第72話『ヘッドハンティング』



「進路変更地点の調査報告書が届きました」



 エルテミア暦二一〇年、十三月二日。


 イルリハラン王国首都指定浮遊都市イルフォルンの宮殿王執務室にて、ハウアー国王は職員より書類を受け取った。


 書類にはムルートが突然進路変更をし、爆発物によって爆発した個所の調査結果と記されている。



「聞こう」


「端的に申し上げますと、爆発物にはミサイル発射装置が搭載されていたようです。爆発地点から四十七キロ離れたユーストル方角にて落下しているミサイルを発見しました」


「どの国のミサイルか分かっているのか?」


「はい。照合した結果、レーゲン共和国が運用している小型空対空ミサイルと分かりました」


「そうか……」



 部品ならまだしも、軍が所有しているミサイルを使ったとなれば擁護は難しくなる。


 ハーフであるウィスラー大統領なら十分動機を持っているが、世界が秘密裏とはいえ真相を知った今ではする意義はない。


 しかし実際にはレーゲン軍が運用している兵器が使われた。


 ハウアーは内心でなぜと悔やんだ。



「さらに爆発物も同じく、レーゲン軍が運用しているタイプであることも分かりました」


 まだ軍内部の独断と言えるがそれも厳しいだろう。


「残念だ」


「ですが一つ気になることがありまして、一連の全ての製造メーカーが『チャリオス』なのです」


「チャリオス? 世界最大の軍事企業か」



 特定の国に属さず、あらゆる国の庇護を受けない代わりに人から弾丸までありとあらゆる軍事に関わることを一手に世界に供給する企業だ。


 各国の要望に合わせて様々な兵器を開発して販売し、金さえ出せばどんな軍の規模の少ない国でも兵士を派遣する。


 時には自社の兵士同士で戦うこともある異色の企業だ。


 国に属さない企業ゆえに特定の国を優遇することはない。世界中から巻き上げた金で弾薬など大量の消耗品を製造するので、世界中の国々が利用する。


 イルリハラン王国も弾薬など機密扱いではない武器は購入しているほどだ。



「可能性ですが、レーゲン共和国に納入するはずだった兵器をチャリオスが利用していることも考えられます」


「確かユーストル開発特区の誘致で真っ先にチャリオスが手を上げていたな」


「はい。ですが平和的利用のための開発特区であるので、その手の企業は受け付けてはおりません」


「兵器開発にフォロン結晶石は必要不可欠だ。チャリオスに限らず、他の国の軍事企業も名乗りを上げていたな」


「どの道各国にフォロン結晶石が流通するので拒否をしたところで意味はありませんが、チャリオスにとっては大きな痛手でしょう」



 最終的にユーストルのフォロン結晶石は税関を通って各国に流通される。国際規模の開発特区とはいえ主権はイルリハランにある。必然的にイルリハランの税関を通すがどの国にも属さないチャリオスには流通経路が無い。


 他の国から買わなければならないのだが、当然バカ高い関税を掛けるだろう。


 だから格安で手に入れるにはユーストルに常駐したいはずだ。



「まさかユーストルに入れない腹いせに、世界を敵に回しかねないムルートの誘導をしたと?」


「可能性の話です」


「ならシルビーに裏を取らせろ」


「分かりました」


 職員はそうして執務室を退室していった。



 ハウアー国王は調査報告書に目を通す。


 犠牲者はイルリハラン軍の兵士一人。可燃性の液体を利用した爆薬を用いたため大規模な火災が起こり、四十キロ四方の森が焼けた。その森に生息していた多くの動物たちも焼け死んだ。


 人的被害は兵士一人でその他のリーアンの焼死体は発見されない。


 回収したミサイル発射装置を調べた結果、爆発は時限式ではなく遠隔操作式でカメラの一部も発見されたことで断定。


 よって意図的に発見された上での爆破が濃厚。



 証拠隠滅を図るのであれば発射後に回収するべきであり、証拠を残すのは意図的である可能性が高い。


 使われたフォロン結晶石は三キロ使用され、球体に加工されミサイルの先端に取り付けられていた。ミサイル自体に爆薬は積まれていない。


 三キロと言うことは価値にして三兆セムだ。企業は疎か国すら使い捨てで用意できる物ではない。


 イルリハラン、ユーストルにとってはもはや大した価値はないが、それ以外の国ではよほどの覚悟が必要だ。


 チャリオスとて使い捨てで消費できるものではないだろう。


 しかしウィスラーも強い信念のもとで一キロのフォロン結晶石を使い捨てにしている。もしチャリオスの、それもフォロン結晶石を扱う権限を持つリーアンが強い意志を持っていれば可能だ。



「レーゲンかチャリオスか、または別の国か組織か……答えはどれだ?」


 腕を組みながらしばし考え、電話に手を伸ばした。


「私だ。フィルミ、突然だがチャリオスについて資料を纏めてはもらえないか? 表向きで分かる範囲でいい。フォロン結晶石を直接扱える役職も可能なら調べてくれ」



『畏まりました。至急お調べします。理由を伺っても?』


「もしかしたらチャリオスがムルートの進路変更に関わっているかもしれないのでな。詳細なことはシルビーに調べさせるが、予備知識として知っておきたいのだ」


『夕方までにはまとめます。ふむ……チャリオスですか。確かに創作物に於いて陰謀と民間軍事企業は切れない仲ではありますが……』


「我が国でも多少なりと利用しているからな。穏便に行きたいが可能性がある以上は考えねばなるまい」



『……陛下、待ってください。いま調べましたところ、本日チャリオスの人事部長が防務省を訪れています』


「なに?」


『正式なアポを取っていますね。いかがいたしますか?』


「何も出来んな。フィルミ、ついでにその理由も調べてくれ」


『畏まりました』



 容疑ではなく可能性の段階では何も表立ってすることはできない。諜報活動はシルビーに任せて国王として出来ることをする。


 ムルートの進路変更の真実は確かに重要だが、それ以外にも重要な仕事は多くあった。


 イルリハラン主権下でのユーストル開発特区事業の国際会議を来年五月に行うため、ニホン政府との綿密な協議を事前に行っておきたい。


 さらに来月にはニホン人をイルフォルンへ招待する許可も議会は通過した。


 まだリーアンが初めて一週間ニホンに入国した頃は、ニホンの事を知らず未知の病気を警戒してユーストルの外に出すのは拒否する声が大きかった。その詫びとして電子機器を譲渡をしたほどだ。



 しかし、その後の開発特区にムルートの進路変更などによるニホンの活動で、世論は少しずつ変わっていった。


 最大の懸念である病原菌の持ち込みは継続的な検査によって心配ないと言う考えに変わり、ようやくニホン政府をイルリハランの首都に招くことが出来るようになったのだ。


 もちろん向こうにも都合があるため、実際に来訪するのは来年一月の中旬から二月上旬となるだろう。


 他にも貿易や軍事とするべき仕事は膨大にある。



「なるべく早めにニホンとの安全保障条約を結ぶべきか……」



 条約の中では上位に位置する安保条約。ニホンの特殊な軍事事情と時期尚早の声から見送ったが、ユーストルを恒久的に守るためにも締結は必要だ。


 ユーストルの主権が開発特区を開始してもイルリハランとニホンにある以上、防衛はイルリハランとニホンが行う。だが国だけでなく組織まで狙われるなら、イルリハランとニホンが個々で防衛するより合同でするほうが合理的だ。


 これはまだ時期尚早の声は上がるだろうが、なんとか他国企業がユーストルに来る前には結んでおきたい。


 ニホンも気持ちとしては同じだろう。


 問題は次々を噴出しても、解決は微々たるもの。


 政は忍耐が求められる。



      *



 イルリハラン王国首都指定浮遊都市イルフォルンは国際規格では最大級である十万人級の浮遊都市だ。


 基本的にイルフォルンはイルリハランの中枢であるため居住施設は少なく、三権を含む首都機能の全てが集中的に配置されている。


 そのためイルフォルンから距離で十キロほど離れたところにラッサロン浮遊基地と同等の五万人級浮遊都市が二つあり、そこから職員が通勤していた。



 基本的に浮遊都市は移動をしない。天候やムルートなど外的要因から移動することはあれ、アルタランのように意図的な移動はしない。レヴィロン機関の特性上、都市が移動しても中で浮遊する人や物は移動しないからだ。


 よってイルフォルンを含む都市は木製のビルが乱立して、外からその規模が安易に見て分かるようになっている。アルタランは常に移動するため建物を露出できないが、移動を極力しない他の浮遊都市はビル群が外からでもわかる。



 その乱立する木製のビルの一棟。


 マルターニ語で防務省の意の看板がビル壁に張られ、屋上には防務省のロゴである五本の線がらせん状となって下から上に収束する意匠の旗がはためいていた。


 イルリハラン王国を外敵から守る全軍を統括する組織だ。


 そんな施設のとある一室にて、礼装に身を包ませる女性が二人宙に浮くソファーに座っていた。


 ルィル・ビ・ティレナー上級曹長とティア・セル・フランミア上等兵である。



「はぁ……やな仕事」


「本当ですね」



 ラッサロン勤務のルィルは今日この日、防務省に直に来るよう命令を受けていた。


 この命令が来たのはムルートが進路変更した直後で、直接ティアと共に携帯電話に連絡が来た。


 ラッサロンからイルフォルンへはジェットやロケット旅客機を乗り継いで一日掛かる。


 防務省に呼んだ理由はある人が話をしたいかららしく、なら移動時間を無視できるテレビ通話でもいいのではないかと意見したが、直に会いたいとのことだった。



 前線で活動する兵士二人を、往復で二日も時間を消費させてまで会わせたい人。防務省を動かさせると言うことはそれだけ影響力が強いのだろう。


 議員か大臣か、王室の一人とも言える。


 ルィルの立場を考えれば政治的に利用することは出来るから、政界からのヘッドハンティングが来たのかもしれない。


 なんであれ断るつもりだ。ルィルより優れた人材がユーストルに集まり、次第に前線での活動から離れつつあってもラッサロンから離れたくはなかった。


 ただでさえ世界でも異色の地で活動できるのだ。金や地位で捨てるのはバカと言える。



「それにしても遅いわね」



 呼ばれた時間は三十分も前に過ぎている。わざわざ遠方から呼び出しておいて遅刻とは、よほどの大物なのだろうか。どれだけ地位が高かろうと、遅刻をする時点でその人の評価は低い。


 出された茶はすでに飲み干し、出来れば携帯電話を弄りたいが場所が場所だ。昇任したばかりで人事査定の評価は下げたくなくひたすらに待ち続ける。



「あとなんで私と上級曹長だけなんですかね」


「日本と関わっているってのは明らかだけど……」


「でもでも、最近は交流に参加していないからあまり関わらなくなっているんですよ」


「もしかしたら、最初から参加している人と話をしたいのかもしれないわね。一応ファーストコンタクターだし」


「せっかくイルフォルンに来たから買い物して帰りたいですね」



「そうね。明日の午後便で戻るから、少し見て帰ろうかしら」


「上級曹長のご実家って近くですよね。今日はそちらで?」


「まさか。帰ったら絶対に軟禁されるからホテルに泊まって帰るわ。ここに来ることだって伝えてないし」


「そこまで両親を毛嫌うんですね」


「娘の心配をする体で家柄を守る事しか見てないし、活躍をしたらしたで家柄を良くしようと企んでるのが見え見えなのよ。帰ってられないわ」


「ははは……」



 ノックが来たのは約束の時間から四十五分過ぎた頃だった。


「いやー、申し訳ない。こちら側から呼んだのに遅れてしまって」


 入って来たのは五十から六十であろう小太りの男性だ。スーツから見て防務省職員ではなく、議院バッジを付けていないから議員でもない。王室はさすがに全員を把握していないから分からないが、風格からして似つかわしくない飄々しさを感じた。


 さらにもう一人女性も入ってきた。



「チャリオス本社人事部長のヘーラ・カン・ジェイラーと申します」


 入ってくるなり謝罪と自己紹介を早口でいい、愛想笑いで握手のため右手を差し出してきた。


「イルリハラン軍上級曹長のルィル・ビ・ティレナーです」


「同じくイルリハラン軍、上等兵のティア・セル・フランミアです」


「わたくしはヘーラ人事部長の部下のソルムと申します」


 四人はそれぞれ握手をしあい、向かい合うようにソファーに腰を掛けた。



「……お二人だけですか?」


 普通は仲介役として防務省の職員が付くはずだが、四人で始めるようだ。


 チャリオスは世界トップの民間軍事会社で、金さえ出せば国を問わずに兵器や兵士を提供する国に属さない組織だ。本社は確か公海上で支社も同じく各大陸の公海上を浮遊していると言う。


 イルリハラン軍もチャリオスは利用していて、通常の弾薬など消耗品は購入している。


「はい。今日は無理言って我々だけでお話をさせていただきました。もちろんユーストルからわざわざ来ていただいたお詫びとして、多額の報奨金を用意させてもらいます」


「こちらが小切手になります」


 まずは呼び出したことへの謝罪をして、ソルムはショルダーバックから二枚の小切手を出してテーブルの上に乗せた。



「一、十、百、千……え? ご、五百万セム?」


「はい。金銭での詫びであることにご不快であれば、現金化したのちに焼却処分等してかまいません。今現在で出来るお詫びがこれだけですので」


「……この小切手を受け取るかどうかは、そちらの話を聞いてからにします。ティア、しまわないでテーブルの上に置いて」


「え、でも報奨金ですよね?」


「ティア」


 どんな形であれ呼び出しただけで合計一千万セムを出すのは異常だ。受け取るだけでなんのために呼び出したにしても選択肢を絞り込まれてしまう。


 詫びとしてもだ。



「それで、世界に名高いチャリオス社の人事部長が、わざわざ私たち二人を呼び出した理由はなんでしょうか?」


 進行役がいないためルィルが仕切る。


「お二人の事は我が社でもよく聞いております。世界で初めて異星人と会い、コミュニケーションを無事に成し遂げたのは大変素晴らしく、同じ軍事に就くだけあって誇りに感じます」


「日本人のメンタリティが私達とほとんど同じだったからです。もし対話より武器を考えるなら、いま私は生きてはいないでしょうね」


「それでもですよ。七十年以上前にも転移者はいたそうですが、公式ではお二人が所属する部隊が初めてですから、逆であればそうはいかなかったかもしれません」


 正規軍は国を守る決意があり、民間軍事の傭兵は金のために働く。


 決意の違いで日本との関係は大きく変わっていたはずだ。



「それで、わざわざそんな前の事を称賛するためだけに私達を呼んだのですか?」


「噂通りに一直線の方のようですね」


 言ってヘーラはソルムに視線を向けると、ソルムは淡々と要件を述べた。


「お二人を我が社にスカウトしたく、この場を設けさせてもらいました」


「私たちがチャリオスに?」


「今後国際社会は一新されます。経済も変わり、技術も変わり、人も思想も全てが変わります。ユーストルに異星国家が現れたことで」


「それと私たちが転職することに何の意味があるのですか?」


「我が社もその一新に乗らないとなりませんが、残念ながら平和的な開発を主とする甘い思想から我が社は参入できません」



 アルタランがユーストルの開発特区案を提示し、イルリハランが了承すると多くの企業が参入表明をした。


 無尽蔵のフォロン結晶石の真上で事業が出来るのだ。フォロン結晶石を扱う企業にとっては僥倖で、それはもう千を越える企業が名を挙げたらしい。


 しかし選定をするイルリハランは、社会情勢に不安を与えかねない企業は参加させないことにしている。世界に武力を振りまくチャリオスも同じだ。


「ですのでお二人には我が社に入っていただき、開発特区参加の手助けをしていただきたいのです」


「前もって言わせていただきますが、我が社には多くの元イルリハラン軍の方々が入社しており、イルリハラン軍とは装備から訓練などで友好的な関係を築けております。此度の面談も防務省からの許可を経て行っており、決して裏切りにはなりませんので安心してください」


「わざわざここで面談をするくらいですものね」



 どこの業界でも引き抜きは日常的に行われる。有能な人材がいれば様々な特典を付けて引き抜きをし、また他のところに引き抜かれる。それは軍隊でもあることだ。


 防務省がこの面談を許可したと言うことは、面談拒否は出来ないほどの影響を持ち、けれど快諾はしないからルィルたちの判断に任せると言うところだろう。


「ルィルさん、あなたは異星人とのファーストコンタクターであり、ラッサロン勤務を願っていることは存じています。ですので開発特区に参加出来た暁には望む限りユーストルにいるようにいたします」


「……それ、別に転職する必要ないわよね? 私もティアも昇任してこれからもラッサロン勤務だから」


「ですよね。それに参加できてもできなくても仲間内からは裏切り者って言われますし」



 一度断られたことを覆すのは中々に難しい。いくら世界最大の軍事企業であっても余程のことが無ければ出来ないだろう。


 その余程がルィル達で出来るとは到底思えない。


「もちろんリスクに見合った報酬は用意させてもらっています。転職していただけたら、成果に関わらず現在の年収を月収でお支払いします」


 平たく言えば今の十三倍の給料を支払うと言うことだ。


 上級曹長の月収は六十二万セム。その十三倍だから約八百万セムを無条件で支払うのだ。


 金だけで言えば破格の待遇と言える。


 そしてそれが虚偽ではないことを示すように、その記載がされた書類をテーブルに出した。



「すご……ルィルさん、凄いですよ。うわー、映画やドラマだけの話と思いました」


 ティアはその書類を見てその通りであることを言う。


「一つ確認したいんだけど、成果に関わらずと言っても失敗したら私たちは用済みよね。それでも多額の報酬を支払いし続ける意義はあるのかしら?」


「お二人にはあるのが我が社の判断です」


「ふぅん」



 ルィルは怪訝な目で書類を目にし、ヘーラとソルムを見比べる。


 はっきり言って胡散臭い。


 勧誘の内容は具体性がなく軽々しい。一番わかりやすく癇に障る金での誘惑も胡散臭さを助長させる。なによりルィルは誇りあるイルリハラン軍の一員だ。金で動く傭兵集団に属する気持ちは微塵もない。



 矜持が違う。誇りが違う。決意が違う。



 いくら書類で終身雇用を明記しても、利用価値が無くなれば理由を作って捨てるのが見え見えだ。


 ルィル達を無理やり呼び出すあたり発言力があるらしいが、誘う相手を間違えている。


「わー、ルィルさん見てくださいよ。完全週休二日制で、有給も当日受付可ですって。残業無しで定時上がりってどれだけ優良条件ですか」


「ティア落ち着いて。それだけ聞いたらそうだけど、チャリオスだからね?」


「あ……」



 チャリオスはどの国にも属さないため本拠地は公海上にある。


 専用の浮遊都市を持っていても所詮は企業だ。居住性はまだよくても商業性は優れておらず、チャリオスのある浮遊都市で販売している物品は総じて高い。


 その理由は国に縛られないため法人税を払わない代わりに関税に上乗せするからだ。



 法や指導など国からのルールを無視して社則のみで業務を行える代わりに、関税を高くすることでつり合いを取っている。


 無論アルタランの許可の元で活動が可能なので、国際法の順守義務はあるが監視者がいないため無視する企業があるらしい。



 だがそれは自己責任なので、国際社会に重大な損害を与える行動を取らない限りはアルタランを始め各国も特に触れない。


 つまり公海上に位置する本社や支社は無視するが、国内で営業をする場合は国内法を遵守するわけだ。懸念となる無視の部分のは関税を高く設定することでカバーを計る。



 自然と物価は高くなるのだ。


 そして国の保護が無い以上、警察や司法は社内の警務部と法務部が行うが、独立した三権などないため不祥事の隠蔽は容易い。


 独立した三権まで持てばそれはもはや国だ。



「ヘーラさん、これは今すぐ決めなければならないことなのかしら?」


「決断は直感に委ねるのが社訓です。今この場でお決めください」


 考えさせる時間を失くして焦らせ、正常な判断をさせない詐欺特有の問いかけ。


 しかも説明の限り現状維持か、楽して大金を得られるかの二択だ。


「ユーストルにチャリオスを置くために私達を勧誘するのに、この時間だけで決めろとは横暴では?」


「もちろん十分な説明をするつもりですよ」



 これまではまるで前座だったかのように、ヘーラとソルムは一時間に渡りチャリオスに入社するメリットと業務内容の説明を始めた。


「――以上から、お二人には改めて我が社に入社していただきたいのです。我が社だけでなく、世界のためにも」


 一時間に渡ってイルリハラン軍からチャリオス社に転職することで、ルィル達だけでなくユーストルの治安を含め世界の軍事バランスを保つか。とにかく転職すれば大きなメリットになるプレゼンをされた。


 いきなり報酬の話をされたときは胡散臭いと思ったが、さすがは人事を司る人だけあって考えを改めるうまい言い回しを取る。



 メリットとデメリットを両方話し、デメリットを上回るメリットを数割増しにして打ち消そうとするのもうまいと言えよう。


 ルィルはメリットだけしか説明しないものは信用しないことにしていた。鉄則として物事は悪い話がないことは絶対にないからだ。どれだけメリットの高いものでも少なからずデメリットもある。そのデメリットをどれだけ宣伝する側がするかが重要なのだ。


 よって通販など売るためにメリットしか話さないものは基本信用しない。


 その点チャリオスの宣伝部長は、大体七対三程度でメリットとデメリットを話している。


 それだけならば一考するに値する。


 が、最初から答えを決まっていたらさして意味はない。



「チャリオスが私達を強く求めていることはよく分かりました」


「裏切りのレッテルが出来てしまうため再びイルリハラン軍に戻るのは難しいかもしれません。その代わりに生涯の保障は責任を持たせていただきます」


「お断りします」


 ルィルはきっぱりと本心を告げた。


「……理由を聞いても?」


「率直に今の仕事が天職と思っているからよ。イルリハラン軍よりチャリオスにいる方がいいといくら貶しても構わないけど、この気持ちが変わることはないわ。国家予算を出したとしてもね」



 他人から見れば意固地になっていると思われるかもしれないが、ルィルは給金のために軍に属しているのではない。愛国イルリハランのために軍隊に入隊して切磋琢磨し、日本と接触して今に至っている。


 金はいくらあっても惜しくはなくても心が満たされなければ意味がない。


 金と心の割合は人それぞれでも、ルィルにとっては今の割合で十分なのだ。


「そうですか。それは残念です」


 チャリオス側もこれ以上プレゼンをしても意味はないと悟ったか、しつこく食らい付こうとしない。


「ティアさん、いかがですかな?」


 最有力であるルィルがダメとなり、ヘーラは次点のティアに尋ねた。


 出来ればティアも拒否してもらいたいがティアの人生だ。仲間であっても他人であるルィルに口出しする権利はない。



「……ルィルさん、ごめんなさい。私、チャリオスに行こうと思います」


「っ! そう、それは残念ね」


「私はルィルさんみたいに国のためよりもお金のために軍にいたりしてます。本当は後方支援を希望してたんですけど、銃の適性があったから前線に出ていただけで。だから……」


「ティアの人生よ。私がとやかく言えはしないわ」


 ティアの申し訳なさそうな顔を見て、ひょっとしたら引き留めてもらいたい感情があるとルィルは察した。


 しかし仲間として、友として栄転になるかもしれない選択を妨害するべきか否か、ルィルに判断は出来なかった。



「その選択が間違ってないことを祈るわ」


「ごめんなさい」


「謝る事なんてないわ。向こうでも元気でね」


 人それぞれ考えがあって選択をする。ルィルの選択をティアがする義務はないし、ティアの選択をルィルがする義務もない。その選択を否定することはその人の考えを否定して侮辱することだ。


「それはよかった。では早速契約をさせていただきます。ソルム」


「こちらが契約書となります。もちろんそちらの正規の退職手続きを経ての事ですので、我が社に来ていただくのはその後となります」


「はい……」



 ティアは出された書類を見つつ、横目でルィルをチラ見してくる。


 罪悪感を覚えているのか止めてほしいのかどちらだろう。


 ルィルはその視線に見て見ぬをして意識をヘーラとソルムに向け続ける。


 チャリオスの狙いは支社用浮遊都市をユーストルに移動させ、無尽蔵のフォロン結晶石を使って兵器開発と製造を行うことだ。


 非常に高価で無尽蔵に使うことが出来ないフォロン結晶石を、安価で無尽蔵に使えれば次々に常識を塗り替える兵器を作り出すだろう。


 各国もそれを考えている。イルリハランもだ。


 しかし国と企業では考えに違いがある。国は政治として兵器を考え、企業は業績で兵器を考えてしまう。制限がないからユーストルに入れたくなく、入りたい気持ちもまたわかる。


 その結果がこれだ。


 ティアはペンを手にして書類にサインをしようとする。



 と、ヘーラと目が合った。


 瞬間、ぞわっと何かが背筋を駆け上がるのをルィルは感じた。


 別段表情は変わらずに視線を交わしたに過ぎないが、直感か何かが分からないがティアをこのままチャリオスに行かせては駄目と強く訴えてきた。


 ルィルやイルリハランのためではなく、純粋にティアのためにも。


「待って」


 まさに名前を書く直前でルィルはティアの腕をつかんだ。



「行ってはダメ」


「ルィルさん?」


「軍に残りなさい」


「ルィル上級曹長、いま先ほどティア上等兵の人生はティア上等兵の人生とおっしゃってたではありませんか」


「ええそうね。だから上官としてではなくて、友達として言っているの」


「と言いますと、ティアさんが我が社に来るのは友として嫌と?」


「そうよ。親友としてそんな国外の会社なんかに行ってほしくないの。ティア、あなたの人生だから口出しはしてはいけないのは分かってる。でも……行かないで」



「…………今の十三倍もお金が違うんですよ?」


「そうね。でも、それだけのお金で親友って出来るの?」


 ルィルは自分の直感を信じ、あやふやだった気持ちを決めて懇願する。


「そうですか、親友ですか。親友はお金じゃ買えませんね」


 暗かったティアの表情が、親友の言葉で一気に明るくなった。


「すみません。行くと言いましたけどやっぱり行くのやめました」


「……ふぅ、分かりました。もう一度言いますが、この話は今回限りです。後に気持ちが変わってもお受けは出来ません。本当に断っていいのですか?」


「はい」


「なのでこの小切手もお返しします」


「えっ!?」


「ティア、返すの」


「はぁい」



 防務省まで来た詫びとして渡された小切手も不穏な臭いしかしない。後顧の憂いを絶つ意味を込めてそのまま返却をした。


 これでルィルとティアに後ろめたいことは何もなくなった。


「それでは私たちは先に失礼します」


「失礼します」


 長居すると気持ちがまた変わってしまうかもしれないため、早々に退室をして扉を閉めた。


「ティア、ごめんなさいね、わがままを言ってしまって」


 扉を閉め、中に声が入らないよう少し距離を取ってルィルはティアに謝った。


「まったくですよ、と言いたいところでしたけど、良かったと思ってます」


「ホント?」



「他の人達も誘っていて数人は契約はしたって言ってましたけど、そんな優遇されても周りからは腫れ物扱いされそうですし、陰湿ないじめもありそうですしね。ついついお金で動いちゃったけど、止めてもらってホッとしたのもありました」


「そう……」


「でもどうして考え変えたんですか?」


「勘……としか言えないんだけど、ふと行ってはいけないっと思ったの」


「それだけですか」


「それだけよ」


「じゃあ親友は嘘だったりするんですか?」


「それは本音よ」


「本音ですか」


「だから後悔はしてないわ。あとで行けばよかったって恨まれてもね」


「親友を恨んだりはしないですよ」



 言ってティアはルィルの腕にしがみついて来た。


「場所を考えなさい」


 非番で来ていても場所は防務省で顔は二人とも知れ渡っているのだ。何をしても目立ってしまうため、すぐに高度を上げてすりと抜いて逃げる。


「あん。じゃあ場所を考えたらいいんですかー?」


「敬語で話さなくていいほどにはね。さ、ホテルにいきましょう」


「……なんかそれだけ聞くと卑猥に聞こえますね」


「じゃあ一人で行きなさいね」


「あーん、待ってくださいよー」


 ルィルとティアはそうして防務省を後にしていった。



      *



 ルィルたちが防務省を離れてから三十分と過ぎた頃、省の目の前に止めてある浮遊艇に二人の男女が乗り込んだ。


 チャリオス社人事部のヘーラとソルムである。


「お疲れさまでした。いかがでしたか?」


 二人が乗り込むと中央の運転席に座る運転手が問いかけた。


「失敗だ。ティアは少しのところまで行ったんだが、ルィルに止められてしまったよ」


「女の勘でしょうね。ギリギリのところで察したのかもしれません」


「そうでしたか、すみません」



「なに、君が謝ることではない。元々彼女は難しいことは分かっていたからな。むしろ了承したら奇跡なくらいだ」


「ですがユーストルにチャリオス支社を置くには前線で行動していた人たちが必要です。ルィル上級曹長は不可欠でしたが……」


「こない以上どうしようもない。弱みを握ろうともコントロールは出来ないだろう。あれはしっかりとした芯を持っている」


「平和的には難しそうですね」


「まったく、困った娘ですよ」


「さ、出してくれ。これから忙しくなるぞ」


 運転手はハンドルにあるアクセルボタンを親指で押し、浮遊艇を動かして防務省を離れて行った。

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