第60話『アルタラン決戦⑥ 終結』



 核の撤廃。



 これは前回の超国際会議でも触れられてきた難問の一つだ。


 核に関して日本は意図的に秘匿してきた。



 核兵器の恐ろしさは過去の実験映像と口頭でしか伝えておらず、実際にその威力を見せることはしていないし、そもそも出来ない。


 なにせ共に転移してきた戦略型原潜によって十六基の核ミサイルがあるとはいえ、まだ回収には至っていないし運用すら定まってはいないからだ。



 真実でありながら情報共有されていないため、あくまで異星国家だからこそ伝えられるブラフを含めて牽制し続けてきた。 


 そして原料から原理まで詳細を伝えてしまうと、フィリアの技術力なら作れてしまう。



 原理だけを知ったからと言って作れるほど簡単なものではないが、時間と資金を導入して国家事業として動けば十分作れるだろう。


 そうなるとバスタトリア砲だけでなく、核兵器までこの世界で流通するおそれがあり、日本は一貫してその情報だけは伝えないようにして来た。


 なのに、ウィスラー大統領は宣戦布告の撤廃を条件に事実上の核の情報開示を求めたのだ。



 文言としては核の撤廃であっても、それは核の情報開示に他ならない。


 なぜなら日本が核兵器を撤廃したことを、第三者であるリーアン側が証明しないとならないからだ。証明するためには核の詳細な情報を得なければならず、結果的に核撤廃と銘打った核の流出となる。


 日本は核の恐ろしさを身をもって知っているから、外交カードとして十分に機能出来る。だがフィリア社会はそれを知らない。仮に保有すれば、地球の核保有国以上に安易に使用するだろう。



 使ってからでは遅いのだ。


 フィリア社会の秩序と平和を保つために、核の情報流出は防がないとならない。



「……確かにウィスラー大統領の言う通りだ。先の発言を信じるなら、ユーストル上空で爆発させればユーストル内の電子機器をすべて破壊できる。ニホンも巻き込むが浮遊都市に生活をする我々にとっては大変な脅威だ」



 牽制として発言した電子パルスをモーロット議長はぶり返す。



「特区案が実現した場合、ユーストルに移住する住民はその核兵器の脅威が常にあることになる。守ってくれると言う考えも出来るが、詳細が分からなければ住民は不安となるだろう」



 やはりそうした流れになる。


 電磁パルスが生体レヴィロン機関に作用するか分からないが、電子機器に作用すれば人工レヴィロン機関は皆落ちる。乗り物や浮遊都市にいて逃げられなければ巻き添えで死んでしまうだろう。



「レーゲンによる宣戦布告は反対だが、核兵器の撤廃は安全保障上から反対は出来ない」


「しかしそれは、核兵器に関する全ての情報の開示を意味しますね?」


「我々は核兵器については実験映像でしか知らない。撤廃を我々側が証明するためには、詳細な情報の開示は不可欠だ」


「核に関わる情報は一切提供するつもりはありません」



 佐々木総理ははっきりと告げた。


 つい数十分前とは立場が逆だ。



「ササキ首相、先日の武装解除とは意味合いが違う。例え手放したところで、特区案を変えるつもりはない」


「核兵器についての我が国の扱いは先日の会議でお話をしたので省きますが、提供を断るのは我が国の安全保障に限らず、この星全体の安全保障に強く影響するからです」



 少し間を空け。



「回りくどいのはやめて分かりやすく言いましょう。核開発競争が起きれば数十年で世界が滅びます」



 異星国家ながら首相級の人物が堂々と答える。


 ハーフ問題でも超長期的なことと前置きしているのに対して、核兵器は短期的で直球な答えだ。


 今までと雰囲気が違い、日本委員会の顔は強張りを見せる。



「それは、ハーフよりもか?」


「ハーフはリーアンと言う種がハーフに置き換わるかの問題ですが、核兵器は直接的に人類滅亡に関わります」


「……核実験の映像は見てその威力は知っているが、人類が滅亡に至ると言うのか?」



「その疑問を抱いているから拒否をするのです。フィリア社会は核兵器の恐ろしさを経験で得ていません。経験による脅威を経験していないから安易なことを言えてしまう」


「それは矛盾だ。知らないから警戒しないのだから、警戒するために情報は共有するべきだ」



 日本側の無理な主張にウィスラーが食い掛かる。



「大統領、あなたは自身の境遇からハーフ発生防止に努め、今は大統領として世界秩序を守ろうとしているのは理解します。しかし我が国しか保有していない核関連の技術を、この世界に流出させるわけにはいかないのです。核兵器はバスタトリア砲より被害範囲が広く、その後遺症も長期間で続きます。秩序を守るために核の撤廃を求めるのであれば、現状維持がなにより秩序を守ります」



「ニホンが心変わりしない根拠はどこにある。転移以前では使用は愚か保有すら困難な状態だったらしいが、今は? 国民の八割以上が保有も使用も認めているのだろう? ササキ首相はいかなる状況でも最終手段以外に使わないとしても、次の首相も同じ考えである根拠は?」



「我が国は、国防軍の武力行使を前提とした出動も緊急性を除いて国会の承認を得なければなりません。その武力行使よりも強力な核兵器の使用ともなれば、国会の承認は当然です」



 事態が急変して今すぐ使わなければならない時には、国会の承認を後日に回すこともあるだろうが、そんな使い方をすれば延々と野党やメディアから追及されるだろう。


 その判断は適切だったかと。



 アメリカの大統領なら、強い権限をもともと持っているから正当性は『正義』の一言で済ませられても、日本はそうはいかない。


 日本を敗戦に導いた核兵器を使うのだから、おいそれと使えば原爆で亡くなった人たちにどう顔向けするのかと言われるだろう。



 ぶっちゃけていえば、永劫使いたくないはずだ。


 あくまで互いに同じテーブルに着くための道具だけとして使いたいのが、佐々木総理と日本の考え。


 ここで核を手放せば、同じテーブルに着けたとしても発言力は違う。


 今こうして話をして特区案に持ち込めたのも、核と言うカードが利いているからだ。


 そうでなければ抵抗をするとしても軽視されていただろう。


 だから、使うつもりがないとはいえ日本は核を手放せない。



「例え首相が変わろうとその原則は揺るぎません。核兵器は文字通り最後の手段のみでしか使いません」



 法整備はこれからでも、これは国会議員であれば全員がそう考えるだろう。


 核兵器を通常兵器として扱うべきと主張すれば、その議員の人生は潰えたも当然だ。首相が言っても総辞職間違いなしである。



「話を戻しましょう。安全保障上、我が国が秘匿を続ける核兵器の情報を知り得たいことは理解できます。しかし公表すれば世界のパワーバランスは大きく変わり、果てには人類滅亡の危機にまでなります」


「いや……そうは言うが……」



「事実です。バスタトリア砲は純粋物理攻撃なので、それを主軸とした戦争をしても被害は甚大ではないでしょうが、核兵器は広範囲で長期的にして甚大な被害を与えます。一発だけでも直径二千キロのレヴィロン機関を機能停止できるのですから、無制限で保有に成功した国々が千から万ものミサイルを使用すれば、どうなるかは予想できるはずです」



 攻撃を受ければ報復として攻撃をする。余波を別の保有国が受ければまた報復として攻撃をし、連鎖的に被害が増えていく。



 相互確証破壊。



 地球では主にアメリカとロシア(ソ連)で問題となり、キューバ危機では真剣に戦争の瀬戸際まできたこともある。



 核の認識があまいフィリア社会で核兵器が溢れれば、未熟なまま実戦投入して甚大な被害が予想できる。


 ウィスラー大統領の主張はリーアン側としては間違ってはいないが、確実に自分の首を絞めることになる。



「核の情報を与えないのに、それを脅威と受け取ってもらうのは無理難題な要求と自覚しています。実際に核実験を見せれば分かるでしょうが、我々が来なければ起こりえない核による大気汚染はさせたくはないのです」



 もっとも、原発からも微量の放射性物質が発生しているから、厳密にはもうフィリアの空気は汚染されている。しかし核実験よりは微々だ。



「皆さんはつい先ほど、ユーストルを戦場とした世界大戦の危機を回避する選択をしました。どうか別の世界大戦の危機を起こす選択をしないでください」



 佐々木総理は座ったままテーブルの両手をつき、そのテーブルに額を付けるくらいに頭を下げた。


 首相が頭を下げることは国際会議の場ではまずない。自国の弱みを見せるからで、普通なら追い打ちを掛けられやすい。だが逆を言えば真剣と訴えられる。



「……ウィスラー大統領、ササキ首相の言葉を聞いてどう受け取る?」



 モーロット議長はウィスラー大統領に聞く。



「単純に核兵器を渡したくないとは受け取れないな。だが大統領として、隣国に異星国家にして未知の大量破壊兵器を保有することは許容しきれない。ニホンへの安全保障ではなく、我が国への安全保障としてだ」



 日本でも北朝鮮の核開発問題で安全保障対策を強いられた。


 レーゲン共和国としても、隣国に異星国家にして未知の大量破壊兵器を保有していれば、最終手段として使用しないと明言しても畏怖は消えないだろう。



「それをいうなれば、自国内にニホンがいる我が国はどうなる」



 腕を組み、日本の説得を静観を続けるリクト国王代理が呟く。



「ササキ首相に問いたい。いまニホンには核兵器を製造する能力はあるのか?」


「潜在能力と言う意味ではあります。しかし、法律、世論、歴史、危険性、ノウハウから見て数年で核兵器を保有することは不可能でしょう。そして我が国が独自に核開発をする場合、核実験をする必要があるため実質核開発は出来ません」



 すれば空気を汚すことになるし、地下実験でも土壌を汚染することになる。


 つまり、異地の核開発を止める時点で日本の核開発も不可能なのだ。


 こればかりは理論上とするわけにはいかないから、最低でも一度はしなければならない。



「では、使用可能な核兵器は十六基のみということか?」


「そうなります」


「では今後、十六基より数を増やすことはない、と言うことでいいのか?」


「えー、ミサイルは十六基ですが、その中には五発の核弾頭が搭載されており、核爆弾で言えば八十個あります」


「一発のミサイルに五発も核弾頭を?」


「そういう戦術があるのです」



 バスタトリア砲も用途に合わせて三種類の砲弾を使うから、向こうからしてもありえないことではない。



「そうなると、八十発が上限でよいのか?」


「正確な数字をまだ得ていないので明言は避けますが、その前後です」


「今後、正確な数字が出たら公表するか?」


「お約束しましょう」


「ならば仮の話で八十個として、現有する以上の核兵器を持つことはありえないと言えるか?」


「限りなく困難ですが、ありえないとは現段階では申せません。今は出来なくても未来では分かりませんので」



 ここで断言してしまうと自分の首を絞めてしまう。政治家として安易な決定は出来ず、そうした曖昧な文言となる。



「首相ではなく、個人として聞きたい。核爆弾の増産をしたいと思っているか?」


「思ってません」


「だったらこれから公表する数のみとして、違反すれば相応の法的罰則を安保理決議で設ければいい。我々もバスタトリア砲は一ヶ国一門と決めているのだ。現在ニホンが保有している核兵器のみを保有できるとして、監視体制を確立していけばいいのではないか?」


「核兵器撤廃が宣戦布告の撤回であることを忘れてはないか?」



 リクト国王代理が適切な案を出すも、ウィスラー大統領が噛みつく。



「私も理想で言えば核廃棄を望むが、異星から単独で転移してきたのだ。身を守る唯一の手段として、どれだけ圧力を加えようと我々がバスタトリア砲を廃棄しないように廃棄はしないな」



 一体あの超国際会議から今日まででリクト国王代理に何があったのか、日本側は何も聞かされていない。だが、確実に日本よりの発言をしてくれているのはうれしい誤算だ。


 もちろん何かしらの裏はあるだろう。



「……付随して一つ案がある」


「リクト国王代理、何か妙案があるのか?」



「今後、ニホンがこの地で活動を続ければ、レヴィロン機関の発展形であるバスタトリア砲を完成するだろう。核兵器とバスタトリア砲、双方の兵器を持てば重大な安全保障問題となる。バスタトリア砲の保有を禁止にすれば、国民もまだ安堵するのではないか?」


「平和を願う我が国に、最強と謡う兵器は二種類も必要ありません。平和利用だけを目的とした研究は行うでしょうが、バスタトリア砲を保有することは核兵器を有する限りありえないと断言できるでしょう」



 専守防衛を謳い、平和を切望する日本が二世界の最強兵器を持つことは許されない。


 すれば方針に反し、抑止力の範囲を大きく超えて侵略目的と言われても反論できないからだ。


 散々核兵器の公開や廃棄に反対しておきながら、バスタトリア砲を持つとなれば総攻撃待ったなしである。


 国内でも反発は必至だから、核は有しても砲は持たないのは当然だろう。


 これは国内で議論する必要もなく、総理はこの場で断言した。



「ウィスラー大統領、核撤廃は私も願うところだが、逆の立場であればどうだ? 核兵器を持つ国が周囲にある中で、自国だけバスタトリア砲を廃棄できるか?」


「出来るわけがない」


「貴国はそれと同じことを求めているんだ。ここは現存する核兵器のみと罰則、バスタトリア砲を持たないことで妥協するべきと私は思うが、いかがか?」



 妥協点としてはそれしかないと羽熊は感じる。核に関しては無関与を願いたく、他に妥協する兵器と言えば、今後独自開発できるかもしれないバスタトリア砲くらいだ。


 レヴィロン機関そのものは国家の活動に欠かせず、天地生活圏の違いから独自設計を求められる。


 そこを貸与にすればユーストル内での活動にも支障が出るだろう。



「ならば先と同じで多数決を取ることを求める。それで決まれば私も従おう」



 再び訪れる委員会の多数決。けれどここを乗り切れば終わりだ。



「ウィスラー大統領、これ以上引き延ばしは避けたいので確認するが、これで決まれば異論は出さないか?」


「出さない。異論はあるが、ハーフでも正当な政治家だ。民主主義に従おう」


「ササキ首相も、反した判決でも異論は出さないか?」


「我々に必要なのは信用です。ここで異論を唱えて信用を失うわけにはいきません。最大限尊重するよう国内でも動くとします」


「他の国々も、どちらの判断であっても異論は唱えないか?」



 さすがに会談が長すぎたため、ここではっきりと言わらせようと確認を取る。


 各国委員会も頷いて同意をした。



「よろしい。では多数決を取る。内容は『安全保障上の観点から、ニホンが保有する核兵器十六基の廃棄及び、確証を得るため核に関する情報の開示。または、核保有を認める代わりに保有する限りバスタトリア砲の所有を禁止する。違反した場合は罰則を設ける』これに異論がある場合は挙手を」



 誰も手を上げない。



「では核兵器撤廃に賛成する国は挙手を」


 そう質問し、各国が手を上げる。



 委員会の数、六ヶ国。



 委員会の内、安保理の数は二ヵ国。



 両方共に、核撤廃ではなくバスタトリア砲不所持を選択した。



 深く、深く羽熊は息を漏らした。


 今度こそ、今度こそこれで終わりだ。


 短く長かったこの政争が、ついに終わった。


 これで今度こそ、日本はこの星で堂々と活動が出来るようになった。


 戦わずにして勝つと言う、日本の絶対勝利条件を満たし、心の中で羽熊は思いっきりガッツポーズを取った。



「これにより、ニホンの核保有は認める代わりにバスタトリア砲の保有を禁止する方針を委員会は持つことになる。条約や罰則については、安全保障理事会で定めるものとする」


「ウィスラー大統領、文句はないか?」


「もちろんあるが、従うほかあるまい」



 大統領として、ウィスラーはそう答える。



「だが全会一致ではないことは重々理解しておくのだな。そしてハーフを甘く見ると純血種は絶滅危惧種になる」


「ウィスラー大統領のその言葉、議長代々に伝えていこう」


「日本も同じです」



 結果的には日本の望み通りの勝ち方となったが、その先には大きな責任が伴う。


 佐々木総理自らが言ったように、この代で終わりはしないのだ。次代、次々代と続いていくのだから、この選択を軽く見てはならない。



「これにて非公式の会談は終了とする。出来ればこれで終わりと行きたいが、これはあくまで秘密裏の内容だ。メディア公開用の議論をせねばならない」



 ウィスラーがハーフでなければこれで終わるが、残念ながら真実でありつつ公開用の情報も考えなければならない。


 ただ、それは非公式に沿えば済む話だ。



 まずはハーフであることの公表と、委員会としてハーフに関する方針。同時にレーゲンが転移初期に行った奇襲に対しての謝罪と和解である。


 ハーフについての切り出しは、ウィスラー大統領がハーフである事実以外は概ね公表することになった。それによってハーフの片割れである日本が転移してきたことで、危険性を知るレーゲンは軍を派遣した。



 そしてハーフに対する方針が定まったことで、レーゲンは日本に謝罪してそれを受け入れるとして当初の目的は達成される。


 もう一つの案件として、日本の核兵器の保持とその扱いも公表される。


 すでに日本国内では公表されているので、世界に公表しないわけにはいかない。そして地球の最強兵器を持っていることから周辺及び世界規模の安全保障に関わるので、日本は自発的に最終手段のみの使用に限定すると明言させ、数を増やさずにバスタトリア砲は保有しないとも発表することとした。



 どれもこれもが重大な発表にほかならず、世界に多大な困惑を投じることは間違いない。


 しかしこのタイミングを逃せば取り返しのつかない事態にもなりかねず、アルタランの日本委員会は世界の闇を午後八時に公表した。



      *



「羽熊博士、この一連の問題参加、誠にありがとうございました」



 通常であれば会談を中心に数日と宿泊するのだが、アルタランに日本用宿泊施設はなく、ソルトロンも突貫工事で用意したので長時間では疲れが出てしまう。


 可能な限り異地滞在は短くする方針で、日付が変わった午前二時には日本に向かって浮遊艦隊は帰路についていた。


 その帰路で、佐々木総理は羽熊に礼を言って頭を下げた。



「そんな、頭を下げないでください。私は自分のできる仕事をしたまでですから」


「だからこそです。博士にしか出来ない仕事でした。他の人でしたら余計に時間が掛かり、訳の間違いで拗れた可能性もあったでしょう」


「ありがとうございます」


「委員会と安保理、双方で過半数を得られましたから、シィルヴァス共和国やメロストロ合衆国が異を唱えても最悪捻じれで行けます」



 この捻じれは、総会で否決して安保理で可決することだろう。


 とはいえ安全保障は安保理が扱うから、二大大国が異議を唱えても無理やり通すことが出来る。直安保理で二国が来たら面倒だが。



「一応ウィスラー大統領と和解……政治的かもしれませんけど、出来ましたでしょうか?」


「分かりません。世間へのアピールとしてカメラの前で握手は出来ましたが、あの人の闇は想像できないくらい深いと思います」


「少しでも晴れればいいんですが……」


「それはこれからの外交でですね。まずはアレを守っていかねばなりません」



 この場にはウィスラーがハーフであることを知らない職員もいる。佐々木総理は気づかれないよう示唆する程度に濁して話す。



「任期が終わるまでは気が引けませんね」


「それまでに大筋がまとまれば、彼も安心できると思いますが」


「あと核兵器ですけど、いいんですかね。上限を決めてしまって」


「もとより我々が製造したものではありませんからね。新たに製造するとなれば今回以上に面倒になります」



 混迷を極める国会が目に映る。



「私個人としても、同じテーブルに着くだけにあるだけで十分だと思います」


「私もです」



 羽熊はホッと息を吐く。



「これで、山場は越えましたでしょうか」


「ええ、あとはイルリハラン王国と条約を結び、アルタランで特区などの条約を批准して安定にはなるはずです。当面のことは国内問題ですね」


「そうですか」



 これで羽熊も国を背負う重役から解放される。


 教本は引継ぎを終え、通訳も喋れる人は出来てきている。重要な場合は呼び出されるかもしれないが、少なくとも過労はしなくて済むだろう。


 もう接続地域に戻ったら何もかも投げ出して、寝て食べてまた寝たい。


 転移してから今日までひたすらにブラック企業すら引くくらいの仕事量をこなしたのだ。これくらいの褒美があって罰が当たるなら神を呪う。


 その際の神は日本のか異地のかは考えない。



「羽熊博士はゆっくりと休養なさってください」


「そうします」


 さすがに謙遜をするレベルを超えており、羽熊は総理相手に本心で返した。


「休養はどちらでとるつもりで?」


「そのまま接続地域でします。いま家でも実家でもマスコミとかが凄そうなので」



 特にテレビ出演の催促が凄まじいらしい。防衛省の広報で止め、千葉大学の広報で止めて羽熊まで来ないが、メディアと言うメディアから出演依頼が多いとのことだ。


 全社に出たら人気絶頂の芸能人並みのスケジュールになるから、基本メディアには出ない。出たら出たで機密情報を聞かされそうなので、組織として守ってくれる接続地域にいる方が精神的に楽なのだった。


 出来れば家に帰って空気の入れ替えや、組織の基盤作りを集中的に行っているアークの動向をジョンから聞き出したいが、そこは我慢だ。



「メディアについてはなんとかしますので、仕事のことは忘れて休んでください」


「はい」


 と佐々木総理は右手を差し出し、握手と察して応じた。


「本当にご苦労様でした」


「ありがとうございます」



 佐々木総理は自分の席へと戻っていき、羽熊は座っている席を限界まで倒して疑似的なベッドにして毛布をかぶった。


 さすがに日本政府全員就寝か明かりが落とされ、羽熊は目を閉じた。


 怒涛の国家の運命を決める政争を無事に終え、羽熊は転移して以来恐らく初めて、何の心配もせずぐっすりと眠った。

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