第89話『間一髪』



 総理やSP、政府高官など要人が大勢一台の乗り物にいるから、不安を抱いてはいても今日この時動くとは思わなかった。


 羽熊がゾッと何かを感じて振り向くと、鍬田の無人後部座席に立つ須川に気付いた。


 薄暗い車内で見る須川の顔は、ヤマンバ以外に表現がしようがない怒気にまみれたものだ。


 そこからは何かを考えてではなく、意識が理解した時には勝手に体が動いていた。


 鍬田の前席に座る羽熊は、鍬田の座る後部座席に身を乗り出して左腕を伸ばす。


 指先が鍬田の額に触れて小突いた瞬間、手首に近い前腕に激痛が走った。



「がっ!」



 映画みたいに手首に着けているスマートウォッチが身代わりになってくれることなく、須川が振り下ろした何かは左腕に深く突き刺さった。



「きゃああああああああ!」



 寸前にまで来た恐怖に鍬田は絶叫し、車内の人間は一斉に振り向いた。


 前方を向いていて奇襲に反応できなかったルィルは、気づくやすぐにエミリルの盾として前に立って須川に腕を伸ばした。


 ただでさえ激痛が走る左腕に、さらなる激痛が加わった。


 腕に刺さった何かは、腕に対して垂直ではなく手首方向に斜めで刺さっている。それを引き抜こうと垂直に抜こうとすれば、てこの原理で先端が余計に肉に食い込んでさらなる激痛を生むからだ。


 三十二年の人生で初めて経験する痛みに、羽熊は歯を食いしばることしか出来なかった。


 時間で刺さってから三秒だろうか。しかし何時間とも耐えた気がした中、周りが動いて須川を取り押さえた。



「やああああ、離してええええええ!」


「大人しくしろ!」


 外とは違う絶叫がバス内を満たす。


「ぐううううう」



 羽熊は伸ばした腕を引っ込めて、強く刺された物ごと傷口を右手で握りしめた。激痛が脳内を駆け回る中、刺された物は抜いてはならないと言う知識だけははっきりとしていた。


 何かが刺さった場合、抜けば塞ぐものが無くなって出血がひどくなる。もし今腕に刺さっているもの、シャーペンが血管を傷つけていたら抜いた瞬間大出血するかもしれない。


 限界まで伸ばしたことで袖から腕が露出してしまったため、背広による防御は叶ってはいないが、出血を吸って地面に垂らすことは防いでくれている。


 羽熊は右手で抑えたまま腕を斜めに上げ、傷口からあふれ出る血を服に吸わせた。



「エミリル様、お怪我はありませんか!?」


「わ、私は大丈夫。それよりも羽熊博士が……」


「洋一さん!」


「博士!」


「すぐに病院……あ、いえ、〝ひたち〟に急行させなさい!」



 原則的に観光は事前に決められたスケジュール通りに行動するが、不測の事態に備えてイルリハラン外務省から責任者が同乗している。さすがに異星人同士で傷害事件が起きるのは想定外のことではあるだろうが、判断を下すのはその責任者だ。


 しかしその責任者は突然のことに動揺したのか何の指示を出さない。


 代わりにルィルが責任者へ指示を飛ばした。



「待って!」


 しかし適当な指示を止める命令が車内に響いた。


「いまバスの移動はダメ。この観戦が終わるまで動かないで」


 命令を出したのはエミリルだった。


「ですがエミリル様、見ての通り大けがをしているんです。ここには救急キットもなく治療できないので戻らなければ……」


「いま予定外の動きをしたら真相を調べられて果てには国際問題になるわ。それだけは絶対にしてはダメ。私の責任でいいから移動させないで」


「私は大丈夫です。レースが終わるまでここにいましょう」



 エミリル王女の判断に羽熊も賛同する。


 ただでさえ王室が乗っている車内で傷害事件が起きたのだ。狙いがエミリル王女ではなく鍬田で、実際に被害を受けたのは羽熊ではあるが、ここで戻ればテレビ中継されているから理由を求められる。


 今後国際問題に発展するのかは分からなくとも、今は予定通り動くべきだ。


 ホスト国がけが人を放置するのはしてはならないが、国家レベルの政治判断なら妥当だ。


 異変を周囲に気付かれないように終わらせるのだ。



「洋一さん……」


「鍬田さん、怪我はない?」



 気づくと後部座席から回り込んできていた鍬田が羽熊に寄り添う。その眼には大粒の涙が溜まっていた。


「はい、私は大丈夫です。って洋一さんの方が重傷ですよ!」


 腕を見ると数センチと斜めに刺さったシャーペンがあり、刺さった部分からにじみ出るように出血して白いワイシャツと背広の袖を赤く染め上げていく。


 注射の数十倍の激痛を発しているが、それでも微動だにしなければさらなる痛みは生まない。



「羽熊博士すみません。本当なら治療のために〝ひたち〟に戻らせたいところですが」


 エミリル王女が近づいてきて謝罪の言葉を述べた。


「理解しています」


「ありがとうございます」


「博士、これは抜くと出血しますので、このまま傷口を縛ります。痛みますがよろしいですか?」


 一人のSPがハンカチと身に着けているネクタイを解いて近づく。



「お願いします」


 SPは任務状訓練をしているのか、手慣れた様子でネクタイを傷口に当てて巻き付け、ギュッと一気に締めた。


「いぎっ!」


 覚悟はしても慣れない瞬間的な痛みに、思わず声が出てしまう。


「離せ! 離してえええええ!」


 止血されている中でも須川はSPに取り押さえられながらも叫び続ける。



「トム代表、少し話を聞いてもいいですか?」


「は、はい。私はこのことに関与しテイない、と言っテも信用さレナイので、話せるコトは全て話しまス」



 須川はトムの妻だから当然共犯や首謀者として疑われる。SPは静かに声を掛け、トムは反発することなく従った。


 そして取り押さえられた須川はSPに手錠を掛けられ、暴れながらも最後尾へと連れていかれていった。



「羽熊博士、気分はいかがですか?」



 常に発する激痛で全身から汗が噴出し、服が張り付いて気持ち悪さを感じていると声を掛けられた。声の方に視線を向けると、そこには心配そうに見てくる佐々木総理がいた。



「注射の数十倍の痛み……ですね。ジッとしていたらまだ落ち着きますけど、ちょっとでも動かすと痛みます」


「警護体制が甘く申し訳ありません。出来ればすぐに戻りたいところですが、エミリル王女の言う通り今すぐの移動は避けなければなりません」


「ここまで来て国際問題は避けたいですからね」


「これだけの人がいながら、博士に負担を敷いて申し訳ない気持ちでいっぱいです」



 完全なるゼロから今日まで、羽熊を始め多くの日イの人々が地道な努力を続けて信頼を築いてきたのだ。それがたった一度の傷害で水の泡など決してさせてはならない。


 一億二千万の生活を守るためにも、この激痛に耐える。



「いえ、私はただ女性の顔を守っただけですよ」


「洋一さん、ありがとうございます。助けてもらって」


「怪我がなくてなによりだよ。君の顔が傷つくのと、腕が傷つくなら腕の方がマシさ」


 目の前で刺傷が起きれば老若男女問わずトラウマになるかもしれない。感受性の高い鍬田なら特にPTSDになるかもしれず、須川を挑発をした経緯もあるから羽熊は格好付けたセリフでケアを入れた。


 鍬田の行動と名前呼びで周囲に関係性は知れ渡るだろうが、今更気にしてもせんないことだ。


 無事な右手で頭を撫でてやり、油汗でびっしょりと顔を濡らしながらも笑顔を見せる。



「……あの女、私を狙ってましたけど、ひょっとしてエミリルも狙っていたんですかね」


「だったら二人目で狙うよりは一人目で狙う方がいいはず」



 その一度目も羽熊の阻まれてしまったが、それぞれの位置から見ると最初にエミリルを狙えば成功した可能性は高い。


 それとも鍬田が挑発をしたから狙われたのか、または鍬田を襲ってからエミリルを狙うかだ。


 ただ、エミリルを狙うなら日イ関係の妨害が目的だ。


 一般リーアンを刺傷しても十分妨害に当たるが、王室なら確実な妨害になる。しかも信頼関係を構築中なら崩壊はあっという間だろう。


 エミリルより先に鍬田を狙ったのは不幸中の幸いか。その真偽は須川が自白しなければ分からない。


 最悪なのが、アーク全体で企んでいて他のバスでも同様のことをしていることだ。


 もし起きてしまえば止めようがなくなる。そうなっていないことを祈るばかりだ。



「なんでこんなバカなことを……」


「それは本業に任せよう。知り合いってだけで首を突っ込んでいい事はないよ」



 SPは総理や要人を警護する警視庁の警察官だ。確か犯罪捜査は職務外としているが、本職が日イともにSPしかいないからするしかない。


 左腕から鉄の匂いがうっすらとしてくる。これが血の匂いなのだろう。擦り傷とか切り傷で血を流すことはあっても、ハンカチ一枚分を赤く染めるほど流血したことはないから初めての経験だ。


 外では車内の混乱とは違ってヴィッツで盛り上がりを見せている。


 他のバスを見ても別段変わりは見えなかった。マジックミラーになっているから車内は見えないが、動きが無ければ問題ないだろう。



「……他のバスは大丈夫ですかね」


「異常なしの返事が全車から来ているので大丈夫でしょう」



 痛みで混乱して忘れていた。バスが違えど無線で連絡が取れるのだから、他のバスで何かあっても知ることが出来るのだ。



「エミリル様、ヴィッツはあとどれくらいかかりますか?」


「予定では午後九時。あと二時間半はかかります。そこから帰路につくので、治療できるのは三時間後になります」



 三時間の言葉に、羽熊は感情を隠すことが流石にできなかった。


 一切動かさなければ恒常的な痛みを除いて新たな痛みはないが、その恒常的な痛みがかなりのものだ。これを三時間も耐えなければならないとは、我慢以外の選択肢がなくてもつらい。



「水、貰えますか?」


「どうぞ」



 言うやすぐにペットボトルに入った水が出され、キャップを外して手渡してくる。それを鍬田が先に手にした。



「私が飲ませます。洋一さんは動かないでいいですよ」


「鍬田さんありがとう」



 だが他人が他人に飲料水を飲ませるのは難しく、ペットボトルであっても零してしまう。それでも気持ちを壊すことは避けて、鍬田に持たせつつ右手を添えることでタイミングを合わせた。


 刺されたことで体の中で何が起きているのか分からないが、喉がカラカラになっていて一気に半分近くを飲んでしまった。



「痛いですか?」


「さすがにね。でも死ぬわけじゃないし、動かなければまだ我慢できるよ」



 不安な顔を見せる鍬田に、羽熊は精一杯の笑顔を見せる。


 刺されて五分は経ったことで大分痛みが落ち着いて来た。痛いものは痛いが、それでも動かさなければ我慢は出来る程度だ。


 でも痛い。


 だからこれ以上不安で自分を責めないように安心させる。



「総理、須川琴乃ですが、錯乱が続いて会話がまともにできません。身体検査をしましたが武器の類は一つも持っていません。武器が文具なので計画的ではなく、衝動的な犯行と思われます」


「トム代表と話をしましたが、トム代表自身は全く関与していないと否定しています」


「他の浮遊艇から報告がないことから、これはここだけのことと思われます。エミリル王女が狙われていたかは分かりませんが……」



 簡易な尋問をした二人のSPそう総理に報告する。


 以前にも考えたが、合理的に考えて須川とトムが繋がっている可能性は低い。


 実行犯と主犯が夫婦など、サスペンスドラマでも今時そんなかく乱はしないものだ。捜査線上に必ず浮上するから、よっぽどうまく証拠隠しをしなければすぐにバレてしまう。


 この国家存続レベルの国際問題をしでかすのに、そんな露骨なことをするとはどうしても思えない。


 するなら実行犯の須川を捨て駒にし、トムが主犯と容疑を押し付けて真犯人は知らぬ存ぜぬで逃げ切るはずだ。



「佐々木総理、この場合の管轄って日本とイルリハランどちらになりますか?」



 ふとこの事件はどちらで扱うのか分からなくなり、気を紛らわすのも含めて質問をした。



「イルリハランですね。エミリル王女、確かイルリハランは日本と同じで警察は被害届を受理して捜査が始まると聞いていますが」


「そうです。ですので、ハグマ博士が被害届をイルリハラン警察に出さなければ傷害事件は起きなかったとなります。逆に出せば、今この車内の出来事が全てメディアに流れます」



 被害者は日本人の羽熊で、加害者も日本人の須川。まだ車内の中で完結出来る事案だから、ここで羽熊が被害届を出さなければ世間が知ることはないのだ。



「なら我慢するほかありませんね」


 露見すらしてはならないから、日本に戻っても被害届は出せない。


「じゃあ、あの女は無罪ってことですか? こんなことをしておいて?」



 原理上はそうなる。そもそも事件はなかったとなるのだ。


 鍬田はあからさまに怒り心頭の顔を見せる。最悪顔に大けがを負いかけたのだから無理もない。


「もちろん何もしないわけじゃないよ。多分」


 現行犯であることには違いないし、一歩間違えれば重大な国際問題になっていたのだ。被害届の有無に関わらず、真相は突き止めなければならない。



「これで無罪放免だったら私が今度は刺してやる」


「それじゃ腕を痛めて守った意味がないよ。それにあんな女に成り下がってどうする。恨むなら上に立って笑ってやりなよ」



 人として良いとは言えないが、感情に任せて同じレベルに落ちるより、それをバネにレベルを上げて見下す方がまだ前進的だ。



「少なくとも須川が持ってなくて君が持っているのが沢山あるんだからさ、それを捨てることはないだろ?」


「……そう、ですね。持ってるの全部捨てる必要はないですね」



 鍬田は羽熊の右手に手を添えた。



「一番向こうが欲しいのは私は持ってますから」



 そう言って笑顔を見せ、中々たくましいなと感心した。



      *



 ここ近年で日本国内では『テロ』と表現する事件は起きていない。


 アメリカや中東では銃乱射や爆発テロがよくよく起きるも、日本では武器の調達から困難だ。一人の人間の手で大勢を殺傷して死刑判決されることは幾度とあれど、テロと認定されたのは地下鉄サリン事件以降起きていない。



 それはテロの定義の一つに政治的動機達成による暴力行為があり、いくら大勢を苦しめようと政治的動機が無ければテロとは認定されないのだ。


 だから仮に日本で銃乱射をしても、政治的動機が一切なければ事件として処理される。


 では今回の観光中による日本人同士による刺傷事件は、テロなのかそうでないのかは政治的目的の有無で別れる。



 もし本当の狙いはエミリル王女で、その理由が日イ関係の妨害であればテロ未遂事件となり、鍬田のみなら傷害事件となる。


 しかし、当の加害者の須川は錯乱状態が続いて意思の疎通が出来ずその確認ができない。


 夫であるトムに聞いても、何か悩んでいることは知っていても内容までは知らなかったの一点張りだ。


 状況が状況だけにエミリルが狙われて不思議ではないのだが、現状ではテロではなく傷害事件としか認証できないので事件として動くこととなった。



 ただし、これは日本国外での事件。被害届を出さないことで表向きはなにも起きなかったとされ、日本側は聞き取りによる真相究明に終始するしかできない。


 少なくともイルリハラン王国にいる限り日本側に捜査権はないのだ。


 文字通り間一髪の大事件を小事件に、果てには無かったことになって二時間半が過ぎた頃、九割方まともに見れなかった異地のスポーツは終わり、バス型浮遊艇は予定通り〝ひたち〟へと最短航路で向かった。



〝ひたち〟には政府側の人間として常駐する陸自の医官と看護師がいる。医療に関してはさすがにイルリハランに頼ることは出来ないため任務として同行しており、公平性を保つため〝ひたち〟から離れることはない。


 まず最初に政府側のバスが〝ひたち〟に接舷すると、最初にけが人である羽熊が小型ゴンドラで運ばれて医務室へと向かった。


 すでに無線で情報は伝えられているのですぐに治療がされるだろう。



 実行犯である須川は安全を理由に手錠を掛けられ、夫のトムと共に自室に入った。監視員としてSPの一人も入る。


 鍬田は被害者なので特に制限はないが、ヴィッツが終わるまでにSPに事情を聞かれて経緯については羽熊の交際を含めて話した。


 煽り過ぎと注意をされたが、その当時はそうなることは知る由もないため軽くで済まされた。


 本当は絶対に何かすると疑っていたものの、個人の感情が全面に出るからそのことは何も話してはいない。



 そもそも羽熊が事前に言っておいたのに、妨害工作はしないと言う根拠のない盲点を突かれたのだ。責任は警備を怠った日本政府にある。


 存在しない一〇一番目の日本人としてそこまで考える義理はない。


 ただ、羽熊の傷が大したことないと願うだけだ。


 出来れば一緒に医務室へと向かいたかったが、ルィルに止められて半ば無理やり自室へと押し込まれた。



「ルィルさん、医務室に行きたいんだけど」


「大人しくしてなさい。行ったところで治療の邪魔よ」


「洋一さんは私に代わって傷ついたんですよ。少しでも側にいたいです」


「別に重傷じゃないんだし、妻ならまだしも交際二日目の彼女が付き添ってどうするのよ」


「そりゃ、少しでも気が落ち着ければ……」


「先生の集中が切れて大事な血管や神経が切れたらどうするの? まあ無理に行ったところで外に出るように言われるでしょうし、外で待ってて他の人に見られたらどうするの? そう言う綻びから知られたくない秘密って広まっていくから、大人しく部屋で待ってなさい。朝の約束を覚えていたら来るでしょうし、忘れていても明日には会えるでしょ?」


「……ルィルさん凄い冷静だね」


「すぐそばにいながら反応できなかったのが悔しいのよ。須川のことは警戒していなければならなかったのに、反射的にエミリル様の方を守ったから……」



 イルリハランの兵士だから王室を守るのは当然だが、本来の任務は鍬田の護衛だ。それが果たせていないから悔しく、自分を戒めて冷静になったのだろう。



「それは仕方ないと思います。むしろ私を守って逆にエミリルが傷ついたら一生の後悔をしてません?」


「少なくとも軍は辞めるでしょうね。それと異星人を優先して守ったって差別もされるわね」


「もしそれで私が傷ついても、ルィルさんのこと責められませんよ」


「起きないこそが最良だったけれど、一応被害は最小に抑えられたと思うわ」


「私、洋一さんに色々としてもらっているのに恩返しできてない」



 羽熊には与えられてばかりでその返しをほとんどしていない。


 好きな人から与えられたのなら、尚更それ以上に返したいのに何一つできていないことに腹が立つ。



「羽熊博士は返しがほしくてあなたに色々としたのかしら? あなたは人に手を差し伸べる時に、この人はどんなことを返すんだろうって考えるの?」


「いえ……」


「博士があなたを守った時に、見返りに何が来るんだろうって考えながら腕を刺されたと思う? もしあなたが博士を同じように守ろうとしたらそんなこと考える?」


「考えないです」


「今は目の前に来た危険で興奮してるから色々と考えるのよ。日本の言葉で頭を冷やすってあるでしょ? シャワーでも浴びて落ち着きなさい」


「ルィルさんは大人ですね」


「そうでもないわよ。あなたの前だから格好付けてるだけ」


「……洋一さん、やっぱりルィルさんとの方が合うのかな」


「だったらあなたは身を引くの?」


「引きません!」


「私としてはホッとしてるのよ。博士が恋人を作ってくれたことで、これでいまだに言われる羽熊博士とのカップリングがなくなるんだから」



 羽熊もルィルもファーストコンダクターとして、いまだにフィクションのようにくっつくのではないかと言われている。


 羽熊が交際することによって堂々と「ない」と言えるからルィルとしては僥倖なのだ。



「さ、シャワーを浴びてきなさい。そうしたら少しは頭が冷えるでしょ」



 臭いをかいでみると、血の臭いがうっすらとして汗臭さもした。


 事件が起きてから今まで緊張のしっぱなしで、汗が出てしまったようだ。服には何摘か血痕も付着している事にも気づく。


 これはクリーニングに出さなければ落ちはしないだろう。


 けれど、これは羽熊が身を挺して守ってくれた証でもある。


 一張羅でもなければ高い服でもないから、洗濯こそしてクリーニングに出すのはやめよう。


 この血は守ってくれた証。そう考えると胸の内から何か溢れてくる。



「……鍬田さん、何考えているのか知らないけど、不気味な顔をしてるわよ?」


 つい愉悦に浸しんでしまい、ルィルに指摘されてしまった。


「ルィルさん、もしよかったら一緒に入る?」



 元々日本人より高身長にして空を飛ぶ人種が使うことを前提に作られた船だ。日本人用に改装しても基本構造は広く作られ、各部屋に作られているシャワー室も同じだ。日本人なら三人は同時に入っても余裕になっている。



「私も?」


「女同士ここまで来たんだから、一緒に入っても問題ないでしょう?」


「それだと護衛が出来ない。ついさっきあなたは狙われたのよ? 女二人裸でいる時に万が一襲われたら、さすがに私でも守り切れないわ」



 裸のお付き合いと思って声を掛けたが、首を横に振って冷静にダメ出しをされた。



「はい……」


「一緒に入るなら私じゃなく博士と入りなさいよ。傷口の保護をしっかりしてね」


「洋一さんと一緒……」


「妄想は後にして、さっさと行ってきなさい」


「はーい」



 これではいつまでも前に進まず、鍬田は羽熊とのアレやコレと言ったムフフな考えは頭の片隅に置いて服を脱ぎ始めた。

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