第100話『日本帰国』



 結果から言えば、イルリハランが主催した日本人の首都観光は成功で終わった。



 その裏では様々なドラマがあれど、表向きでは些細なトラブルもなく終わったのが歴史として後世に記されるだろう。


 日本を出発して八日目。首都観光六日目の夜に日本人百一人を乗せた〝ひたち〟はイルフォルンを離れ、日本への帰路についた。


 一般観光客五十人に対してのトラブルは表向きでは一切起こることなく終わり、異地のメディアもこぞって成功の報道しかしない。



 日本人同士による刺傷事件や、他国工作員による日本人拉致未遂、巨木炎上、演習と称しての敵飛行車撃墜などは、政府の圧力か報道規制かは分からないが一切報道されなかった。


 自分の部屋に戻ってから帰国までの二日間、一切することが無かった羽熊は受信する異地のテレビを見続けたから間違いない。


 闇の事件は闇に葬り去る。まさに映画やドラマのような幕引きだ。



 羽熊は今回初めてリアルの国家の闇を目の当たりにしたが、きっと日本も昔からこうした表に出ない事を色々としていたのかもしれない。


 しかしそれは国家運営のため仕方のない締めくくりで、国民が知らなくてもいいことは知られないようにする。それが国家運営で欠かせない責任なのだろう。



 ちなみに帰路に着く〝ひたち〟を護衛する飛行艦の数は二隻から四隻に増えた。


 未遂とは言え拉致を許してしまった反省と謝罪の意らしい。


 そしてレヴィロン機関の限界性能である時速七百キロの乗り物に乗り移る方法は存在しないので、二重の意味で安心していいとのことだ。


 レヴィロン機関に関しては羽熊も良く知っているから、その言葉に油断もフラグもないとして安心している。


 とはいえ家に帰るまでが遠足の言葉の通り、接続地域に戻るまでは警戒は怠らない。



「洋一さん、体まだ動かないんですか?」



 ベッドのそばで椅子に座り、その上で胡坐をかいて頬杖をする鍬田は不貞腐れるように言った。



「もう三日目ですよ? いくらなんでも治るの遅すぎじゃありません?」


「日頃運動をしていないから、突然の運動に体がついていけてなかったんでしょう」


「……服の上からじゃ分からないですけど、ぽっこりお腹じゃないですよね?」


「君らね、動けないからって散々なこと言わないでよ」



 ベッドの上で座る羽熊は苦笑しながら文句で返す。



「そりゃ洋一さんの苦労を考えたら体が悲鳴を上げるのは分かりますけど、それでもデスクワークだけじゃなくて軽い運動をしていたらもう治ってると思いますよ?」


「せっかく日本軍の基地にいるのだから、兵士と一緒に動けばいいじゃない」


「洋一さん、転移してからどれくらい太りました?」


「だー、二人とも楽しんで言ってるだろ!」


「せっかくマウントが取れるんですから楽しんだっていいじゃないですか」


「私は純粋に助言のつもりだけどね」



 その割にはルィルは微笑んだ顔をしていた。明らかにからかい気分で言っている。



「真面目に言って健康的な生活はしたほうがいいわよ。見た目は標準的でも、それって不規則な生活をしてるからでは?」



 ルィルの言う通り、羽熊は仕事ばかりしていて食事は栄養食で済ませていることも度々ある。運動不足でも食事量が少ないから太ることはなかったが、健康的ではないことも確かだ。


 いくら太っていないなら健康的と言うわけではない。



「いつも自衛隊の食堂でご飯を食べてますよね。自炊はしないんですか?」


「自分の部屋に台所はないから作ってはないよ。それに人の手作りなら食堂でも同じだよ。ていうか君もだから分かってるだろ」



 むしろ自衛官のために栄養のバランスが考えられた良いものだ。自分で作るより体にいいに決まっているし、鍬田などマルターニ語修学組は隊員寮を有料で賃貸して就寝をしているから勝手は知っているはずだ。



「それでも運動はしたほうがいいかな。日本に戻ったら軽く運動をするよ」


「……ルィルさんルィルさん、きっと三日坊主ですよ」



 とあからさまな耳打ちをする。



「美子、君は健康と不健康、どっちを願ってるんだよ」


「もちろん健康ですけど、軽い気持ちでするって人のほとんどがすぐに止めちゃうんですよね。私もダイエットしようとしてもすぐに諦めちゃいますから」


「そうね。したい程度の気持ちってすぐに挫けるから、するって決意は持った方がいいわ」


「勉強にも当てはまるね。経験から成績の良し悪しに決意はあるよ」


 同じ時間、同じ量の勉強をしたところで、する決意の有無で成績は大きく変わるのは当たり前の話だ。


「分かった。この筋肉痛が治ったら真面目に運動をするよ。じゃないと突然死もありうるからね」



 羽熊自身、この生活を続けたら老衰の前に過労死してしまうことは予見していた。


 睡眠不足に中途半端な栄養バランスの食事。過労故に運動不足と、体に良くないことは誰が見ても分かる。


 今回の旅行を機に生活レベルはレヴィアン騒動以前に戻するつもりだから、壊れかけた体を元通りにしよう。



「運動するなら付き合いますよ。一人でするより二人の方が飽きないですから」


「ありがと」



 外交に関する仕事を全てしていない羽熊にとって、人との他愛ない雑談がなによりの暇つぶしになる。それは鍬田も同じでただただ話をする。


 するとルィルが反応を見せた。


 遅れてチャイムが鳴る。



「博士、誰が来る予定でも?」


「いえ、もう政府の仕事は帰るまでしないと伝えてるので」



 そして政府関係者以外で知り合いは一組しかこの船には乗っていない。


 ルィルはドアに近づいて覗き穴から外を見る。



「トム夫妻よ。須川もいるわ」


「……ルィル、開けてくれる?」


「いいの?」


「ここまで来てなにかすることはないさ」



 一度失敗し、赤裸々なことと黒幕を自供したにもかかわらず命令を実行しようとするならそもそも村田の言いなりにはならない。


 羽熊の指示でルィルはドアを開けると、トム夫妻と監視員としてSPの三人が入ってきた。



「博士、お久しぶリでス」



 トムとはあの朝以来会っていない。年齢と筋肉痛もあり、羽熊ほどではないが同じように身動きが取れなかったのだ。



「トムさん、すみませんベッドの上からで。鈍っていたところでのアレで筋肉痛が治らなくて」


「いえ、突然来てすみマせん。どうしても琴乃さんが話しがシタいと言うことで。あア、もちろん二メートル以内ニは近づかせません」



 二メートルの距離ならルィルもSPも反応して止めることが出来る。前科を持つからこその配慮だろう。


 トムだけでなく須川もいることで鍬田は眉間にしわを寄せあからさまな警戒心を見せる。


 羽熊は吠えないように無言で鍬田の頭を軽く叩く。



「それで須川、話ってなに?」



 羽熊の中ではあの夜のことはもう区切りをつけている。よって蟠りはなく平静を保って話しかけた。



「洋一、鍬田……さん、申し訳ありませんでした」



 腰を直角に曲げるようにして深々と謝罪の言葉を出した。



「あの日の夜、洋一の腕に一生の傷を残して、鍬田さんの顔を傷つけたこと……許してもらおうとは思ってません。ただ、謝らせてください。申し訳ありませんでした」



 あの日から今までの間に心境に変化があったのだろう。須川はあの日、頑なにしなかった謝罪を二人の前でした。


 須川から見れば幸福の中にいる二人と相反するからはらわたが煮えくり返るほどだ。だから刺傷事件を起こす原動力となったのだから、非を認めて謝罪するのは大きい変化と言える。


 さすがに他人の本音までは分からないため、この謝罪が本音か建て前かの判断は出来ない。



「……」



 鍬田は今すぐにも吠えたそうな顔をしながらも我慢をする。



「鍬田さんの言いたいことは分かります。今謝ってるフリをして、部屋を出たらもう気にもしてないんじゃないかって思ってるでしょ」


「っ……ええ、私はあんたを一切信用してないから」


「だから責任を取るつもり。それで私の気持ちが本当だって分かってもらえますか?」


「責任ってなに? 坊主にでもなるの?」


「村田の逮捕に協力します」



 須川の口から意外な言葉が出た。



「へぇ、飼い主に噛みつくんだ」


「そういう美子もやたら噛みつかないの」


「私の言ってることの裏が取れたらすぐにするそうです。詳しいことは聞かされてないけど、私は協力するつもり」


「元凶を逮捕して責任を取るってことね。でもそしたら村田が請け負ってた借金って戻ってきたりしないの?」



 村田は須川の借金を肩代わりにし、借金分の奴隷としてこき使ってきただけだ。逮捕されるなら、していなかった請求をすることになる。



「そレは私が払います。妻の負債なノで、夫が払うのは当然デス」



 夫婦で話し合いをしたのだろう。トムがさらなる肩代わりをすることを明言する。



「でもそれでは借金がグルグルまわるだけで意味ってないんじゃないの?」


「イエ、借金の移動はコレデ終わりでス。もちロん琴乃サンには、一生を掛けテお金は返してもらいマすが」


「三千万……を?」


「この場合って罰則分も増えるんですかね。そしたら、億?」


「琴乃さんノ話では借金の肩代わリの契約書は交わシテも、命令違反ノ三倍罰則はナいそうデすね。それに返済といッても満額は求めてハナいです。毎月最低千円を正しイ稼ぎかラ返してもらいマす」


「毎月最低千円……」



 一生という条件とおそらく離婚不可もあるだろうが、借金の額に対して破格の要求だ。



「これは二人でよく話をシテ決めました。私が一方的に決メたわけではアリません」


「……ってことはあんたは死が二人を別つまでトムさんの妻をするの?」



 トムと須川は愛し合って結婚したわけではないことを知っているから、知らない人が聞いたら失礼極まりないことを鍬田は訪ねる。



「この人はこんな私のことをちゃんと想って色々と言ってくれているのが分かったから、精一杯応えるつもり。いま施設に預けてる子供も、自分の子供として接してくれるから」



 これを初対面で聞くなら信じられるのか不信感しかないが、この旅でトムの聖人らしさはよく分かった。間違いなく嘘偽りはないだろう。


 あの日の顔と比べて肩の荷が下りているのがよくわかるから、村田みたいな扱いはしないはずだ。少なくともあの九死に一生を共に過ごしたトムのことは信用できる。



「それがお前が選んだことならしたらいい。そのことで言うことは何もないよ」


「洋一さんの刺され損ですけどね」


「美子、そこを引き合いに出すと終わらないからもう黙って。その件はもう終わったんだから」


「……はーい」


「須川、俺も村田を止めるにはお前の協力が必要だと思ってた。ノアとしては無理でも、婦女暴行の現行犯なら言い逃れは出来ない。しかも政治家だ。世間の目を何より気にする職業だから、最悪不起訴になってもニュース沙汰になれば政治家生命はまず終わりだろ」



 村田が国家規模の暗躍しているのは、親の後ろ盾もあるが自身が政治家であることもあるはずだ。親の方は総理が止めるから、政治家としての村田を黙らせればアーク問題は何もなかったこととして終わる。


 逆を言えば、村田をここで黙らせないとあの手この手で世論を煽るだろうから、一気呵成での解決が望ましい。


 ただ、羽熊はこの件には今後関わらないから成否の結果を聞くだけだ。



「けどよく心変わりをしたな」



 マインドコントロールは生半可なことでは解けはしない。かつてのカルト宗教が起こした化学テロも、重度のマインドコントロールがあったからでその中では誰も非常識とは認識しなかった。


 須川も方法はともかく同じで、言いなりになる以外の選択肢はなかったはずだ。



「ずっと、どんな時でも味方でいてくれると言ってくれたから……」



 そう答えるとトムと須川は照れくさそうにする。


 二人の接点はそう長くないと聞くが、きっとトムは事案が起きる前から須川に対して色々と話していたのだ。それが冷たく閉ざした心の開花に繋がったのだろう。



「ならもう言うことはないよ。トムさんを失望させないようにな」


「底なし沼に沈んだ私を引き上げてくれた人を裏切るなんて出来ないよ。絶対に裏切ったりしない」


「その言葉、信じるよ」



 もう前のような闇落ちした顔はしていない。



「精々また闇落ちにならないことね」


「迷惑をかけてごめんなさい。全力で頑張るわ」


「当然よ」



 結局鍬田と須川は相容れぬまま終わってしまった。けれど少しだけ和みはしたようだ。



「羽熊博士、あの時は本当にありがトウございましタ。船に戻ってカラ会えなくて、改めてお礼が言えなかったからようやく言えマした。あなたがイナければ今頃はどうナッていたか……」


「こちらこそトムさんがいなければ狼煙を上げられたか分かりませんでしたし、一人では心細くて精神的に参っていました。こちらこそありがとうございます」


「日本に戻りましタらいつか食事でもしまシょう。もちろん琴乃さンと鍬田さんも一緒ニです」


「楽しみにしています」



 そしてトム夫妻は部屋から出て行った。



「……これであの女の件は終わりですか」


「これ以上責任だ何だとしても誰かのためにはならないよ」



 刺傷事件は終わったことだ。なのに責めても誰一人報われることはない。


 誠心誠意の謝罪をしたところで止めるのが潔いというものだ。



「どうでもいいですけど、トムさんが村田化とかしませんかね」


「しないと信じてるけどしたらしたでその時さ」



 それを気にしては人間関係など成立しない。



「とりあえずこれで気持ちよく日本に帰れる」


「たった十日間でしたけど、何ヶ月も掛かった感じがしますね」


「それだけ濃密だったってことだよ」


「次にイルフォルンに行けるのはいつになりますかね」


「ハーフ問題があるから気軽には無理だろうな。ユーストルに出るのも簡単じゃないから」


「ハーフって本当に遺伝子が残り続けるんですか?」


「らしいね」



 超人は伏せられても黒髪が何世代でも残り続けることは公表されている。


 短期間では脅威ではなくても、何百や何千年も経つと消えない遺伝子が次第に浸食していく。


 外来人種として自覚があり、一切広まっていない今だからこそ注意して食い止めなければならないのだ。



「だからこの場合、狙われるなら女性よりは男性かな」


「……あー」



 誘拐拉致で定番は女性や子供だが、これに関しては男性の方が断然割合は高い。その理由を鍬田は察して乾いた声を漏らす。



「しかも拉致誘拐自体しなくても、トイレとかでコトをするだけで済むから未来での悪影響を無視したらウィンウィンな関係になれる」


「最低……」


「まったくね」



 と、女性二人が汚物を見るような目で羽熊を見る。



「……だからユーストルに出るのも容易じゃないんだよ。かと言って今回みたいな招待じゃ予算が莫大になるから、出来て政府要人くらいじゃないかな」


「じゃあ日本国外で住むなら去勢は必須と」


「真面目に言えばそうなるよ」



 男としては絶対に避けたい処置である。



「洋一さん、まさか異地研究だからって日本国外で住もうとか思わないですよね?」


「思わないよ。強いて接続地域までだよ」


「ホッ、良かった」



 何が良かったかは聞かない。



「博士、今後も言語学を中心とした政府の仕事をするの?」


「このフィリア社会全般の研究は続けるけど、政府の仕事は考え中かな。今までは日本存続のためにがむしゃらに最前線で働いたけど、もう後任の人も育って来ているから無理に前線に居続ける意味はないよ」


「私もその方がいいと思います。洋一さんは働きすぎなんですよ。定時とまでは言わなくても自分の時間と睡眠時間は十分に取るべきです。じゃないと……」


「じゃないと博士と一緒にいる時間がなくなるものね」


「ルィルさん!」


「ちゃんと二人が交際している実績を見せてくれないと、私の方にその話が振られるのよ。記者会見とまでは言わないから、ラブラブなところとウチの国の記者に見せてほしいの」



 ルィルはルィルで己のために羽熊達をくっ付けようと努力をする。



「ならルィルさんも誰かと付き合ってくださいよ。リィアさんとかエルマさんとか候補はたくさんいるでしょ?」


「…………ヤダ」


「クールなお姉さんキャラから一転して子供みたいなこと言わないでください!」


「私は軍人であることに誇りを持ってるし天職とも思ってるの。男なんて作ってられないの」


「そこはうまく両立してくださいよ。洋一さんばかりに押し付けるんじゃなくて、自分でも何とかしてください」


「別に両方である必要はないでしょ」


「キーッ……!」


「美子、そこまでにしな」


「だって洋一さん」


「ルィルが誰と付き合うかはルィルが決めることだから外部が言うことじゃないよ。友達でも親友でもさ」


「でも……」


「そう言うのを余計なお世話って言うんだよ」


「……分かりました。ルィルさん、ごめんなさい」


「いいのよ。言いたいことは分かるから。私こそごめんなさい」



 どうにか加熱しあう前に和解して胸をなでおろす羽熊。


 これ以上のいがみ合いはごめんだ。


 ただ、こうした他愛ない雑談が何よりの暇つぶしとなり、時間は確実に過ぎていく。


 そしてイルフォルンを出航してから五十時間が経過した夜十時頃。


〝ひたち〟の前方に光眩い日本の都市群が見えてきた。


 実に十日ぶりの日本である。


 暗闇の中で日本列島の形に灯る光。光と闇の境界線から少し離れたところで灯る光はラッサロン天空基地。他ユーストル各地で結晶フォロンの掘削作業による光が見え、無事に戻ってきたことを感じさせる。



『ご乗船の皆様にお知らせします。まもなく須田空港に着陸するため減速を始めます。お立ちの方は壁、手すりなどに掴まるようお願いいたします』



 アナウンスのあと、前に軽く引っ張られる感覚が来て減速しているのが分かる。しかしエスカレーターに乗っているような体感で倒れてしまうほどではない。



『着陸するまでは部屋でお待ちいただくようお願い致します。一般乗客の皆様は左舷前方入り口のバスに乗車してください』



 十日前の出発式の逆だ。着陸後、一般乗客は目隠しされたバスに乗ってそのまま接続地域を後にし、政府が用意したホテルに一泊して翌日に日本各地の家へと帰っていく。


 その際にメディアのインタビューに受けるか否かは当人たちに任せる手はずだ。


 羽熊はそもそも接続地域に住んでいるから、空港から須田駐屯地に入ったところで下車をする。おそらくマイクを向けられるだろうが、楽しかったなど当たり障りのないことでいいそうだ。


 さすがに無視は印象が悪いので一言だけは言うように言われている。


 鍬田は姿を見られては困るので、報道陣がいなくなるまでは下船をしない。


 減速を体感しながら下船する準備をする。すでにほぼ終わらせているから身なりを整える程度だ。


 ちなみに羽熊は支給されたお土産代用の二十万セムは使っていない。


 予定された日は絶賛筋肉痛で身動きが取れなかったため、一切使う機会がなく終わってしまったのだった。鍬田も付き添って買い物をしなかったので同じように余らせてしまっている。


 なら護衛のお礼としてルィルに渡せたらと思ったが、渡すと法律に反するため欲しいものがあれば代わりに買ってきてもらうで落ち着いた。


 減速に加えて高度も下げ始めた。



 もうすぐ長く短い旅が終わる。


 辛いことが多くあれど、一生残るいい思い出だ。いつか出来る子供や孫に話してやりたいものだ。


 羽熊はそう感慨に耽っている中、〝ひたち〟は順調に着陸の準備を進める。


 接続地域、少し離れた位置にある須田空港が照らす明かりが強くなり、帰国の瞬間を報道しようとメディア関係者が見える中、〝ひたち〟は日本に着陸した。



『乗客の皆様、お疲れさまでした。当船は須田空港に着陸致しました。係員の誘導により下船を始めてください』



 放送を聞いて荷物を持った羽熊は外に出る。同時に多くの部屋のドアも開いて政府職員が出てきた。


 まだ筋肉痛は残っていて痛みはあるが、歩けないほどではない。


 メディアに顔を見せる佐々木総理夫妻を除く政府関係者は左舷後方のバスに乗り込むので、慣れた船内を移動して後方へと向かう。


 尚、佐々木総理はある意味陽動としてメディアの前で下船することで人々の目を集め、その裏でひっそりとバスが移動をするので移動自体は楽なものだ。


 そのうちの接続地域に住んでいる羽熊と鍬田はユーストルから須田駐屯地に入ったところで止まり、羽熊はバスから下車する。


 すると予想された通りにバスを追いかける報道陣が羽熊に群がりだした。



「羽熊博士! イルフォルンはいかがでしたか!?」


「一言コメントを下さい!」



 予想通りの質問が来る。



「楽しかったですよ。人生観が変わりました」



 時間からしていま報道している番組で使われるのだろうなと思いながら答え、それ以上の質問には答えずに歩き続けて隊員寮へと入った。



「おかえりなさい」



 隊員寮の中には自衛官が待っていて、今までしたことのないカーテンをドアにかけて中の様子を見せないようにする。



「ただいま戻りました」



 自衛官は挨拶以外のことは何も言わない。質問攻めにすることを避けたのだろう。


 見かける自衛官は普段と変わらない雰囲気で羽熊に近寄ろうとはせず、おかげで立ち止まることなく自分の部屋まで行くことが出来た。



「ただいま」



 十日振りに入る部屋に、静かに挨拶をして入る。


 変わらぬ見慣れた部屋。書類と本だらけで人を招くにはふさわしくない部屋だが、どこか懐かしさと安心感を覚えさせられる。



「……ただいま」



 荷物を下ろしながら、羽熊はもう一度挨拶をして日本に帰って来たことを噛みしめた。

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