第101話『決着』
選ばれた百人と一人が異星国家の首都を観光し、帰国してから一週間が過ぎた。
予想はしていたが、イルフォルン観光は日本国内では一大イベントとして報道された。
最前線で活動する羽熊からすれば見慣れたことも、日本人のほぼ全員が異星に直接関わることがない。
今までのテレビやネットの情報もイルリハランから提供されたものばかりで日本人が撮影した、日本人感覚での撮影は一つもない。
それ故に本格的な異地進出は関心度は高かった。
当然参加した人々にメディアは獲物を狙う獣の如く群がり、他社にはない映像や言葉を引き出そうと日本各地に住む参加者を捜しては、参加者の意思や主張を無視した取材をする。
取材方法の是非はともかく、国民の大多数が異地とは輸入品を除いて直接的な生活をしていないので、参加者が提供した映像は昼夜問わず全国で放映された。
日本政府も民間人の負担を少しでも軽減しようと、政府側で撮影した映像を著作権フリーで無償提供し、報道番組やネットなどで異星国家の首都がどういったもの何か、様々な人の目から検証された。
しかし、まだ国内経済は過酷な状況には変わらないのに観光とはいかがなものかという批判はあれ、外交としては成功しているので比較すると称賛するほうが高かったりする。
よって帰国から一週間は至極平穏であった。
気体フォロンの無い日本に逃げれば拉致しようとしたメロストロも手は出せないし、アークも接続地域にいれば手出しは出来ない。
仕事も通訳はせず本分である教育のみなので、過労から解き放たれ実に健康的な生活を送れた。
そして帰国から八日目の昼に、異地関係の報道をしている中で速報が流れた。
『速報です。友和党の村田一郎議員が、婦女暴行及び殺人未遂の罪で現行犯逮捕されました』
唐突、としか言いようがない報道であるが、それしかないだろうと考えていたため冷静にテレビを見続けられた。
『村田議員は昨日、都内ホテルにて知人女性に暴行を行い、知人女性の相談を受けて待機していた警察により現行犯で逮捕されました。事情聴取に対して村田議員は容疑を否認しております』
国会議員は世間に対するイメージを何より重んじるのだ。
冤罪ならそれが証明されればまだしも、婦女暴行の現行犯で逮捕となれば信用はゼロを通り越してマイナスになる。
少なくともこの速報が出ると言うことは須川の証言は事実であり、村田の親による威光は利かなかったと言うことだ。
するなら一気呵成とは思っていたが、抵抗もなくこうもあっさりと終わるとなると呆気にとられる。
この先、起訴不起訴どうあれ『国会議員』の肩書きを持つことは出来ないだろう。
「裏で色々とやっても、表に出たら終わるのはあっという間か」
呟きながら左腕に巻いてある包帯を摩った。
「……」
不思議と報道を見ていると憤りを覚えた。
表向きでは婦女暴行で逮捕でも、その裏では世論を自然と扇動させて国家転覆や国家改造をしようと暗躍し、羽熊も巻き添えを食ったのだ。さぞ激戦を経て捕まるのだろうと思えば、結局はあっさりと捕まってしまった。
そのあっさりさに、今までの大変さは何だったのだと腹が立つ。
心情を言語にすれば不完全燃焼だろう。
ただ、それは流れから意図的に離れたからであって、当事者である須川達からすれば激戦だったのかもしれない。自ら面倒事から離れたのに不完全燃焼と愚痴るのは不謹慎だ。
ひとまず経済や日本の海など問題はあれ、アーク問題は解決と言えよう。
そう心の中で考えていると、スマートフォンのメッセージアプリが起動してとある方からメッセージが来た。
十五分後にオンライン通話をしたいと言うメッセージだった。
「速報に合わせて送りましたか」
テレビ速報に合わせてのメッセージであれば狙ったとしか考えられない。
昼休憩は始まったばかりで午後の仕事には余裕がある。羽熊は「問題ありません」と打って送信した。
今いる場所は国防軍の食堂なので目の前の昼食を早食いして片付け、約束の時間が来る前に自室へと戻ってオンライン通話の準備をする。
約束の時間になると待機リストに名前が浮かび、その名前をクリックすると通話が始まった。
「ご無沙汰しています。佐々木総理」
『羽熊博士も息災そうでなによりです』
画面に映し出されたのは佐々木総理だ。
「幸い異地の病気には掛からず、体調も何一つ問題ありません」
毎朝必ず転移初期のようにメディカルチェックを受けているが、ここ一週間体温を含め何も異常は出ていない。
『それは良かった』
「総理、オンライン通話を希望した理由は村田の件ですか?」
『ええ、五日掛けて内調が裏を取り、昨日現行犯逮捕をするよう仕向けて無事に逮捕となりました』
内調は内閣府にある調査機関とされる。分かりやすく言えば日本一の探偵だ。
「ではやはり村田はノアとして活動していたと?」
『少々違法な捜査をさせたので詳細は言えませんが、ノアとして活動した証拠は押さえてあります。その上で村田一郎の父、村田剛太とも話は済ませてあるので不起訴はまず問題ありません』
「では村田の父は村田を見捨てたと?」
『見捨てた方が合理的と判断せました。このまま息子を擁護すると、心血を注ぎ一世代で築いた牙城が崩れてしまうと知らしめましてね』
恐らく何らかの証拠に親の後ろ盾を露骨に露呈するものがあるのだろう。それなら切り捨てた方が今後にとって合理的と言える。親子の縁か政界への影響力かを天秤に掛けさせ、後者に傾かせた。
『しかしながら実の親子だけあって中々首を振らないので、最終手段を使いました』
「それはもしかして……」
『総理としての辞任です』
政治での取引に於いて最も効果の高いカード。佐々木総理は一人の国会議員を逮捕するためだけに、行政府のトップの役職を降りる決断をした。
「私は政治には無頓着ですが、それはあまりにも割合が違うのではないでしょうか。いえ、私が口を挟むのも烏滸がましい所ですが」
『元々来月には不透明にしていた任期を満了として辞任する予定だったので、単にそれを利用したに過ぎません』
「よく乗りましたね」
『元々私の政策を快く思ってないので、息子を売ることで辞めるなら乗るとは思ってました』
「ですがそれでは村田剛太の権力がもっと広がりませんか?」
『それに関して黙らせる証拠を握ってるので、手を出せば自分の首を絞めることにもなります』
事前に公表していたらカードとしての意味はないが、辞任に関することはテレビもネットでも一切触れていないから効果は十分あったのだろう。
その後に無関係で辞任されるのと自分の手綱を握られたと知れば、してやられたと悔やむだろうが羽熊の知ったことではない。
『少なくとも村田剛太は静観しますし、互いに言質を取っているので余計なことはしません』
「そうですか。それで須川は大丈夫ですか?」
現行犯と言うことは実際に暴力を受けたと言うことだ。最重要任務が失敗で終われば、暴力を平然とする男が何もしないわけがない。過去最大級の暴力を振るうこともありえる。
最悪殺そうとすることも。
『それは実際に映像データを見てください。オンライン通話を願ったのはこのためです』
「決定的な証拠、というわけですか」
『夕方には編集された音声データが流れますが、これはオリジナルデータです』
画面の中で佐々木総理はキーの操作をすると、パソコンのスピーカーから声が出た。
*
約束の時間が近づくにつれて手が震えて来るのが分かった。
これから何をされているのか分かっているからだ。
今までと同じように約束の時間の二時間前に都内のホテルにチェックインした須川は、部屋に一人座って村田が来るのを待ち続けた。
すぐ隣には事情を知る警察が待機しており、暴力が発覚した時点で突入してくれる手はずとなっている。部屋中には盗聴器と監視カメラが見えないように設置してあり、普段から部屋に入るとチェックしているがまず分からないだろう。
それでも激怒した村田の暴力を受けなければならないから恐怖しかない。
警察がいてもいなくても失敗したから暴力を受けることには変わらないが。
ただ、これが最後だと思うとまだ希望は残る。
こんなクズの中のクズに落ちたのに手を差し伸べてくれるトムに少しでも恩返しをするためなら、骨を折られることも刃物で斬られることも我慢できる。
このまま村田を野放しにすればトムに迷惑が掛かるし、百万人の外国人にも迷惑が掛かる。
自分を救うため、手を差し伸べる夫のため、百万人以上の人のために須川は罪に抗う。
それでも手の震えは収まらず、これは武者震いと言い聞かせた。
約束の時間から十五分遅れでノックが来た。
時間を守らないのはいつものことだが、この十五分の待ちは心臓に悪く、ノックと同時に大きく体が弾んだ。
しかもいら立っているのかノック音が普段より強めなのが分かる。
須川は大きく深呼吸し、立ち上がってドアへと向かって鍵を開けた。
思いっきり開かれるかと思えば、村田は何も言わずにゆっくりとドアを開ける。
「……お、お待ちしてました」
緊張を隠せないままいつもの挨拶をする。
「……」
村田は何も言わずズカズカと中に入り、部屋を調べ始めた。
もし見つかればどうしようかと考えてしまう。見つかってしまえば須川はおそらくなにもされずに村田は出ていくだろうが、それでは罪に問うことが出来なくなる。
それでは身の安全は出来ても今後の安全は分からない。
決着をつけるなら今夜しかないのだ。
「おい」
部屋を調べている中で声を掛けられ、演技の出来ない須川はビクつく。
「は、ははい、な、なんでしょうか?」
「なに怯えてるんだ」
「そんなことないです」
「ならなんでそんなにソワソワしてる」
「ソワソワなんて……」
「そうか。俺がお前ならするけどな」
「え……?」
「なんでお前がここにいる。俺の命令を実行していたらお前がここにいるはずがないんだがな」
「それは……」
「お前、失敗したな?」
須川が拘束をされずにホテルにいる時点で、失敗したかしなかったかの二択しかない。命令書では拘束されるが後に釈放させるとあったから、成功しているならここにいるはずがないのだ。
元々家にホテルと日時の指示書が来て普段通り手続きし、電話等による連絡は一切していないからここに来るまで成功の有無は分からない。
よって部屋に入れた時点で村田の中で、成功していないのことが判明していたのだ。
実際は失敗したのだが、それでは言質を取ることが出来ない。
「……出来ませんでした」
だからここにいて不自然ではない返事をする。
これは警察との打ち合わせで決めてあることだった。
この一幕で何としても村田の口から、ノアとテロの内容、村田父の後ろ盾。この三つを言わせなければ警察は突入してこない。
つまり須川の演技力と忍耐力が試されるのだ。
「あ?」
村田のドスの効いた声が体の芯に伝わり、恐怖心が次の言葉を妨害する。
「あ、その……はい……チャンスは……あったのですが…………襲えませんでした」
瞬間に目の前が真っ暗になり、こめかみに言葉に出来ない痛みが来ると意識が光を認識した。
ベッドに横倒しで倒れ、殴られたという実感と同時に視界が三重に重なっているのが分かった。
「今、なんてった? 出来なかった? あ? 出来なかっただと!?」
あらゆる線が三重に見えて小刻みに震える。脳に直接衝撃が加わって脳震盪を起こしたのだ。
「俺がお前を忍び込ませるためにどれだけ努力したと思ってるんだ! なのに出来なかっただと!?」
「う……っ、う……。あれだけ……お世話してくれてる人達を傷つける……ことなんて、できません」
実際は自分の立場と鍬田の立場の違いからの嫉妬を原動力としてしまったが、それを知る者は数人だ。嘘で通して問題ない。
「お前バカか! なに宇宙人に世話になって躊躇ってんだ! あいつらは異星人なんだぞ! 王だろうが大統領だろうが揺さぶられてどうすんだ! フォークでもペンでも刺せよ!」
脳が揺さぶられても村田はお構いなしに怒鳴り散らす。
これでも十分婦女暴行で逮捕出来るが、それではノアとしての証拠が押さえられないので警察はまだ動かない。
まだ脳の再起動が出来ず体が動かせないでいると、髪の毛を掴まれて持ち上げられた。
「いっ……」
「俺は言ったよな。捕まったとしても外に出して新しい人生を送らせてやるって。それを自分でフイにしやがって。お前のせいで俺の計画はやり直しだ」
「……ってる……」
「あ?」
「間違ってる……」
普段と比べて格段に弱い力で村田の胸に手を当てて距離を離そうとする。だが弱弱しくて離せられない。
「絶対に間違ってる!」
もう一度、今度は瞬間的に力を言えて村田を押した。
そのショックで髪を掴む村田の手が離れる。
「日本に色々と手助けをしてくれる国に恩をあだで返して良い事なんてなにもない! アンタノやろうとしてるのは間違ってる!」
村田の視点からすれば、状況証拠からくる推察は知られていない。自分から知ってることを喋って口を閉ざされてはならないから、朦朧とする意識の中でも言葉はしっかりと選ぶ。
「俺に助けてもらった分際で意見するのか」
「せっかくうまく回ってるのに、恩をあだで返したら全部がめちゃくちゃになっちゃう。そんなの誰も望んでない」
「またアメリカと日本の関係になるんだぞ。ああ、確かに回ってるけどな、それはアメリカが異星国家に代わっただけだ。日本が下なのは変わらないんだよ。俺はそれを変えるためにお前を送り込んだんだ。あの命令は日本のためだったんだ」
「違う。絶対に違う。敵を作って良くなることなんて絶対にない!」
自分がそうだったから分かる。敵を自ら作って自分の状況が良くなることは決してない。
「これだからバカな女は嫌いなんだ。俺が苦労したことを全部水の泡にしちまう」
「出来なくてよかった。じゃなかったら国際問題になってたし、捕まってたら私はアンタの名前を言って道連れよ。私だってバカじゃない。そんなことをして捕まらないなんて絶対ない。見捨てるの丸分かりなんだから」
「だからバカなんだよお前は。そうならないからさせたんだよ!」
呼吸が止まる。
村田の右こぶしが須川の左わき腹を殴ったのだ。
「がっ」
再び視界が揺れ、脇腹を襲う激痛にベッドに倒れさせられる。
「うっ……つ……」
脇腹を抑えて悶える中、村田は再び髪を掴んで須川を持ち上げた。
「いいか、俺の親父は警察も検察にも口が利くんだ。お前を逃がすことも、俺の名前を挙げても無かったことに出来んだよ」
「……ふ、ふふ……」
意識も体もめちゃくちゃなのに、自然と笑いが込み上げてくる。
「何がおかしい」
「いい歳こいて親頼みなんだ……情けな……自分は好き勝手やっても、責任は親に取ってもらうんだ。政治家とか言っても中身はチンピラ……ドラ息子じゃん」
挑発すると村田は須川を投げた。合わせて髪の毛が千切れる感触が数え切れないほどしてベッドに倒れさせられ、腹部を足で踏まれた。
「ごっ!」
しかもすぐには話さず、グリグリと踵をねじ込む。
「あ……あ……」
「俺を、ドラ息子って言うんじゃねぇ!」
その言葉でキレるなら、昔からそれを言われ続けてきたのだろう。
権力を持つ親、三千万を軽く出せる資金力、二世議員なら世界は自分を中心に回っていると勘違いしても不思議ではない。
「どいつもこいつも俺のことを低く見やがって。何をしようと親父の力と抜かしやがる。誰一人俺を見ようともしたがらねぇ」
「……だから、私を奴隷みたいにするの……? アンタの言うことを聞くのは、親が力を持ってるから」
「ああそうさ。だからお前を助けてやったんだ」
「誰が……アンタを認めるもんか……こんなことをしても、誰も付いて来たりしない」
「どうかな。俺には百万の信者を自力で手に入れてる。トムと結婚させたのも俺の命令だ」
「ど、どういうことよ」
「外国人団体のアークのトップは俺だ」
来た。
「各国の政府が消えて戸惑っていた在日をまとめたのが俺だ。ノアとして、親父の力も借りずに自力で一つにしたんだ。この力で日本を立て直す。お前の王族を傷つけろと命令したのはそのためだ!」
「王族を攻撃して日本が立て治るはずがない!」
「なるんだよ。百万人の在日を労働力としてユーストルを開発する。無限のフォロンを使って実権を手にすりゃ世界中が日本の言いなりだ。そうなる計画は全部立ててる」
忌々しいが、あの女子大生が考えた推察は当たっていたようだ。
「アンタの中じゃ上手くいくかもしれないけど、こんなことをして日本のためになるなんて絶対にない! このドラ息子!」
「……バカは死なないと分からないみたいだな」
村田は須川にまたがるようにベッドの上にのぼると、両手で首を絞めてきた。
「あ……あっ……」
脅しのような首絞めではない。本気で殺す締め付けだ。
息が出来ず、血流が滞って顔が内側から圧迫される。
手や足で藻掻こうとしても大の男に馬乗りにされて首を絞められたら、女の腕力では何もできない。
掴める物はシーツくらいしかなく、映画みたいな反撃は何も出来なかった。
視界がぼやけて暗闇が端からやってくる。
死が見えた。
「警察だ!」
ドアが勢いよく開き、複数の足音が部屋の中へと入ってきた。
「村田一郎! 婦女暴行及び殺人未遂の現行犯で逮捕する!」
「なっ」
背広を着た人と警察官の制服を着た人が五人、十人と部屋になだれ込み、最初に入ってきた背広の刑事が須川の首を絞める村田を体当たりで引きはがした。
「被害者確保! 救急車を至急呼んでくれ!」
「どうして警察がここに! おい、手錠をかけるな!」
「大人しくしろ!」
「俺を誰だと思ってる! 俺を逮捕することは出来ないはずだぞ!」
「アンタが誰だろうと現行犯で逮捕出来ないわけないだろ! 大人しくしろ!」
「もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね」
ベッドの外で村田と警察が揉めている中、女性警察官がそっと片に毛布を掛けて声をかけた。
「ごほっ……ごほっ! も、もう……だいじょ……?」
「喋らなくていいですよ、楽にしてください」
「琴乃! お前が呼んだのか!? お前には色々としてやっただろ! その答えがこれか!」
「お……お金で脅して、無理に抱いて、好きに利用して、恩を持ってるわけないでしょ」
「これは違うんだ。そ、そう! プレイの一環なんだ! 琴乃、そうだろ? お前ドMだからさ」
手を後ろで手錠を掛けられ、誤解を解くように懇願する村田。
今までは立場が違ったから歯向かうことが出来ず、とにかく大きく見えたがこうして見ると偉く小さく見えた。
「……フッ」
こんな男にいいようにされたかと思うと自然と嘲笑が零れた。
「ドMだからって殺されたいわけないでしょ」
「立て。話は所で聞く」
「待て! 電話を掛けさせろ! 五分でいいから」
「お前にその権利はない。立って歩け!」
「俺は国会議員だぞ! 不逮捕特権があるんだぞ!」
「現行犯にはない!」
村田はいくら喚いても警察は動じない。暴れると数人で取り押さえられてホテルの部屋から連れていかされた。
「須川さん、すぐに救急が来ますので座って待っていてください。どこか痛いところはありますか?」
「いたるところが痛いです」
「すぐに来ますからね」
「……トムさんに会いたいです」
さすがに警察の作戦に民間な上に身内が同行することは出来ない。
警察から連絡が行っているだろうが話がしたかった。
「病院で会えますよ」
婦警は絶えず励ましの言葉をかけ続け、五分後に来た救急隊員によって病院に運ばれていった。
*
『以上です』
須川が運ばれていったところで映像は終わり、羽熊は一度溜息を吐いた。
「殺されかけてまでキーワードを引っ張り出したんですか。あいつは」
『村田一郎を逮捕することは確実でしたが、村田剛太へのけん制の言葉を引き出すのは賭けでした。ですが欲しい言葉を全て引き出してくれたおかげで、もう村田一郎は何も出来ません』
父が子を救おうとすれば、ノアとしてアークをどうしようとしたのかが世間に広まり、道連れで権威や権力が音を立てて崩れてしまう。
忘れっぽい国民でも自分たちを切り捨てようとした百万人の外国人は長い間覚え続けるはずだ。
『その上で私の辞職となれば二つの条件から手を出さない方が得策と分かりますし、証拠を握っている限り辞職後も下手なことはしないでしょう』
「これで決着ですか?」
『いずれまた別の問題が出るでしょうが、それはその時の政権に委ねます』
「では佐々木総理は……」
『来月の春の叙勲の夕方、記者会見を開いて任期満了による辞任を表明します』
「どう、答えればいいのか分かりませんが……お疲れさまでした」
『日本は正真正銘新時代を迎えます。前時代の老者がのさばっても老害として嫌われるだけです。あらゆる分野で軌道に乗り始めた今が世代交代する絶好の機会です』
「……なら私の役目もそこまでですね」
改めて辞任の意思を聞いたところで羽熊も決意した。
「内閣官房参与、総理の辞任に合わせて辞めさせてもらいます」
『そうですか。出来れば次の政権でも協力いただけたらと思うのですが』
「異地の研究は今後も続ける気持ちですが、これ以上政治や外交に絡むのは控えたいのです。本職である教諭として教鞭を握りたいんです」
『……分かりました。正式な手続きを経て辞職としましょう。ああ、ついでに春の叙勲についての連絡もしますので』
「それ、本当に授与されるんですか?」
『あなたが授与されないなら誰もされる資格はありませんよ。博士はそれだけのことをその若さでしたのです。堂々と授与されてください』
「分かりました。ありがとうございます」
『では私はこれで』
「失礼します」
画面は消え、ディスプレイに自分の顔が映る。
「……ふぅ、これでようやく終わりか」
まだ日本の海問題や経済やらユーストルの開発特区と問題は山積みでも、ひとまず秘密裏の問題は解決だ。
これからも政治絡みの光と闇の事件は起きるだろうが、百万人規模の人々が巻き込まれる暗躍はないだろう。そう信じたい。
時計を見ると昼休みが終わる。
ノートパソコンを閉じた羽熊は立ち上がり、準備を整えて部屋を出た。
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