第104話 『タイトル』
「んー……」
羽熊は取り壊しが決定した須田駐屯地食堂にて、唸りながらノートパソコンと睨めっこをしていた。
パソコンの画面には『』が入力されてれており、その中には何も記載されていない空欄となっている。
この括弧内の文字を考えなければならないのだが、中々その文字が浮かび上がらないでいたのだった。
締め切りが近日中にせまり、それ以外のことは全て書き終えて添削も済み、あとはこれだけだというのに適当な言葉がどうしても浮かび上がらない。
最初は自室で考えていたものの、それでは柔軟な発想は出来ないのと他の人の意見も取り入れたく、人の往来の多い食堂へとやってきたのだった。
「羽熊博士、こんなところで仕事ですか?」
腕を組み、時折キーを操作して画面移動させながらにらみ続けていると誰かが声をかけてきた。
「……あ、西野さん?」
一瞬誰か分からなかったが、見知った顔だったので思い返すと共に転後初のユーストル調査で共にユーストルに出た西野一等陸曹だ。
「やだなぁ博士、自分の顔忘れたんですか? 一緒に初めての異地調査をしたのに」
「さすがに半年以上前に会ったきりだとね。ごめん」
「冗談ですよ。博士と違って自分との関わりは少しですからね」
「まだここに残っていたんだ。もう元の場所に戻ったかと思ってましたよ」
「自分はここの中では最後に離れる組みの一人です。それで博士はここでなにを?」
「転移直後からイルフォルン観光までの手記の原稿。再来月に出版予定で書いてるんです」
「本、ですか?」
手記とは自身が経験したことを書き記す体験談だ。羽熊は学者として自分の経験と考えたことなどを常々書き記しており、以前から出版の打診があって清書を通常の仕事と合わせて行ってきたのだ。
「転移当初の政府の動きって機密扱いもあってあまり一般公開されてないので、民間人目線での様子を記した本を出版したいって大学に打診があったんですよ」
「確かにあまりあの時のことって詳しくは発表されてないですね」
「どうしてかは私の知るところではありませんが、一応政府の添削も済んでのことなので、出版自体には問題ないんですけど」
「ならどうして唸ってたんです?」
「タイトルが思い浮かばなくて」
「たいとるですか?」
「一応初出版なので、自分や読む人に恥じないタイトルにしたいんですけど、そう考えると中々思い浮かばなくて」
「きっと再現ドラマとか映画化とかするでしょうからタイトルは大切ですね。でも一章や二章と言ったタイトルは付けてないんですか?」
「それは内容をかみ砕いたのを付けるだけでよかったんですけど、本のタイトルだと総括なので難しいんですよ」
個人的には純文学的なタイトルにしたいのだが、単純にするか少し捻りを加えるか、大きく難解な様々な解釈を含ませるかで考えてしまう。
「博士の中でなにか候補とかないんですか?」
「するなら『異星国家日本』とかシンプルなんですけど、捻りがないので味気ないんですよね」
シンプルイズベストと言っても、あまりにもシンプル過ぎては特徴がない。なにより異星国家日本と言う名称はあらゆるメディアで使われているのだ。今更それをタイトルにした本をだしたところで、興味を引いてくれるとは思えない。
「他の人に聞いたりとかしないんですか? 彼女さんの鍬田さんとか、雨宮三尉とか」
「もう異地に関わる人にはみんな聞いてますよ」
手軽に連絡が取れる人にはあらかた声をかけて意見を聞いていた。
*
鍬田の場合。
「そうですね……私世代ならネット小説みたいにあらすじ風タイトルをするのもアリじゃないですかね。『日本が転移した星には空を飛ぶ人種の現代文明が栄えていた』とか『手探りから始まる日本の異地社会外交譚』とか」
そうした長文タイトルが一部のジャンルで流行っていることは知っているが、純文学なタイトルには程遠い。
「それって高齢の人とか手に取ってくれるかな?」
せっかく出版するのと、あまり外に出ない転後初期の情報を公開するのだ。多くの人に買ってほしく、はたしてその長文タイトルは手に取りやすいか心配になる。
「んー、やっぱり手に取りにくいですかね」
「内容はすんなりと入るけど、そうした長文タイトルって個人的には読者を馬鹿にしているように見えるんだ。販売戦略として内容が分かりやすいと買われやすいかもしれないけど、同時に読者に考えることを止めさせてるから」
「まあ幼稚かそうじゃないかって言えば幼稚ですね」
「内容はまあフィクションとしか思えない内容だけど、未知との遭遇な内容だからね。出来れば硬派なもので行きたいんだ」
「そうなると私じゃ思い浮かばないですね。あまり硬いタイトルは見ないので」
「でも人気漫画とかってシンプルで象徴的なものばかりじゃない?」
「そうですね……でもそれって汎用性がなくて他の人が真似できないのがいいですよね」
「そうなんだよね。シンプルなのはいくつかはあるけど、もう色々と使われちゃってるから」
「それじゃ著作権とかは言われなくても注目は薄いですよね。出回ってる以外のじゃないと手には取られませんね。異地に関する本なんて沢山出ちゃってますし」
「だから注目されながら手に取れるタイトルを考えたいんだよね」
「んー、でも私はそれくらいしか思い浮かばないですね。すみません」
「謝ることないよ。ありがとう」
「どんなタイトルでも、出たら三冊は買いますから」
「三冊も必要ないだろ」
「ありますよ。読書用、保管用、転売用」
「ちょっと待て三つ目のはなに?」
転売用とは聞き捨てならない。
「国土転移初期の詳細な内容ですよ? 五十年後になったら絶対に高値になりますもん。初版で未使用なら絶対にオークションとかで売れば高値になるのでそれ用です。直筆のサイン付きなら倍はいきますね」
「ちゃっかりしてるよ」
「えへへ」
雨宮の場合。
「他人のアドバイスで決めたタイトルなんて、いくら中身は本人でもタイトルが他人で決まったらそれ自分の本って言えるのか?」
ある意味ごもっともなことを言われてしまった。
「俺は本とか書かないから分からないけど、そうしたのって直感に任せるほうが納得出来るんじゃないか?」
「直感か……出来れば少し捻ったタイトルにしたいんだよね」
「ならその直感に従って考えればいい」
「例えばどんなのがあるかな」
「タイトルって内容の表れだろ? それからかけ離れ過ぎたら分からないよな」
「基本的にイルリハランとの交流だね」
「ならそれからかけ離れたのは意味ないな」
「難解過ぎると手に取られないよね」
「俺なら多分手に取らないだろうな。かと言って幼稚過ぎても手にしない」
「例えば新しく創設される天上自衛隊とか?」
「ああ。考えたのは幕僚らしいんだけど、機動自衛隊とか宙間自衛隊とかも候補にあって、一番やばかったのが特殊環境対応自衛隊だな。略して特環自衛隊と言ってもいかにも役所がつけそうな名前と、部隊名ではなく新自衛隊の名称には長すぎるから不満が出たらしい。天上自衛隊はちょっと中二病な感じだけど、空自海自両方に配慮した新自衛隊らしい名前で気に入られてるよ」
「出来れば幅広い世代に手に取ってほしいから、硬すぎず柔らかすぎないのにしたいな」
「なら捻くれたのにはしないほうがいいな」
そうアドバイスをしてくれたものの、結局のところ決まることはなかった。
ルィルの場合。
「私だったら……ユリアーティとするわね」
「懐かしいね。確かマルターニ語で異星国家だっけ」
「今じゃニホン呼びが定着したから使わなくなったけど、それだけでもタイトルっぽくて興味を引くんじゃない?」
「確かにそれはありかな……」
「でも日本で出版する本だからマルターニ語のタイトルって少し不釣り合いかな?」
「いや、日本の本でも英語のタイトルを付けることはあるから不自然じゃないよ。でもそっちでもそうしたタイトルの本はあるんじゃない?」
「私も詳しくは調べてないけど、多分同じか似たタイトルは出てるでしょうね」
ここはエゴが混ざるが、せっかく出すなら類似性のないオリジナル色の強いタイトルにしたい。
ユリアーティはシンプルでタイトル向きだが、シンプル故に多くの著書や映像作品に使われてしまうだろう。異星国家日本もまた同じだ。
「他に捻ったタイトルをするなら、解釈を混ぜるしかないかしら。解釈をして特定の意味に連れていくとか」
「異星国家と読める解釈か……」
「まあ結局のところ自分が納得出来るモノじゃないと絶対に後悔するわね。変に捻くれに凝り過ぎて納得できないと後悔して汚点になるわ」
「それは言えてる。捻り過ぎると訳が分からないって逆に手に取ってくれなくなるからね」
「それにこうしたのはアドバイスは貰っても自分で考えないとね」
「まあ変にアドバイスをして失敗した責任は取りたくないよね」
「……」
「冗談だからそっぽを向くのは止めて」
エルマの場合。
「もし発売されればすぐに買わせてもらいます」
「ありがとうございます」
「それでタイトルでお悩みとのことですが、私は残念ながら日本の書物にはまだ詳しくありません。なので具体的なアドバイスは出来ません」
「いえ、いまは色々な人に話をしたくて。忙しい中すみませんでした」
「博士でしたらいつでも構いませんよ」
「では話を変えて、最近はいかがお過ごしですか?」
「順調そのもの、と言えますね。我が国主導のユーストル開発事業も大詰めに入り、ユーストル内での利益は我が国が五十一パーセント、日本が二十五パーセントは固定。他の国々が参加国と投資費用に合わせて二十四パーセントを分割で合意しました。我が国と日本以外の国々では不条理でしょうが、主権が我が国にあり、採掘作業を日本に委ねる以上飲まざるをえません」
「他国は二十四パーセントの利益の奪い合いですか」
「そうでなければ我が国と日本の独占ですからね。代わりに新設される日本軍にはユーストル防衛をラッサロンと共にしてもらうことになりますが」
「そこの部分は存じてませんが、争うことなく過ごせることを願うだけです」
「まったくそのとおりですね。あ、先ほどのタイトルの件ですが、博士が執筆した本の内容の主な舞台はどこですか?」
「本は前半と後半に分かれてまして、前半は国家承認までで、後半はイルフォルン観光までです」
「上下巻で主な舞台はどこですか?」
「……ユーストル、ですかね」
「ではそこに目を向けてはどうでしょうか。少なくとも全体図で目を泳がせるより、ユーストルに目を置いて探したほうが苦労はないかと」
「ありがとうございます」
*
「みんな具体的なタイトルは避けて、こうした方向性で考えたらってアドバイスばかりでね。だから悩むんですよ」
鍬田だけ具体的なタイトルを提示したが、あれはさすがに対象外だ。作品によってはいいのかもしれなくても、羽熊の本には当てはまらない。
「まあアドバイスして実際に売れなかったら後ろ髪をひかれますからね。出版社からはないんですか? または大学とか」
「この本に大学は絡んではないです。話が来た時は大学が絡んでたんですけど、いつの間にか絡むのを辞めて出版社と直接になったんですよ」
印税的に収益が見込めるから大学主導で出版となっていたはずが、いつの間にか大学はその権利を放棄している。理由を聞いたがノーコメントを貫かれてしまって羽熊は知らないままだ。
その分印税は入るので朗報なのだが、どこか腑に落ちない。
そして実際にタイトルは後に出版社で会議をして決めるので、その候補を挙げてほしいと言われていま悩んでいるのだ。
出来れば羽熊が考えた作品を採用させたく、安易な『異星国家日本』や『ユリアーティ』に逃げずに自分で考え出したかった。
「なんか横槍が入った感じですね」
「俺はなにも関与してないので何も知らないです」
「……おーい、ちょっといいか?」
西野は手を振り、食堂にいる自衛官たちの視線を集めた。
「ちょっと相談してほしいことがあるんだ」
「おい」
「こういう時は文殊の知恵。もうすぐみんなバラけるんだから最後に協力戦と行きましょうや」
食堂にいた十数人の自衛官は、西野を見たあと羽熊を見て異地絡みかと小声を出しながら近寄り、西野の説明で何の話かを知る。
ここにいる自衛官の過半数が転後初期の混迷した時から活動していて、羽熊と同じか近い体験をしていた。よって皆近い体験から各々の意見が出る。
単純に『異地の冒険』や『ユーストル開拓記』『異星国家に立ち向かった日本』『転後日本の外交』『異地との遭遇』と人が集まれば一人では出せない意見が多く出る。
ただ、羽熊の中でこれと言った言葉は引っかからない。
やはり安易な『異星国家日本』で行くべきかと思った時、一つの案で直感が働いた。
「『接続地域での未知との遭遇』とかどうですかね」
「……接続地域か……」
日本本島がユーラシア大陸から切り離されて以来、一度として陸続きになったことがなく、国土転移によって唯一ユーストルに陸から移動できるようになった接続地域。
イルリハランの情報ではユーストルは超巨大なクレーターで、元々日本があった場所は関東より大きくも水位が低い湖があり、それを飲み込む形で日本がやってきた。
レーゲンとの問題を抱えているのもあって人口はゼロなので、転移に伴う人的被害はなく湖と陸地は地球に入れ替わる形で転移したと思われる。
ある意味では日本の海と異地の湖は触れあっていた。
湖や海の波が触れる波打ち際のことを日本では『渚』と呼称する。
元々渚だったところが今では陸地として接続している。
「陸上の渚」
ぼそっと羽熊は呟いた。
日本と異地の繋がりは接続地域の行き来から始まった。
ここから日本の総力を挙げた九ヶ月は始まり、今もここにいて区切りとして終わりと始まりを行おうとしている。
純文学的なタイトルであり、捻りも加えている。
そしてタイトルがどこを指しているのか少し考えれば分かることだ。
羽熊は自分の中でふつふつと感情が高ぶるのを覚えた。
「……陸上の渚なんてどうですかね。ここの接続地域を現してるんですけど」
「おー、いいんじゃないですか? ダサくもないですし、なんか意味深なタイトルですし」
「陸上で渚とは矛盾してるけど、ここを意味するなら確かに別名としていいな。確か転移前のここってクレーター湖があったんだろ?」
「でもそれだけじゃ子供が分からないんじゃないか? と言うか、これじゃ手記じゃなくて小説のタイトルになるな」
好意的な意見と否定的ではなく一考するべき意見が飛び交う。
「なら副題を付けたらどうだ? 硬すぎず柔らかすぎなくても、もうすこし子供向けにすれば子供も読んでくれるだろ?」
集まった誰かが意見を呟き、それが聞こえたことで羽熊は腕を組んで考える。
主題は羽熊の感性と一致したから文句はない。なら副題は皆の意見を参考にして単純に考えることにした。
「陸上の渚は接続地域だから、そこでの外交か……」
羽熊は指パッチンをして、キーボードを走らせた。
『陸上の渚 ~異星国家日本の外交~』
「どうですかね、これで」
「俺はいいと思います。手記感はないですけど、本としてあるなら手に取ってみたいです。主題でも副題でも興味をそそるタイトルと思いますね」
「一層SF小説感が強くなりましたけどね。これで出版社に持っていきたいと思います。みなさんありがとうございました」
「いやいや、博士の頑張りからしたら自分たちは大したことはしてませんよ」
問題が解決したことで自衛官たちは離れていき、羽熊は立ち上がってお辞儀をした。
「ゆっくり休んで、また頑張ってください」
「本が出たら必ず買いますね」
「ここを離れてもお元気で」
「いつかまた会いましょう」
異地第一人者として研究は続けても、内閣官房参与を辞めることはもう知れ渡っているためそうした労いの言葉が掛けられる。
羽熊の九ヶ月の苦労はここで幕引きだ。
この九ヶ月の記憶と記録は二冊の本として世に放たれる。
あの時何があったのか、どんな思惑を持って異星人とファーストコンタクトを成し遂げ、人から軍、国家に交流から外交へと段階を踏んでいったのか、多くの人が知ることだろう。
もちろん政府の添削を受けているから、機密扱いされている多くの情報は元々無かったこととしているが、それは国民も暗黙の了解として受け流すはずだ。
国家に綺麗も汚いもない。ただどうやって国民の安寧を作り出すかのために存在している。
日本政府は九ヶ月の苦悩を経てそこに至り、新たな生活へと足を踏み出す。
羽熊もまた役目を終え、新たな生活へと歩み出す。
今後もまた困難は国と国民に立ちふさがるだろう。
今度こそ国家存続の危機に扮し、引き返せない領域に立ち入ってしまうかもしれない。
しかし、どんな未来がやってくるのかは誰も分からない。
あの確実な国家滅亡でさえ国土転移によって回避したのだ。
どれだけ絶望が訪れようと、どれだけ危機が目の前に来ようと、終わるまでは分からないのが運命なのだ。
運命は逆転する。
諦めるのは終わった後でいい。
目の前に絶望が訪れようと、必ず逆転する奇跡が訪れる。
その逆転を成功させるかは、奇跡を活かすか殺すか次第だ。
世界は常にあらゆる因果を含み、因果をまき散らして回り続ける。
時間は流れる。国は動く。人は変わる。
がんばれ日本。
がんばれ、地球人。
第一部 完
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