第70話『二段構えの工作』



 時間にして百秒足らずで終わった、ムルートと非浮遊機による空中戦。


 これはフィリア社会始まって以来、正真正銘初めての出来事だった。


 個人であり、非合法で非公式ならあるだろうが、ネット上で映像としてあるものは一件としてない。仮に投稿しようものなら当局がすぐさま来るだろう。


 よって、ムルートを監視するムルデアラー社が五十キロ圏外から撮影した空中戦は、正真正銘世界初の映像となった。



 五十キロと彼方からの撮影であるため画質は荒く、ムルートの姿は捉えられても数十メートルしかない非浮遊機は点くらいしか見えないが動きは分かる。


 非浮遊機とムルートがすれ違うと、ムルートが突然進路を反転して非浮遊機を襲い、百秒近く空中戦を繰り広げて襲うことを止めた。


 超遠距離により何がどうなって空中戦に発展し、そして終わったのか分からない。


 つまり、ムルート自身の判断で何もしてない非浮遊機を襲ったのか、ニホンの非浮遊機がちょっかいを出して襲ったのかが分からないのだ。



 空気が澄んでいるため遠くでも見通せるフィリアでも、五十キロも離れると高額なカメラでも鮮明な映像は残せない。よって生放送の映像をそれぞれが解釈するしかなかった。


 問題なのが、ニホンがムルートに何かしらの干渉をしたかどうかだ。


 もしニホンが意図的に襲ったのであれば、三十億人に迫る人々を敵に回すことになる。


 さすがに信者全員ではなくても億は確実に超えるだろう。


 いや、ムルートの判断だとしてもニホンへの批判は避けられない。



 この空中戦の映像が流れると、ニホン唯一の窓口であるイルリハランに抗議の電話が世界中から掛かってきた。それも非干渉空域に突入した時の四倍で、当然回線がパンクして一瞬で電話が掛けられなくなった。


 総会を続けていたアルタランでも空中戦の映像をリアルタイムで目の当たりにし、各国大使は頭を抱えた。


 ただでさえ非干渉空域への突入だけで問題にしていたのに、空中戦までしてしまったのだ。


 鉄則として政治と宗教は切り離しているとはいえ、三十億人の反応による影響は予測できず、どう決着をつけるべきか史上初であるため正しい答えを持つ人はいない。



 ならばどうするか。答えは一つだ。


 ニホン問題を当初から抱えることを宣言してきたイルリハランに丸投げしてしまうこと。


 国際社会の秩序を守るのがアルタランの使命だが、それを放棄するに等しくも元々アルタランの助言無しで勝手に始めたことだ。そこまでの尻拭いをする責務はない。


 少なくとも現行法だとアルタランはニホンを非難するしか出来ず、何かしらの処罰は出来ない。イルリハランに対しても同様だ。ムルートの保護が成されている限りは説明責任を要求する程度しか出来ない。


 現段階ではムルートの保護が維持されているのか分からないため、ニホンからも説明を求める必要があるだろう。


 映像ではニホンの非浮遊機とムルートは順次離れているので、マリュス到着後にニホンから説明を求めることで一応の決着を決めた。



 イルリハラン政府はこの映像が流れてもなにか声明を出す事はしない。


 ニホンも然り。


 代わりに世界に対して声明文を発表したところが一ヶ所あった。


 ミストロ教の中心部である浮遊都市、アヴラ。


 総数三十億人の信者を抱えるミストロ教の総本山で、ラッサロン並みの五万人が生活できる都市国家だ。



 ミストロ教のトップは『聖卿』と呼ばれ、二人の男女にちなんで男女二人がなるよう教典に定められている。二人の間に格差はなく、声明文や歴訪も常に二人で行う。


 今回の緊急声明も例にもれず、二人の男女が同じ演壇に立って声明を出した。



『異星国家が建造した非浮遊機が、聖なる鳥であるムルートに近づき』


 最初に語るのは男の聖卿であるアキス・ロン・ハーギナー。


『大変憂慮をしています。ご存知の通り、ムルートは世界で僅か五羽しかいません』


 アキスに続くように語るのは女の聖卿のイーシャ・ロン・ハーギナー。



『世界各地を渡るムルートは〝人〟を知らない。常に我々が道を譲っているからだ』


 二人の男女は交互に声明文を読み上げる。


『その〝人〟を知らないムルートが〝人〟を知ったとき、どのような変化が起こるのか予測も出来ません』



『ムルートは常に高尚にして自然であってもらいたい。我々が関与するべき存在ではない』


『よって、世界が守っている国際条約を無視してムルートに接近したことに、アヴラは実行したニホンと、それを容認したであろうイルリハランに対して抗議することを表明します』



『例えムルートをユーストルに近づけないことを暗黙の目的にしていたとしても』


『ムルートに接近する大義名分には決してなりません』



『邪悪の化身であるグイボラを捕食することが出来たムルートは聖獣そのもの。矮小な我々が干渉していい存在でもない』


『これまでもこれからも、ムルートは自然そのものでなければなりません』



『繁栄をするか絶滅するかは、ムルート自身が決めること』


『我々に選択権はありません』



『世界はその選択をして今日に至り』


『突如現れた異星国家が、その選択を冒とくしました』



『アヴラはニホンに対し、謝罪と』


『ムルートへの非干渉の誓いを』


『求め(ます)る』



 二聖卿はそう言って締めくくり、事実上の三十億人の総意として世界に伝えた。



      *



 世界が今回の件でどう日本と向き合おうとしているのか、予想の範囲を出ない件のオスプレイは、多少のトラブルに見舞われながらも飛行を続けていた。



 ムルートはオスプレイから八十キロほど離れたところでマリュスに向けて進路を変えても、結晶フォロンを感じなくなったか追跡するそぶりは見せなかった。尚且つユーストルに引き返す様子もないため、最悪の日本にムルートが落ちて重大な宗教問題に発展する危険性は消えた。


 そうして本意ながら不本意のムルート誘導作戦は成功し、後部ハッチの不完全開閉以外は正常に航行を続け、到着予定時刻が近づく頃には目的地が見えてきた。



『マリュスが見えてきた』



 そう連絡が来て羽熊は窓から外を見る。


 目的地が前方だから見にくいが、まだ小さくも空に滞空する島が確かにそこにあった。



『ニホンの非浮遊機に拡声器にて告ぐ。我々はイルリハラン軍である。ここまでの長旅ご苦労。ここから先は我々が誘導する』



 マリュスか別の基地から来たのだろう。翼のない戦闘機がオスプレイの左右に来て音声で指示を飛ばしてきた。


 異地の戦闘機は地球と違い、機体内部や翼の下にミサイルを積むようなことをしない。航空力学を無視して飛べることから、機体の全周にミサイルを配置する円環システムなるミサイル発射機構を備えている。そうすることで地球の戦闘機の何倍ものミサイルを発射することが出来るのだ。


 オスプレイの左右に来た戦闘機は誘導と護衛だろう。ミサイルをしっかりと積んでいるのが一目で分かった。



『誘導感謝する』



 オスプレイも拡声器で返し、先導する戦闘機に追従するように進路を変える。


 マリュスはラッサロン天空基地と同じ規模の五万人が住む二級天空島だ。ユーストルから最も近い都市であるため、イルリハランでも首都との経由地点として利用されている。


 マリュスは第二次産業を主としていて、数百の企業と工場が稼働している。


 側面から見れば台形。真上から見れば六角形の土台には高低差が様々な木造のビル群が立ち並び、横に広い工場らしい建物も十数と見えた。


 そのため大きな空港が外縁に複数設置されている。オスプレイはその内の一ヶ所に着陸をする予定だ。



 さすがに準備期間が無かったため、ヘリポートなどはなく指定された区域の安全性の高い場所に着陸をしなければならない。


 オスプレイのローターが危険なことはフィリア社会では十分に知られているので、興味本位で近づく者はいないだろう。


 戦闘機の誘導で工業都市マリュス外縁の空港へと近づくと、ここに着陸するよう空港のある区域で旋回をして離れて行った。



 近づくにつれてオスプレイはローターの向きを、水平の飛行機モードから垂直のヘリモードへと切り替える。


 数百メートル離れた場所ではイルリハラン兵や報道陣だろう人々が詰めかけていて、オスプレイは指定された場所へと難なく着陸をする。



「よし、結晶フォロンにホロをかぶせるんだ」



 着陸を確認すると搭乗していた隊員の一人がそう指示を飛ばし、三つのパレットに積んだ結晶フォロンにホロをかぶせ始めた。


 これも事前に決めていたことで、採掘をした三トン全てをマリュスに降ろすことは最初から考えていない。



 研究目的とはいえ、国家予算の十五年分の価値を持つ結晶フォロンを丸々置いてしまうと、世界経済を吹き飛ばしてしまうからだ。


 そのため三トン全てではなく、百キロ分だけ移送することを公にしていた。


 元々採掘された場所はイルリハラン領であり、今後開発特区が軌道に乗れば結晶フォロンはガソリン以下の価額まで下落する。国際情勢をメインに主権や所有権などを考慮するとこれくらいが妥当と言うのが日イ政府の判断だ。



 なのに三トンの結晶フォロンが見つかると、結局ムルートの進路変更が偶然ではなく狙ってしたとなるため、ホロで隠して見せないようにしたのだった。


 何も知らないイルリハラン兵や報道陣に聞かれても、国家機密と言えば公開する必要はない。


ある意味国家機密だから間違ってはいない。


 ローターが完全に止まると安全のため離れていたイルリハラン兵や報道陣が一斉に近寄りだし、ある境で警察だろう兵士とは違う服装をした人たちが規制線を設けて報道陣を止めさせた。



 陸自の隊員たちは外の様子などお構いなしで、イルリハランに引き渡すための百キロの結晶フォロンを準備する。


 運搬はイルリハラン製の浮遊台車を使い、その台車に百キロの結晶フォロンを隊員たちがパレットから乗せ換えた。



「準備OKです!」



 一分も掛けずに準備を終えて隊員が報告をする。


 今回は軍による移送任務なので政府関係者は羽熊だけだ。その羽熊も通訳として搭乗をしているだけで、受け渡し等は全て国防軍が請け負う。


 なので事務的な対応をするのも羽熊ではなく、接続地域で転移初期から国防軍を率いていた陸自の多茂津一佐だ。


 いくら運ぶ物が物なだけに顔役であっても服装は礼装ではなく戦闘服フル装備で、後部ハッチが開くと外に向かって歩き出した。



 そのすぐ後ろに羽熊が続く。


 ちなみに羽熊の服装はスーツに陸自の使う防弾ベストを着ていて、降りる際に防弾ベストは脱いで座席へと置く。


 外に出ると相も変わらず報道陣から凄まじいフラッシュの雨がやってきた。


 マリュスがユーストルに最も近い街だけあり、いついかなるときでもユーストルに来れるよう世界各国の報道陣が常駐しているのだろう。



「長旅お疲れさまでした。ようこそマリュスへ」



 一人、フィリア社会の背広を着る男性が多茂津一佐の方へと近づいてきて挨拶をした。年齢は六十代だろうか、顔のシワが目立つ人で高官であるのが伺える。



「熱烈な歓迎痛み入ります。日本国国防軍、陸上自衛隊多茂津一佐です」



 現地でイルリハラン軍と積極的に交流しているだけあって、流ちょうに多茂津一佐はマルターニ語で話をする。


 通訳として羽熊は同行していても、実際のところ不要だったりする。



「マリュス浮遊都市で島長をしています、トルス・ハーフェスです」



 島長は浮遊都市のトップ。市長や村長のようなものだ。



「マリュスの島長として、ニホンの到着を歓迎します」



 トルス島長は手を斜め下に差し出し、多茂津一佐は斜め上に差し出して握手を交わした。


 そして手が離れるとトルス島長の背後で待機していたイルリハラン軍が近づき、オスプレイからも百キロの結晶フォロンの石塊を積んだ浮遊台車を運ぶ国防軍隊員が降りてきた。


 初めてお目にかかるフォロン結晶石の石塊に、報道陣は集中的に写真や映像に収めだす。


 地球で言えばダイヤレベルかそれ以上の希少性だ。その概念を根底から覆すのだから収めたいのは当然であろう。



「ユーストルで採掘されたフォロン結晶石の石塊百キロ。イルリハラン王国に引き渡します」


「確かに、承りました」



 日本とイルリハランはそれぞれの敬礼をした。


 その後公開用のため暴露した状態で結晶フォロンを日本からイルリハランに渡し、イルリハラン軍はそれを重厚な容器へと台車ごとしまい直す。


 これから下落が見込まれてもまだまだ破格な資源だ。強奪されないよう軍が厳重に護衛に付き、報道官に対して銃口を下に向けているとはいえ警戒をする。


 さすがに数十から百とありそうなカメラの前で強奪を企てようとは思えないが。



「ここから先の移送はイルリハラン軍が責任を持って行います」



 フィクションだと移送中の強奪が定番だ。ダミーを用意したり、現場判断でのルート変更や強力な武器を持った護衛が不可欠になる。


 だがここから先はイルリハランの管轄。日本が出しゃばることではない。


 イルリハラン兵は厳戒態勢で容器を護衛しながら移動を始め、この場から離れて行った。


 受け渡しは特に問題なく終わり、表向きの目的は達成された。



「自分たちはこれより帰路につきます」



 もし政治家や閣僚が搭乗していたら歴訪として長居をしてしまうが、今回はその目的ではない。おそらくムルートの事で悪い方での問題も起きているだろうからすぐに戻るべきだ。



「そうですね。その方がよろしいでしょう」



 と、意外にもトルス島長は帰国を推奨してきた。


 社交辞令であれば長居を求めるものであるが。



「何かあったのですか?」


「事情は察していますが、先ほどあなた方の非浮遊機がムルートに接近したことが世界的ニュースとなっているのです。空港近辺では熱烈なミストロ教信者が抗議に駆けつけており、最悪暴徒化する恐れもあります」



 ここで安易に答えるわけにはいかない。事前協議でマリュス島内で茶番作戦を知る人は一人もいないとしているからだ。



「ムルート……それは巨大鳥のことですか?」



 多茂津一佐はまるで知らなかったかのように答える。



「そうです。そして多くの人々がミストロ教の聖獣として崇め、絶滅危惧種でもあって接近を禁止する条約があるのです」


「……知らなかったとはいえ、我々はそんな動物に近づいてしまったわけですか」


「今は警察が抑えていますが、激化するとあなた方をお守りできる保証が出来ません」


「いま我々がいることで刺激になるのでしたらすぐに引き上げましょう」


「追い返す形となってしまい残念でなりません。帰路の安全を願っています」



 自衛でも襲ってきた市民を国防軍が死傷させてしまったら、重大な国際問題となる上に反日感情を与えてしまう。


 ムルートに近づいた以上にそっちの方が日本にとって損害は大きい。


 おそらくここに集まっている報道陣は、百キロの結晶フォロンだけでなくムルートについてでも質問をしたいのかもしれない。



 正真正銘長居は無用と、多茂津一佐はトルス島長に敬礼をすると隊員全員オスプレイに搭乗するよう指示を出した。


 羽熊もトルス島長らにお辞儀を一度してオスプレイへと乗り込む。


 全員が乗り込むと後部ハッチが閉まりだし、エンジンが掛かった。


 オスプレイがマリュスに着陸してから十分と経っていない。


 まさに弾丸旅行と言えよう。



 だがもたもたしていると高さ制限のないリーアンたちが警察の規制を振り切って空港に殺到しかねない。


 万が一リーアンが回転するローターに巻き込まれ、それを報道陣のカメラに収められたら転移から今までの苦労が水の泡だ。


 エンジン音と振動がある程度大きくなると、体が少し重くなる感覚が来てオスプレイは宙に浮いた。


 そのまま地面から数十メートルと浮き上がると機体は左斜めになり、横滑りするようにして百メートルほど先にある縁を越えて上空四百メートルを超す大空へと出た。その後機体は水平になり、ヘリモードから飛行機モードに切り替わって高速移動へと移る。



 幸い暴徒化までする信者はいなかったようで、オスプレイを追いかけてくるリーアンは一人も見られない。


 これにて課せられた二つの任務は達成された。副産物として反日の種を世界中にばらまいてしまったが、聖獣ムルートを何もせずに落下させて発生した怒りと比べたら、幾分かは抑えられたであろう。


 しかし強弱はあれ遺恨を残したことには変わらず、この後の政府対応によっては地球時代で散々悩まされた反日を作ってしまうかもしれない。


 想定内とはいえ、敢えて作ってしまうのは悲しいものだ。



 そしてもう一つ。


 羽熊がわざわざ同行する意味があったのか、である。


 日イどちらでも、時期から見てメディアは羽熊が同行する意義があったのか疑問視するだろう。もう流暢に喋れる人は少なからずも増え続けているから、重要な案件に必ずしも必要とするわけではない。


 だが、今回羽熊が同行した事には少なからず意義がある。専攻は違えど知名度と博士号を持つ羽熊が同行したことが後々意義を持つはずだ。



 オスプレイは巡航速度まで加速して、日本のあるユーストルへと直線航路に入った。



      *



 異地の情報が日本に伝わるルートは、駐日イルリハラン大使館から直接日本政府に伝えるのと、イルリハランとの通信設備がある接続地域から関連省庁及び日本政府に伝える二つがある。



 元来であれば必ず外交機関である外務省が間に入るのだが、日本の外務省は地球各国専用であって異地社会には未対応だ。


 インターネットもプレスもまだ機能していないため、日本国内で異地の事を伝えるには政府発表や記者会見に限られる。


 外務省は日本最古の行政機関でその歴史や蓄積したノウハウはずば抜けているが、あくまで地球各国を相手にしてだ。



 そのため外務省が間に割り込むより、むしろ飛び越えた方がスムーズになるため敢えて無視する形を取っていた。


 今後日本政府は外務省に代わる外交機関として星務省が担い、今後外務省は規模を縮小して日本国内の百万人の元外国人の対応をすることになる予定だ。


 星務省設置法の可決や実際に設置するまでもうしばらく時間が必要なため、特例としてイルリハラン大使館と政府にはホットラインが設置されている。


 ちなみに国際問題が発生して大使を呼び出す場合は接続地域となる。



 ユーストルを初めて自力で抜けたオスプレイが、マリュスから離れたことを日本が知ったのは出発してから十分ほど経った頃。駐日イルリハラン大使であるエルマから直接佐々木総理へと告げられた。


 佐々木総理の執務室には電源の対処をした異地産の衛星電話が置かれ、それによって直接総理とイルリハラン大使館は繋がっている。



「そうですか。やはり問題は大きくなっていますか」


『結果的にムルートのユーストル侵入を阻止できたので賛否両論でもありますが、割合で言えば非難の声が多いです』



 近寄れば避難するのが常識の国際法で保護された接近禁止動物。その上世界的宗教上の聖獣として崇めているのに、完全な信頼を得ていない異星国家が無許可で近づけば非難しないわけがない。


 許す声が多少あるだけでもまだ救いがあると言うものだ。



『ササキ首相、国王より言葉を預かっております。今回、日本がムルートを知らなかったのは我が国が怠ったからであり、そのことは速やかに世界に公表する。ですので事前の協議の通り、ムルートの事は一切知らなかった体でお願いします』


「分かりました。しかしそれでは貴国が制裁を受けるのでは?」


『元々この条約に罰則はないですし、ユーストルを持っている我が国と喧嘩をしたがる国はいないでしょう』



 国民レベルであれば宗教の観点から敵は多くいても、国レベルなら政教分離の理念とユーストルの存在から妥協しやすい。もし外交悪化で結晶フォロンの輸出を止めるとなれば悲惨しかないからだ。


 地球時代同様、遺憾の意を発する程度で終わるだろう。


 が、可能性が高いと言って油断してはならないのが外交であり政治だ。


 何を以て紛争に突入するのか分からない。


 先のハーフ問題がいい例だ。



『……それと総理、これはまだ未確認で公表も当分しない話ではありますが、陛下の許可で首相にだけお知らせします。羽熊博士含め他言は慎んでください。いまお近くに人はいますか?』



 少し重いトーンでエルマは語り出し、佐々木総理は気を引き締め直す。



「私一人です」


『ムルートの急な進路変更は、人為的だった可能性があると進路変更近辺を調査したところ分かりました』


「そうですか。やはり人為的に……」


『それによって兵士が一人亡くなりました。何らかの爆破装置が組み込まれていたそうで、爆発に巻き込まれてしまいました』


「……お悔やみを申し上げます」


『どの国、どの組織が仕掛けたのかは分かっていませんが、その兵士は一言、レーゲンと報告しています』



 そう聞かれて佐々木総理は一つの答えを出す。



「……レーゲンの仕業に見せかけたものでしょうな」


『イルリハラン政府も同じ見解です』



 こうした工作をする場合、他国の製品を使ってどの国で製造したのか分からないようにするのが常識だ。戦争ならいざ知らず、どの国の工作員か分かっては意味がない。


 その逆で裏の裏で自国の製品を使う場合もあるが、相手が穿った考えをしないと意味がないためあまりにもリスクが高い。


 真偽はどうあれ名前が出た以上は容疑者の一つに組み込まれる。



『レーゲンとは先の問題で少なからず因縁がありますので、最重要容疑者にはなりますね』


「真相は知りたいところですが、我が国が関与できることではありません」



 どれだけ日本が絡むことであっても場所はユーストル外だ。日本が絡める事案ではない。



『これは私見ですが、工作組織か国はムルートをユーストルに定住させて日本を孤立させようとしているのかもしれません』


「仮に日本に近寄らなかったとしても、ユーストルには豊富な獲物と結晶フォロンがあります。ムルートにとっては絶好の場所ならばユーストルから出ることはないかもしれませんね」



 そうなると高確率で日本周辺が非干渉地域となって輸出入が困難になり、開発特区は確実にご破算になる。


 国際法とムルートの存在を利用した上手い策だ。


 寸でのところでそれを打ち破れる日本が動いたから無事に回避したが、二段構えの策で宗教上の非難を引き起こさせた。


 犯人がいるなら中々の策士と言えよう。



『しかし今回の事で、また起きた際の対処策が議論されるでしょう』


「前向きな案が議論されることを期待しましょう」



 国連であれば非加盟でもオブザーバーとして総会に参加でき、アルタランでも同様な制度があるが日本にはそんな話は来ていない。よって日本の意見はイルリハランが発言してもらうしかない。


 イルリハランとしてもユーストルは生命線だから、何かと食らいつくことだろう。



『また情報がありましたら連絡をします』


「よろしくお願いします」



 そうして通話は終わり、佐々木総理は衛星電話を切る。



「ひとまず成功したが……中々落ち着かせてはくれないな」



 最大の問題だった農奴・隔離政策を回避したかと思えば宗教工作だ。


 異星国家ゆえの宿命かもしれないが、一時の平穏を望むことも許されない。


 しかしその宿命にイルリハラン王国も付き合ってくれているのだ。泣き言は言っていられない。



「ともかく無事に戻って来てくれ」



 国防軍自衛隊最高指揮官として、佐々木総理は今も飛行中のオスプレイの帰還を願った。

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