第61話『決戦を終えて』



 エルマの目の前にあるノートパソコンに、リクト国王代理が映し出された。



「国王代理、此度の会談お疲れさまでした」


『あのような会談は未経験だったよ。異星国家を交えての会談を、一日で終わらせるのだからな』



 事前による政府高官による協議も調整もなく、即興による会談での方針の決定をする。


 企業や行政レベルならあっても、国レベルではないことだ。


 それも国内ではなく国際だから、異常さは政治に関わる人だけでなく、一般人でも感じている事だろう。


 エルマは不参加だったので会談の内容は知らず、表向きの合同発表しか知らないがウィスラーがハーフであることは知っている。


 決して表には出てこない内容だが、表向きの発表から会談の中身は読み取れた。



「その苦労が想像できます。しかしよく委員会が日本を尊重する判断をしましたね」



 この通信は盗聴不可回線で、他人が盗み見られる心配はない。しかし念には念をして示唆する程度で話をする。


 発表では特区案は日本の発案ではなく委員会の発案としている。これは日本が出したとなると異星国家の言いなりと世間が見る恐れがあるからだろう。



『主だった特区案と核保有は重い空気が満ちていたな。はっきり言ってニホンとレーゲンの対決だった』


「この地で活動基盤を作りたい日本と、日本を排除したいレーゲンですからね」



 ある意味中立である委員会十三ヶ国と、両極端に位置する二国。そら二国間のみの戦いと言われても不思議ではない。


 どれだけ中立である委員会を取り込むかがカギで、特区と国際平和を語った日本に過半数以上の票が流れた。



「国王代理、ハウアー国王が倒れた直後から日本と関わって、どう思われましたか?」



 経験から日本に対しての意識は接触をするかしないかで大きく変わることがある。


 会う前は異星人と言う偏見で敵対心を抱くが、いざ会って話をすると偏見であることを恥じて大きく考えを変えるのだ。


 エルマはルィルほど初期から接していないとはいえ、そうした意見を変える人たちを見てきている。



『今になると、お前や兄上の考えが分かる気がするよ。確かにニホンの言葉は聞くに値する』



 さすがに信用するとまでは言わない。



「では特区案と核保有は……」


『イルリハランとして賛成に投じた。どちらともユーストルを戦場にする選択だ。もう少し考える時間は欲しかったが、間違いではないと信じよう』


「ハウアー国王も同じ選択をしたと思います」


『さて、曲がりなりにも兄上と同じ方向に進む。エルマ、これでラッサロンを独立している意味はなくなった』


「ええ、イルリハランと日本で国交条約が結ばれた際には、秘密裏に指揮権は元に戻ります」



 独立解除の条件は、国交条約が結ばれるかハウアー国王が職務に復帰されるかの二つだ。


 ハウアー国王と同じ方向にリクト国王代理が進んでいても、条件はまだ満たされていない。



『強情だな』


「条件を私情で変えては政治の意味が無くなります。国王が復帰されるか、国交条約を結ぶかの二つです。それまでは、ラッサロン浮遊基地の指揮権は私にあります」


『ニホンは早急な貿易を望んでいる。兄上の復帰を待っては間に合わないだろう』



 日本は一日も早い貿易を望んでいる。ハウアー国王の復帰は待っていられない。



「……それでは」


『時間を調整して私が調印式に出席しよう。レーゲンの動きも気になる』


「この期に及んでまだレーゲンが攻め入ると?」


『ウィスラー……いやレーゲンは特区も核保有も反対していた。ウィスラー大統領は民主主義に則るとしても、レーゲン共和国として勝手な行動を取る可能性は捨てきれない』


「クーデターですか?」


『私の勘だ。政府の判断を無視して軍が動く可能性はありえる』



 元々ユーストルを求めていたのは円形山脈が国教の聖地としてだ。その真実は無尽蔵の結晶フォロンが眠り、転移現象が起こる土地であり、ハーフの発祥の地。


 レーゲン政府の中でどこまでウィスラーがハーフまたは、ハーフの存在を知っているかは分からないが、大統領の判断を不服として軍が勝手に動く可能性は確かにある。


 一応経済や内政は安定している国だからクーデターは早々起こりはしないが、七十年間ユーストルを求めてきたことを考えると捨てきれない。


 いや、聖地よりも世界の覇権を握れるユーストルを独占するために動く方が自然だ。



「それでもそれを条件に監査委員会を通過しているので、そこは遵守させていただきます」


『強情な奴め。分かった。なるべく早くラッサロンを取り返すため、お前が仲介してニホンから調印式の日時を聞き出してくれ』


「……分かりました」


『心配しなくてもラッサロンを移動させる気はなくなった』


「分かりました」


『こいつめ、急に元気になりよって」


「フフフ」



 ラッサロンがそのままユーストルに残れるのは朗報だ。


 日本との交流であの基地以上に優れているところはないし、主要基地で大戦力が揃っているから有事の際は即応も出来る。


 もちろん指揮権を戻せばエルマは手出しが出来なくなるが、いま言質を取ったので問題ない。


 実際のところエルマは独立を秘密にするため指揮らしい指揮は一切していない。もちろん有事の際は指揮官として動く決意は抱いていたものの、何事も無くて内心安堵していた。



 それはホルサー大将たち独立を知る幹部も同じだろう。


 いくら王室の一員とはいえ、先日まで軍曹だった人間が五万人を収容する基地の総司令官をするのは歴史上例がない。


 士気に関わるし、万が一の責任を負いきれる自信もない。


 決意はあっても見合うだけの能力はと言われれば別だ。


 大使と言う立場であってもまだ二十四歳なのだから。


 しかし、エルマはそうした不安を一切顔にも出さずに今日を迎えた。



 リクト国王代理が日本側の考えに意識を向け、日本が全力でユーストル大戦を防いでくれたからだ。


 本当に、これら全てが侵略までの戦略だとしたら心の底から感心する。


 ただ、逆を言えば躊躇なく殲滅も出来る。ここまで信頼を得て裏切れば躊躇など微塵も起きない。必ずや世界は一丸となって日本を滅ぼすだろう。


 今まで見てきた日本が裏のない日本であることを信じ、そうならないことを切に願う。



「……ハウアー国王はこうなるところまで予測していたのでしょうか」



 ハウアー国王が昏睡に入るときは、ハーフの存在とウィスラーがハーフである事実は知らなかった。ならば勅令監査委員会に、ラッサロンを独立させる勅令を出させたときは一体どこまで読んでいたのだろう。



『ラッサロンを理由に農奴政策を撤回させるところまでだろうな。バスタトリア砲が個人の判断で出せるのであれば、アルタランも多少は譲歩せざるを得ない』


「戦争にもなる恐れが多分にありましたが」


『悔しいが、ニホンがアレに気づかなければ世界軍がユーストルに侵攻する方針を委員会は決定しただろうな』



「まさか、私達が微塵も不審も抱かなかったことを、日本が気づくとは思いませんでした」


『ニホンだからこそ気付けたのかもしれないな。ニホンが転移してこなければ、我々は頭の片隅にも思い描くことはまずない。そして宇宙からではなく、転移によって突如来たからこそ出来た発想だ』


「気づかなくても脅威はなかったでしょうが、フォロン結晶石がユーストルにある事実を、我々は知らずに延々とレーゲンと小競り合いを続けていたでしょうね」



 まさかこの世界に漂う閉塞感を壊したのが、異星国家だから分からないものだ。



「ですが、日本のおかげで新時代の幕開けです」


『自力ではなく異星国家によってなのは悔しいがな。無尽蔵のフォロン結晶石を、特区としたユーストル内だろうと世界に流通させようと百年の発展を十年に短縮できる』



 エルマの脳裏に発展した未来が想像される。



「……そうなると次に警戒すべきは国ではなくテロ組織ですね」


『アルタランがニホンの主権を認めれば他の傍観している国々も追従するだろうが、個人や組織はそうはいかないからな』



 日本が転移してまだ四ヶ月も過ぎていない。そんな中で主権を持って活動を嫌う人は必ず現れる。単にデモだけで非暴力で主張を訴える人もいれば、過激に暴力で解決しようと様々な組織が生まれるだろう。


 困るのが自爆テロなど武力で関係ない人を巻き込む事件を起こすことだ。


 特区としてユーストルを解放すれば、秘密裏に入ることは決して難しくない。直径四千キロにも渡る円形山脈の境界線を、常に監視することは不可能だから断言して不法入国は起きるだろう。



「それは世界で勘案しなければならない問題ですね」



 特区は世界を巻き込む事業だ。今ここで決められることではない。



『そうだな。今ここで案を出そうと、兄上が目を覚ませば案を含め私はお払い箱だ』


「叔父上……」



 調印式を就任後すぐに中止にしたからこその発言だろう。



『兄上とお前に振り回された身だが、まあ結果的に上手くいってよかったよ』


「それは違います。伯父上が国王代理として立ち回ってくれたからこそ今を迎えたのです。もし調印式がそのまま行われていたら、今とは違う結果になっていたかもしれません」



 未来は無数の選択肢の果てに起きる。


 この今に繋がる選択肢に、リクトが国王代理が不要であることは決してない。


 もしハウアー国王が倒れても調印式が行われれば、アルタランの介入は遅れてウィスラーがハーフであることや、特区案なども出はしなかったかもしれなかった。


 混乱や困惑こそあれ、今に至るにはリクト国王代理の存在は不可欠だったのだ。



「一切の血を流さず、とは行きませんでしたが、それでも最小の被害で最善の結果になったと私は思います」


『そう私も思おう』



 そして通話は切れる。



「……本当に、どこまで読んでいたんですか?」



 エルマは天を仰いて呟いた。


 もしここまで読んでのラッサロン独立であれば、恐るべき先見の明だ。


 エルマも王室の一員として考えることはあっても、ここまで先を読めたことはない。


 ここまで読めて王として最低の資質であれば、エルマは永劫なれる気がしない。



「本当、あなたには頭が上がりませんよ」



 一日も早く目を覚ましてほしい。そう願い、エルマはノートパソコンを閉じた。



      *



 アルタラン浮遊都市に建設された首脳用迎賓館の一室にて、ウィスラーは一人ソファーに腰かけていた。


 毎晩嗜んでいた酒も、自殺未遂を起こしてからは一滴も飲んでおらず、テレビやラジオも点けずに窓の外にある夜の世界を見ている。


 常に移動する都合からアルタランにはビル群がない。


 よって部屋のほとんどには窓がないのだが、迎賓館など景観上必要な施設は意図的に外側に配置される。



 ウィスラーが宿泊している迎賓館は、国家元首を最上の持て成しで宿泊させるため浮遊都市の中でも上部に位置されていた。


 窓から見える夜の風景は、真っ暗の一言だ。


 一般的な浮遊都市であればビル群があるので明かりが見えても、アルタランはそれがない。よって窓の外に見えるのは人工物のない外の世界で、それゆえに光がないのだ。


 部屋の明かりは灯ったままなので、窓にはウィスラーの顔がはっきりと見える。


 世界で唯一、他の人と違い黒髪が生える人間。



 表向きとしては幼少時の病気によって脱毛してしまったとしていて、実際は看護資格を持つ母の手によって永久脱毛した。


 この写真に写るのは永久脱毛する一週間前のもので、以降は毎朝の処理でスキンヘッドを保っている。


 だからこの写真は大事なのだ。ハーフであることを一発で証明してしまう危険な物でも、ウィスラーのアイデンティティを保つ大事な物でもあるからだ。


 もし宝物を一つ挙げよと言われれば、考えるまでもなくこの写真を選ぶだろう。


 半世紀近く前に取られた写真。日焼けして色褪せ、折れ目がいたるところに見られる。



「……これで正解だったのかな」



 ハーフと言う立場から未来を考え、レーゲン共和国大統領として解決案を出したものの、原因であるニホンが上回る案を出してアルタランの考えを変えてしまった。


 このままニホン人が活動をすればハーフ種が生まれ、ハーフはどんな組み合わせでもハーフが生まれ、世代を経れば経るほどリーアンよりハーフの数が増え、いずれはリーアンは消滅してハーフだけが残る。



 生き残ったとしても、希少種としてリーアンは持て囃されるのか、それとも幽閉して徹底管理されるかはその時にならないと分からない。


 だが、ハーフを野放しにすれば必ずや微増していき、ある境を越えて爆発的に増えていく。


 これを一種の進化の歴史と位置付けるか、進化の失敗と受け取るかは修復限界点を越えた時の世論だ。



 今はどう考えようと可能性ある未来でしかない。


 少なくとも、そうした未来をアルタランは選んだ。


 選ばれた以上は、政治家としてウィスラーも従うしかない。


 ここで無理やり宣戦布告をして攻めたところで、待っているのは壮絶な国難だ。



 明言こそしていないが、核兵器の放射性物質と国内で貯蔵している殺人物質は同じだろう。ミスか狙ってか殺人物質としていた物質を放射性物質とササキ首相は言っている。


 その貯蔵施設らしきところを狙えば殺人物質をまき散らし、ニホン人を大量死させられる。だがそれをしてしまえば、聖地としているユーストルを穢すことになり、立ち入りも長時間困難となって国内外から非難を受ける。



 だったら表向きでも友好的な態度を取って接する方が利益と言うものだ。


 ただし、それは力を信条とするレーゲンにとって逆の考えで、国民が乗ってくれるかは分からない。


 以前から繰り返していた暗躍を続けたところで、レーゲンに有利な展開はもう望めない。


 ニホンは信用を下げる行為を徹底的に警戒してくる。自分たちならこうして信用を下げると考えてその対策をしているようにだ。


 それでは裏の裏の裏を掻かなければならず、そこまでいくと成功率は著しく低くなる。



「世界は真相を知って、知った上で選択した。ここまで、だろうな」



 思考を巡らせてもここまで来てしまったら打つ手なしだ。


 自分自身がハーフであると公表したところで、ただ混乱させるだけだ。


 ウィスラーは社会の混とんを望んではいない。全ての行動はリーアンの恒久的平和と発展を望んでのことで、ニホンを排除することを絶対とはしていなかった。


 だから今ここでハーフを公表しても意味がない。



「母さん、これで私の使命も果たされたのかな」



 六十七歳にしてはかなり女々しい発言だが、もちろん一人でいる時だけだ。


 ハーフとして自覚し、母が死去して以来一人で生きてきた。


 頼れる親族や友人はおらず、身一つで軍人の一番下からこの地位にまで上り詰めた。


 相談役はいても、それはあくまで大統領としてでウィスラー個人はいない。


 そのため、一人の時に母が写る写真に向かって独り言で相談するしかなかった。


 返してくるのはウィスラーの心の中にいる母の声。



 ―知ったからと言って丸投げはしてはだめ。あなたが安心できるまで見守り続けるの。



 母であればそう返しそうな言葉が胸の中から生まれる。



 ―ハーフだからこそ出来ることはたくさんあるわ。リーアンとしての目線じゃなく、ハーフとしての目線で見守るの。それはウィスラー、貴方にしか出来ない事よ。



 結局は自分自身の言葉なのだが、ウィスラーはそうした自問自答でここまで来た。


 なんであれ、半世紀以上と一人で抱えてきたハーフは秘密ながら世界に渡せた。責任もまた預けられ、重圧は幾分か無くなった気がする。


 これで隠居生活をと言えば良いが、母の言葉通り丸投げは出来ない。


 まだ始まってすらいないのだ。



「ならば考えを変えるしかない……か」



 今までは武力によって攻め入ろうとしてきて、世界が平和的政治を選んだのならもうその考えは政治としては通じないだろう。


 二年後には大統領としての職は終わり、ハーフを知らせた以上国の政治には関わるべきではない。ならば特区の影の監視者として立ち振る舞えるよう段取りを進める。


 間違いなく委員会はウィスラーの動向を監視するはずだから、段取りは問題ない。



「……止めるか」



 止めると言うのは出所を秘密にして委託した外部の妨害工作だ。


 この妨害工作は、ニホンが転移して間もなく結成された複数の団体の中でも過激派の反異星人運動団体に行わせた。


 多額の報酬を支払い、その先は決して悟られないよう細心の注意を払っている。


 だが、この過激派の反異星人運動団体は言ってしまえばテロ組織だ。中止にしようとするとつけあがって多額の金を要求し、払えば次に次にと求めてくる。


 よって、ウィスラーは秘匿回線を通して一方的に中止を指示し、返事を待たずに通話を切った。


 大義として異星人排除を掲げても、目的の根底は金だ。その金が手に入らないとなれば精力的に排除運動は出来ない。


 無論ウィスラー以外のスポンサーがいるので解散とまではいかないが、ウィスラーは全体でも八割を占めるスポンサーだったから一気に鈍化させられる。



 少なくとも年度内でこれ以上の活動は出来ないだろう。


 当面の課題は世界の方針にレーゲン国民を宥めることだ。


 事実上のレーゲンの敗北だから、表向きの方針であった聖地奪還が不可能となったことで国民の悲しみは政府とウィスラーに向けられる。


 今ここで責任を取って辞任し、新たな大統領が選出されてアルタランの意思に反することは避けたい。


 本心としてはそうしたくても、それは決して得策ではない。


 世論は国を動かす。しかも大統領選でそれが起きると、次期大統領は世論と同調した動きをしてただただ混乱に導くだけとなる。


 現職大統領としてそれは避けねばならない。



「今日の会談より難しいかもな」



 ウィスラーは苦笑顔を見せ、どう国民を宥めようか考えることにした。



      *



「……本当に取材陣が来ているんですね」



 ソルトロンの窓の外から見える接続地域には、五社近くの取材陣が陣取っていた。異地側の取材陣はおらず、全員日本人だ。


 行く時も取材陣が初のユーストルを出ると言うことで殺到し、今日帰ってくることは皆知っているので撮りに来たのだろう。


 アルタランを出発して二日。羽熊達の乗るソルトロンを旗艦とした艦隊は、日本領ユーストルに入国して接続地域上空に来ていた。



「初のユーストルを出ましたからね。少しでも外界の情報を聞きたいのでしょう」


「でも記者会見の予定はないですよね?」



 羽熊は佐々木総理に問う。



「それは私の仕事です。博士はあくまで高度な通訳として同行をしているので、記者会見に参加する必要はありません」


「では私は職員の方と一緒にいれば?」


「記者会見は官邸で行うので、博士はそのまま基地にお戻りくださって大丈夫です」



 さすがに現地での記者会見はしないようだ。一切聞かされないあたり、最初から記者会見に参加させるつもりはなかったのだろう。


 羽熊としてはうれしく、疲れはこの二日間することがなくて取れるところか余計に疲れてしまった。


 わがままを言えばすぐにでも住み慣れた隊舎の自室に戻りたく、つい顔に笑顔が出てしまう。



「分かっていると思いますが、記者の質問には一切答えないでください」


「はい」



 これはもう幾度と経験している。


 ドアがノックされ、ルィルがドアを開けた。



「皆さま、当船は接続地域上空に到着しました。これより下船致します」



 準備は全員終わらせている。


 日本政府職員はソルトロン内部を移動し、小型飛行車に乗り込んでソルトロンから下船をする。


 高さは地表から五十メートルほどで、普通ならあまりの高さに恐怖するところ、何度も経験していれば慣れてくるものだ。



 佐々木総理始め、日本政府職員も慣れた様子で座り、ルィルの運転で小型飛行車は地表へと向かう。


 残り十メートルのところで減速し、軽い衝撃を持って大地に着陸した。


 斜め後ろから見るルィルの様子は、平静を保っているつもりか強張っているのが分かる。


 なので羽熊達はすぐに降りた。



「ルィルさん、ありがとうございました」


「お気になさらないでください。当然のことをしたまでですから」



 日本人的対応が板についてきている。


 ハーフと言う概念が出てたことで、ひょっとしたらルィルもと思ってしまう。


 それを言うなら羽熊もか。


 ルィルは笑顔を見せて異地式の敬礼をして飛行車はソルトロンへと戻っていった。


 佐々木総理は空に向かって手を振り、振り返って記者団にも手を振る。


 羽熊は手を振るよりはお辞儀で応え、職員の案内で報道陣を回り込むようにして須田駐屯地へと入る。


 駐屯地の中には複数の公用車が車列で停まっていた。考えるまでもなく総理が乗るためのだ。



「では羽熊博士、名残惜しいですが我々はこれで」


「お疲れさまでした」



 佐々木総理は手を差し出し、羽熊はその手を強く握って握手を交わした。


 その光景を報道陣は撮影する。


 そして佐々木総理と職員は公用車に乗り込み、車列は内陸の方へと向かって行った。



「本当に、お疲れさまでした」



 その車列に羽熊は深々と頭を下げ、後方から取材陣から「何か一言」と声が掛かるが会釈程度で答えずに駐屯地へと向かった。



「お帰りなさい、博士」


「お帰りなさい。お疲れさまでした」


 駐屯地に入ると至る所から隊員たちから挨拶が来る。


「ただいま」



 そう返し、羽熊は手を振って笑顔を振りまく。


 すでに日本国内では、会談がどうなったかはイルリハラン大使館から日本外務省に伝えられて報道されている。


 日本単体では通信衛星が使えないので長距離通信は出来ないが、そこはイルリハランの協力で代わりに伝えてもらったのだ。


 事実上の国交状態ゆえにこうした融通が出来る。


 さすがに日本の報道がどう伝えられているのかは知らないが、様々な議論がされているのだろう。


 表向きはアルタランが特区案を出し、農奴・隔離案はそもそも無かったことにされている。


 回避したとはいえ、わざわざ負の政策を国民に伝えて不安にさせることはないし、異地と違う報道をして矛盾を作る必要もない。


 闇は闇の中に葬るのが一番だ。



 と、ドンと背中に衝撃が走った。


「だっ!」


「羽熊、お帰り」


 背中を大きな手のひらで叩いたのは雨宮だ。


「あ、雨宮」


 背中を叩いた手はそのまま首に回って締め付けてくる。


「よく戻って来たな!」


「雨宮、苦しい」


 一般人と比べて自衛隊員は筋力が高い。軽い締め付けでも相当だ。


「おっと悪い」


 腕が首から離れて一気に呼吸が楽になる。



「凄いな。こっちでいやあ国連の安保理を相手に方針を変えちまうんだからな。どんな話術を使ったんだ? やっぱり核か?」



 雨宮はウィスラーがハーフであることを知らない。日本で知っているのはわずか羽熊含めて五人だ。初期から共に行動しているとはいえそれは言えない。


 罪悪感を覚えても、安全保障上自分の中で『ウィスラーがハーフと知っている』と知っている人以外とは話せないのだ。


 万が一カマかけで言い当てても、羽熊の中でその人が知っていることを知らなければ通じない。


 だから雨宮や木宮相手でもこのことは、比喩ではなく文字通り死ぬまで話せないのだ。



「いやいや、俺は何もしてないよ」


 あまり嘘をつきたくないゆえ、胸にチクリと痛みが走る。


「総理の外交の成果だよ」


「そういうことにしといてやるよ。多分口に出せない話をしたんだろ? 俺たちも言えないことあるから分かるよ」


 そう言ってもらえると嘘をつくのも気楽になる。



「で、この後どうするんだ?」


「携わってるところを見るつもり」


「勤勉だな」


「別に仕事をするわけじゃなくて顔出しをするだけだよ」


「……なら夕方は空いてるか?」



 ちなみに今は午後二時過ぎである。



「空いてるけど?」


「じゃあ呑むぞ。戦争回避祝いだ。酔いつぶれるまで呑むぞ」


「一尉が酔いつぶれるまで飲んでいいの? 規則違反じゃないの?」


「こんなめでたくて呑まずにいられるか。それに今日は非番だ」


「分かった。けど何か言われても責任は取らせないでよ?」


「取らせるかアホ」


「羽熊博士、お帰りなさい」


「あ、木宮さん、それに若井議員も……」



 隊舎の前まで行くと、同じく須田駐屯地で活動している外交官の木宮と国会議員の若井が待ち構えていた。



「今日戻ってくるので待ってました」


「世界を相手に、総理と一緒とは言えよくあの政策を撤回してもらいました」


「そんな、私はただ通訳をしただけですよ」


「羽熊博士が通訳をしたからこそですよ。他の人がしていたらどうなっていたことか」


「いえ、でも……やりました」



 文字通り日本の命運を賭けた外交は、佐々木と羽熊の二人で勝利をもぎ取った。


 もちろん、数えきれない多くの人の努力があってこそだ。


 一人でも欠けていたら、今のような結果にはなっていない。


 一人であったら絶対に負けていただろう。



「今日は宴会としましょう」


「まだ昼間なんですけど」


 全員会社員ならまだ分かるが、全員公人である。


「お店で飲まなければバレはしませんよ」



 その言葉を異地にいる報道陣が聞いたら、会談とどちらが優先するだろうか。


 お店も、緊急事態宣言を解除したことで避難していた住民たちが戻り、営業も再開している。今では自衛隊員や業者が入り浸ってうれしい悲鳴状態らしい。


 入荷は微々たるもので、人は来ても提供は出来ないとそれまた悲鳴だが。



「……いいですけど、夕方でお願いできます? 色々と顔出ししたいので」



 公務員としてこれでいいのか非常に疑わしいが、それを込みで祝おうとしているのだ。


 その行為を無下には出来ない。


 羽熊は祝いを受け入れると夕方開催として解散となった。



「まあ、今日は本当の祝いだからいっか」



 これ以上考えることも億劫になった羽熊は、雨宮達を見送って隊舎へと入った。


 そして自室に戻り、鍵を閉めて、



「終わったー!」



 荷物を放り投げ、万歳の姿勢で羽熊は叫んだのだった。


 ようやく、羽熊は国の命運と言う果てしない重圧から解放された。

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