羽熊に貸してくれたのだ。


「あの……どこまで上がるんですか?」

 さすがに説明もなしに高度を上げ続ければ怖さが来る。鍬田はシートベルトをギュッと握りしめながら聞いてきた。

「六万メートルかな」

「六万!?」

「そこまでは安全にこの飛行車で飛べるんだ。それ以上は不具合が出て危ないって」

「まさかスカイダイビング?」

「それのどこにロマンチックがあるんだよ。大丈夫、高さ以外怖いことは一切しないから」

「それが一番怖いですよ」

 メーターを見ると上昇速度が時速七十キロを超えて八十に近づき、百キロになったところで加速を止める。


「……なんか延々と続く座るエレベーターって感じですね」

「または遊園地のフリーフォールかな」

「ああ、確かにそうとも言えますね。え、まさかしないでくださいよ?」

「だからしないって」

「フリでもないですよね?」

「しないよ。君が絶叫マシーンが好きなら別だけど」

「好きじゃないです」

「俺が怖がることをわざとやったことある?」

「ないです」

「安心して」


 高度計が五万八千メートルを超えた辺りで減速を始め、二千メートル掛けて相対速度をゼロにした。


「はい、到着」

「洋一さん、そろそろこんなところに連れてきた理由を教えてください」

「あれ、まだ気づかない?」

「え?」

「前に似たようなの体験してただろ?」

「前に……? あ……ああ!」


 ここでようやく鍬田は羽熊がやろうとしている意図に気付いた。

 飛行車のハンドルの裏には水平方向で車体の向きを変えるZ軸と、車体を中心にして前後の角度を変えるX軸、さらに左右に角度を変えるY軸を操作する第二のハンドルがレバー形式でハンドルと連結している。

 簡潔にいれば方向指示器の操作のようにハンドルを握りながら指先だけでレバー操作でき、ハンドルの角度によってレバーは自動的に操作することもできる。

 羽熊は握っているハンドルを右に回してフロントを日本の方角に水平方向に動かし、ハンドル上部裏にあるレバーを前に倒して数度だけ角度を下にした。つまりフロントガラスから斜め下を見えるようにしたのだ。


「わぁ……」


 フロントガラスに映る光景に、シートベルトを握りしめて前のめりになるのを防ぎながら声を漏らした。

 見えるのは前面と右下の地平線一杯に広がる、日本列島そのままの形を再現した数えきれない光だ。

 雲一つなく、一切の淀みのない空気は、宇宙からでも分かるほどの日本の別の姿を克明に見せていた。

 動かない光は無数のビル群が灯るもので、線として微動する光は少しでもかつての日本を取り戻そうと奮闘している車の流れだ。


「綺麗……」

「イルフォルンから戻る時も見たけど、それは着陸前で高度も飛行機よりも低かった。今回はスカイツリーの特別展望台とか飛行機も叶わない世界最高の絶景スポットだよ」


 地図上で見ると日本は小さくも人間サイズで見れば大きく、知っての通り日本は縦に長い。

 高度六十キロから見ても見えるのは日本の半分程度で、東北は地平線に青森が望めて西南は四国が地平線に見える程度。代わりに日本海側の新潟や佐渡島はそのまま見渡せられた。

 高度二十キロ以下を飛行する飛行機からは絶対に見ることが出来ない、人工衛星しか見ることが出来ない景色だ。

 おそらくこの高度で日本を見るのは羽熊と鍬田が初めてであろう。


「すごいすごい……こんな……宇宙からしか見れない景色を見れるなんて……」

 人類でも限られた人しか見られない光景を目にして、鍬田は興奮しながら叫んだ。

「どう? 今、この景色は君だけの物だよ」

「うれしいです。百万ドルの夜景なんて目じゃないです。世界一の夜景じゃないですか」

「君が前に空に持ち上げられた時があっただろ? その時の感想を聞いて思いついたんだよ」

「こんな……こんなの全然比べ物にならないですよ。エミリルには悪いけど、こっちのほうが何百倍もすごいです」

「秘密にしてよかっただろ?」

「本当ですね。これは知らない方がいいです。ごめんなさい洋一さん、ちょっと怖がりました」

「いいんだよ。茶を濁し続けた俺が悪いんだから」

「あ、うう……言葉は見つからないです」

「よかった、喜んでくれて」

「これ見て喜ばない女なんていないですよ。告白でもプロポーズでも、こんなのを見せられたら成功間違いなしです」

「じゃあ観光事業でもやってみようかな」

「私が保証します。やれば絶対に成功しますよ」

「まあそれはいいとして、お客第一号として存分に楽しんでよ。横移動はさせられないけどね」

「これを見てわがまま言ったら罰が当たりますよ。写真撮ってもいいですか?」

「もちろん。あ、でもネットに上げるのはやめてね。立場を利用したとか言われて面倒になるから」

「分かりました。自慢はしたいですけど、これは見せびらかしたくないです」


 鍬田はポーチからスマートフォンを取り出すと写真を撮り始め、撮りやすいようにハンドル操作していい場所に向きを合わせた。

 夢中になって何十枚と写真を撮り、時には動画を、時には日本の夜景を背景に自撮りをしたりして楽しみ、アルバムモードから撮った写真を見直す。


「……あの」

「なに?」

 世界一の絶景を前に見せていた笑顔から、一転して不安に満ちた顔で鍬田は羽熊を見た。

「私、こんなに幸せでいいんでしょうか。この光の下にはつらい思いをしながら過ごしている人が沢山いるのに、王室の人と友達になったり、特別扱いでイルフォルンにいけたり、洋一さんと付き合ったり、こんな絶景を最初に見たりして……なんか、一生分の運を使い切っても不思議じゃないです」

「幸せ過ぎて怖い?」

「怖いです。これまでの幸せが全部なくなるくらいの悪い事が起きそうで……」

「次に良い事が起きるのか、悪い事が起きるのかは誰も分からないよ。それを言うなら日本レベルでそれは起きてるよ。この九ヶ月で何度も日本にとって幸福の選択が出来て今があるんだ。ひょっとしたら明日には最悪のことが起きるかもしれない。異地の国や新政権が何かやらかすかもしれない。でも、未来なんて分からないから予測を立てて少しでも幸福ある選択肢をするしかないんだ。イルフォルンで同じ話をしたの忘れた?」

「いえ……洋一さんはいま幸せですか?」

「幸せだよ。少なくとも君の喜ぶ顔が見れて凄い幸せだって思ってる」

 そう言われて鍬田は気恥ずかしそうに俯いた。

「そう言えば大事なこと言うの忘れてたよ」

「何です?」


「好きだよ」


 羽熊は一度も鍬田に好意の言葉を伝えてはいなかった。言う機会はたくさんあったが、ロマンチックなデートのリクエストからいま言うことを決めていたのだ。

 予想外の言葉に鍬田は、表情だけでも顔を真っ赤にさせているのが分かる。


「やっぱりこういう言葉は時と場所を選ぶよね。ようやく言えたよ」

「あ、あの……ありがとうございます。嬉しいです」

「美子、幸福とか不幸とかは人の価値観で違うからさ、自分にとって幸福が続いたからって心配することないよ。他人にとっては不幸に思うことも美子にとっては幸せと思うこともあるし、その逆もあるんだから」

 言いながら軽く鍬田の頭に手を当ててなでる。

「それに日本を見てみなよ。どこに不幸がある?」

 フロントガラスの隔てた先にある、元極東に位置していた龍の形に似た列島、日本。

 その煌びやかな景色に、幸福の文字は浮かんでも不幸の文字は浮かび上がらない。


「今は周りのことは気にしないで、自分のことを第一に考えな」

「はい。あの……洋一さん」

「ん?」

「私も洋一さんのことが好きです」

「ありがとう。嬉しいよ、これからもよろしくね」

「はい、お願いします」


 安全からシートベルトは外せないので顔を近寄らせることは出来ないため、笑顔で気持ちを通わせて手を握り合った。

 光で象る日本列島は、平時を証明するかのようにいつまでも煌めき続けた。

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