第73話『日本と異地のすり合わせ』



「博士、前々から思ってたんですけど、フィリアって年間四百日ですよね? どうして地球みたいにひと月三十日から三十一日なんですかね。二十ヶ月二十日間とか十ヶ月四十日の方が楽なのに」



 須田駐屯地言語学チームの一室にて、マルターニ語修学のために連日来ている鍬田はペンをノートに走らせながらパソコンを操作する羽熊に尋ねた。



「単純に月の満ち欠けが似てるからだね。もし四十日だったら年十ヶ月だったろうけど」


「えっ、ここでも月って裏側見えないんですか!?」


「ここっていうか、太陽系の衛星はみんな同期してるらしいよ」


「うぇっ、そうなんですか? 博士、よく知ってますね」


「ここに来てから広く浅く色々なことを学んでるよ。今のだってここの暦を調べたついでで学んだことだし」



 知らないDのことを知るためには関連するABCを知る必要があったりする。


 羽熊は異地の全てを知って適切な解答を用意しないとならないため、あらゆる分野で関連する地球の専攻外だった情報を色々と仕入れた。


 精通こそしなくても広く浅くは知っているつもりだ。



「ついでに言えば一週間七日なのはミストロ教が起源らしいね。確かグイボラを初めて殺した男女は、六日間連続で殺して一日休み、また六日掛けて殺したことから六日働いて一日休む七日制が始まったみたい。で、それらから調整して今の暦になったらしいよ」


「本当にここってグイボラが中心に文化が起きてるんですね。じゃあ地球の一週間はどうして決まったんです?」


「有名なのがキリスト教で創造主が六日で世界を作って一日を休暇にしたからかな。他には太陽系の太陽から土星の七曜とか色々所説はあるけど」


「どっちも宗教ですか」


「全ての国で文化の出発点は宗教からだよ。日本だってそもそも天皇の祖先が神様だし」



 神話上、天皇の始祖は日本の神の天照大神とされている。



「……私、あまり宗教って言葉好きじゃないんですよねぇ。色々と物騒ですし」


「言いたいことは分からなくはないよ。テロを起こす輩の大半が宗教を理由にしてるからね。けどそれを言うなら、クリスマスや初詣とかも全部否定することになるぞ」


「そうなんですよねー」


「日本は他の国と違って適当に接してるから和やかに行ってるんじゃないかな」


「……ところで博士、今何してるんです?」


「日本がフィリアに転移してからこれまでの手記」


「読みたいです」



 考える間もなく反射に近い速さで懇願してきた。



「ダメ。機密情報がひょっとしたらあるかもしれないから政府の添削が済むまで見せられないんだ」


「うぇー、転移したばかりの情報ってあんまり出回ってないんですよー。読ませてくださいよー」


「ダメ。しばらくしたら本として出るから買って読んでよ」


「しばらくっていつですかー。っていうかどのところまで書くんですかー?」


「とりあえずイルリハランと国交樹立したところまでかな。そこからは報道陣も駐屯地に入って報道されているし」



 転移当初は疫病の懸念から国防軍と学者しか接続地域にはこれなかった。そのため報道は政府発表を鵜呑みにするだけで現地の細かいことまでは出回ってはいない。


 それを羽熊の目線から見た現場の情報を本として出すわけだ。


 ただ、ハーフ問題など絶対に世間に触れてはいけない情報もあるため、政府による添削を義務としている。


 もちろん羽熊もある程度の機密情報は知っているので、あからさまに公表してはいけない部分は最初から書いていない。


 セキュリティは入念にしていても漏えいするのが常識だ。


 だから今書いている文章も、最悪漏えいする前提で書いていた。そうでなければ不特定多数のいる部屋で書いたりはしない。



「それよりも勉強をしなさい」


「はーい」



 鍬田はそう言ってノートにペンを走らせ始める。


 やけに気に入られてしまった。


 言語学ではなく経済学を専攻し、最優先習得異地語であるマルターニ語を学んでいる鍬田は、本来言語学チームの一室に立ち入ることはない。


 より深く異地の言語を研究する羽熊達と、基本的な言語を習得する鍬田とは立ち位置が違うからだ。



 なのに鍬田が研究室にいるのには二つの理由があった。


 一つは羽熊の事を慕っていることと、もう一つに鍬田の父が防衛省にいてコネを使って個人的に教師をしてほしいと言われたからだ。


 このチームの管轄は文科省が管轄でも羽熊は防衛省にも深く関わっていたため、そうした『頼み』が来た。


 世間から見れば職権乱用にしか思えないが、政治の世界では常として目を瞑る。


 よって鍬田がマルターニ語の授業以外の時間で、内閣官房参与の仕事をしていないときは個人教師をすることとなったのだった。



 多少は国交樹立以前よりは楽になったとはいえ、依然として労働基準法なんて無視した業務状態だ。至極個人的な要求で時間を潰されるのだから、目を瞑るとはいえたまったものではない。


 さすがに時間があればと言う条件を付けたので、出来てもせいぜい研究室にいる時くらいである。人が増えたことで業務の分散化に出来たとはいえ、内閣官房参与は羽熊にしか出来ない仕事だ。



「博士、ここの文法についてなんですけど」


 手帳や記憶に報告書、他の人の資料等から四ヶ月間の『歴史』を思い出しながらキーを叩き、時折鍬田の質問に答えて行く。



「それにしても十三月ですか、普段言わない分変な感じですね」


「十三ヶ月は言うことあっても十三月って言うことはないからね」



 十三月。フィリア社会にとっては当たり前の年末だが、日本にとっては甚大な影響を及ぼす新年末である。


 知っての通り、日本は一年を十二ヶ月三六五日で動いている。しかしフィリアは年間四百日で地球と比べて三十五日一ヶ月と延びてしまう。


 たかが三十五日増えるだけと思うだろうが、社会的に三十五日増えると甚大な影響を及ぼすのだ。


 伝統的にもシステム的にも十二ヶ月を一年として動いているため、十三月に移行するのは簡単な話ではない。システムとしても全てを変更が必須なため、以前苦しませた元号修正以上にエンジニアは泣きを見ている。


 スケジュール管理にしても、そもそも転移した時日本は四月でフィリアは八月だった。四ヶ月のズレがある上に一ヶ月の延長なので、文字通り全ての修正が余儀なくされる。



 長年日本社会を支えてきた暦の根底を覆すのだ。日数が増えると言う簡単な話ではない。


 類似する既存の問題で言えば二〇〇〇年問題だろう。一九九九年から二〇〇〇年に年越しをする際、コンピュータが二〇〇〇年を一九〇〇年と判断して誤作動する問題だ。



 実際は前もって予期されていた問題だったので被害はわずかで致命的なことはなかった。


 しかし今回は予期せずに起きてしまったため、対処どころか想定すらしていない。


 よって四ヶ月経った今でもシステムの修正は終わっていなかった。


 表面上穏やかな日常だが、その裏では多くの人々が阿鼻叫喚しながら働いている。



「一ヶ月増えてお得、ってなるんですかね」


「分からないけど、手を動かさないのは得じゃないな」


「……博士、なんか私のことぞんざいに扱ってません?」


「忙しい合間に勉強を見るからどうしてもそうなるよ。このあとだって出掛けないといけないし」


「異地に行くんですか?」


「いや、今日は防衛省にね」



 具体的には言わないが、細かく言えば防衛省敷地内にある防衛装備庁だ。


 だいぶ前であるが、日本政府はフィリア社会に於ける防衛大綱を改訂することを決めた。


 既存の戦闘方法とフィリアの戦闘方法には大きな違いがあり、現行では隔たりが違い過ぎる。その隔たりを埋めるため、今後日本はどのような装備をするのかを判断をする。


 そのための会議を今日行うのだ。



 この話が来た時は絶賛地獄の業務の最中だったのと、畑違いにもほどがあったので断ったのだが、素人目線とイルリハラン軍を間近で見ている羽熊の意見がどうしてもほしいとしつこく懇願され、果たして折れてしまったのだった。


 雨宮に聞いた限りでは、初回は雑談に近く方向の取っ掛かりさえつかめればいいそうで、来年の三月までにはまとめればいいらしい。



「もしお父さんに会ったらよろしく言っておいてください」


「言っとくよ」



 さすがに個人授業を強引に割り込ませられては、穏健な羽熊とて平然とはしていられない。大人げないと言われようと皮肉を言わせてもらう。



「ここ、ギーが抜けてるよ」


「え、あ、本当だ」



 内心では不満でいっぱいでも、教師としての責務は果たす。



「ところで、なんで俺にそこまで絡んでくるんだい? 別に俺と君ってそこまで接点ないはずだけど」


「そりゃマルターニ語の第一人者としては一番ですし、習うなら一番の人がいいじゃないですか。それに独身で彼女無しで顔もそこそこよくて将来安泰ですし」


「後半が本音か。十近くも離れてる男を狙ってもそりが合わないだろ」


「結構いますよ? 私の友達なんて二十離れた人と結婚してますし。それも高校卒業してすぐに」


「高校で? そら犯罪じゃないの?」


「なんでも純愛みたいでしたよ? 卒業するまで手も繋いでないとか。今じゃ二児の母親やって幸せそうでしたよ」



 まるで少女漫画のような話だ。



「まあ恋愛は人それぞれだけど、俺はいまは誰かと付き合う気はないかな。さ、勉強勉強。これ以上脱線するならもう見ないよ」


「はーい。すみませーん」



 鍬田は歳相応の性格をしつつも根は真面目だ。言ったことには素直に答えて勉強に集中する。


 そうして自分の仕事をしながら片手間に勉強を見ていると、時間が迫り雨宮が研究室に入ってきた。



「羽熊、そろそろ出発の時間だぞ」


「分かった」



 ギリギリまで仕事と勉強を見ていたばかりに呼ばれ、羽熊はノートパソコンを閉じた。



「今日の勉強はここまで、あとは別室で自由をしてて」


「ここじゃだめですか?」


「ダメ。それじゃ他の学生と不公平だから」



 コネを使われているから特別に研究室に入れているが、それは羽熊がいる時だけだ。いない時まで特別扱いは出来ない。


 それを許可すればここは学生だらけになってまともな研究が出来なくなる。


 他の大学であればワンセットなのだが、教授側も誠意学習中なので分別しないと却って邪魔になるのだ。なので試験に合格しないと学生が研究室に参加することはない。



「それでは失礼しまーす」


 鍬田は広げていた勉強道具をカバンへとしまい、お辞儀をして退室して行った。



「あの子がお前に熱心な学生か?」


「何が原因でかは知らないけど」


「いい子そうじゃん。どうせフリーなんだし付き合ったらどうだ?」


「面倒事しか持って来なさそうだからヤダ」


「元カノの方が面倒事持って来そうだろ。連絡来るんだろ?」


「連絡って言っても挨拶とか近況報告とかで、返信は特にしてない」



 羽熊の元カノである須川と連絡先を交換して以来、数日に一度程度でメッセージアプリでメッセージが入ってくるようになった。


 とはいえ会話をしようと言うものではなく、「おはよう」や「おやすみ」と言ったあいさつや、こんなことがあった程度で返事は求めてきていない。


 羽熊も見てはいても返事は一度も返してはいなかった。



「絶対に返信するなよ。返したらズルズルと行くからな」


 体験者みたいな言い方である。過去に似たようなことがあったのだろう。


「分かってるよ。それよりも行くんだろ?」


「え、あ、ああ」


 話をしているうちに荷物を纏め、研究室のリーダーである教授に挨拶をして部屋を出る。



「それにしても装備庁の参加を受けてくれて助かったよ。上から頼まれてたからさ」


「今でも行く気はしないけど、前と比べて少し楽になったし、ひたすらに頭を下げられたら断り切れないよ」


「まあ博士は異地を知った上での素人目線の意見を言ってくれればいいから、なにか良い案を出せってわけじゃない」


「とかいって妙案を出させる感じがすごいするんだけど」



 常に前線基地で働いているのだ。羽熊に対する噂くらいは耳にする。


 異地にまつわる問題は羽熊に任せてしまえ。


 色々と問題を解決してしまったばかりにそうした評価が出来てしまったのだ。



「まあ八割方はあるんじゃないか?」


「……その内逆の案を出すぞ」


「出したら出したで日本が窮地になるな」


「規模がデカい」


「実際国家レベルの問題の解決案を出してるだろ。今回のだって国防に繋がるんだ。逆をしたら防衛面で脆弱になるってこと忘れるなよ」


「そんな重要な会議に参加させないでほしいんだけど」



 そもそも羽熊の意見は採用決定か、と思えば苦笑気味に雨宮は訂正する。



「冗談だよ。いくらなんでも博士の意見をほいほい聞いてたらトンデモ兵器が出来ちまう。つーか予算が通らないだろ」


「そもそも異地対応兵器って予算はどれくらいになる見込みなんだ?」


「今後二十年で二十から三十兆は掛かるだろうな。開発費と製造費だけで」


「……なんだろ、フォロン結晶石で見たら……四十キロから六十キロだから大した額じゃないに思える」



 三トンの結晶石を最近見たからこその感想だ。



「まあフォロンで換算したら、な」



 仮にそれだけのフォロンがあったとしても、それを現金化することはできない。だが比較的簡単に手に入るだけあってついつい考えてしまう。……



「感覚がマヒってるな。頼むから結晶石をネコババしようとかするなよ」


「したところでどうやって換金するんですか。一発でバレるでしょ」



 日本国内では紺色の鉱物に過ぎず、異地では異星人もあって秘密裏に換金が出来ない。仮に出来たところで粒子単位で取引されるのに、g単位で持ち込まれれば即ニュース沙汰だ。


 キロ単位で持ち込めば浮遊都市が買えてしまう。



「なんであれ、結晶石は日本にとっては宝の持ち腐れだな。研究用に使えても外貨は得られない」


「だからこその今日の会議なんですよね? どうやって日本の武器にフォロンとかレヴィニウムを融合させるのか」


「あとは民生用にもレヴィロン機関を流用できないかの議論もするな。だから日本大手の重工業や車メーカー、電機メーカーの人も来る」


「日本製の飛行車ですか。この世界でも通用すればいいですけど、さすがに成熟した中での新規参入は難しくありません?」


「国内向けには必須になるから無駄ではないさ。日本経済の要の自動車産業を復帰させなきゃ、戻り始めた活気がまた冷え込んじまうしな」



 話をしながら移動をしていると建物を出て、すぐわきの駐車場に止めてある防衛省の公用車へと乗り込んだ。



「そうそう博士、自分は今日から装備庁に出向となる。もう須田駐屯地には戻っては来ないからそのつもりで」


「あ、そうでしたっけ」


「異地の兵器と関わった陸海空の自衛官が出向して、装備の更新に勤める話しだからな。一々ここから出向くわけにはいかないんだ」



 公用車は雨宮の運転で走り出す。舗装された浜辺から基地の敷居を跨ぎ、転移以前では考えられないほどの車両をしり目に東京方面へと向かう。



「そっか、それはさみしくなりますね」


「仕方ないことさ。会社員と違っていつまでも同じところにはいられないからな」


「そういう俺もいつまでもここにいるわけにはいかないですしね」


「変わるってことは前に進んでるってことだ。いつまでも留まって変わらないよりは変わろうぜ」


「だね」


「あ、でも元カノだけは関わるなよ。一度ハマると抜けられないぞ」


「雨宮って過去に何かあったの?」


「まあ色々とな。それよりも用心しろよ。俺以外にお前に気にかけてやる奴はいないんだからな」


「気を付けるよ」



 そうして公用車は東京に向けて高速へと乗った。

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