第62話『国交樹立』
『いまご覧いただいている映像は、三日前から行われております石油の移送作業です』
テレビ画面には、東京から南にある日本の海とユーストルの境の海岸が映っており、海には百五十メートルを超える船がいてユーストルの空にも二百メートル級の浮遊船が停泊していた。
その海と空の船の距離は約百メートルほどで、二隻はパイプで繋がれていた。
二隻の船はそれぞれ石油タンカー。異地で産出された石油を日本の石油タンカーに移し替えをしているのだ。
『一週間前に異地に於ける国連のアルタランで行われた国際会談を終え、イルリハラン王国のリクト国王代理は日本に対して、「先の会議及び会談で日本の思想を知ることが出来た。よって日本と国交を結ぶことは適切と判断した」と会見を開きました。異星国家間国交条約調印式は本日より再度ラッサロン天空基地にて執り行われる予定でしたが、物資不足が火急の課題であることを見越して前倒しで執り行われております。リクト国王代理は、調印式よりも前に行うことに対して、「日本の物資不足は刻々と深刻化している。イルリハランと日本はすでに国交状態と見て差し支えなく、私の判断で開始が遅れていることから調印式を待たずに輸出入を開始することにした」と発言しております。すでに日本とイルリハランの間では天地生活圏の違いによる資源の移送問題は解決しており、現場ではスムーズな受け取りが行われております』
主な資源の受け取りは石油と食料だ。建築資材などは傾斜問題はあれ国内備蓄でまだ対処可能なので、当面は消費しかない石油と食料を最優先とした。
石油は映像の通りに、浮遊船から海上のタンカーに規格を合わせたパイプで移送されて海路で全国に運ばれる。この移送作業は海が分断されている接続地域を境に北と南それぞれで行われているから、南北で石油不足は起きない。
食料はさすがに石油のように異地の浮遊船から日本のコンテナ船に直接移送は出来ないので、ユーストル内で積み荷を降ろし、それを日本のトラックに積み込んで陸路で運ぶことになっている。
当面は人口が最も多い関東圏に異地の食料は供給され、国内生産と備蓄は地方で消費される予定だ。
食の安全性は厚生労働省、農林水産省を始め、企業や大学など各専門機関が問題ないと判断している。それでも食へのこだわりが強い日本人にとって、全く違う星の食べ物を食べるのは強い抵抗を持つ。
そこで尽力したのが、佐々木総理だ。
以前佐々木総理は最初に異地の食事を食べると明言していて、それを実行したのだ。
異地産の材料で日本のシェフに調理してもらった料理を、調理する過程から撮影して食べたところをSNSにアップしたのだ。
総理だけでなく、閣僚らもそれぞれ調理した物を食べてはSNSアップして安全性を訴えて国民の抵抗感をなくすよう尽力した。
それでも抵抗感を拭うのは不可能で、ネットオークションなどでは日本産の食料が出されて高値がついている。
だとしても石油と食料は安定的に供給されるのは、死が差し迫っていた日本にとってこの上ない朗報だ。
これで一億二千万人もいる国民を飢えから守られ、国家運営も維持できる。
調印式を前に貿易を開始するのは、自身の信念のためだったとはいえ妨害したリクト国王代理のせめてものケジメだろう。
エルマの話ではハウアーとリクト、二人が揃って日本を認めたことで世論としても受け入れている傾向にあるらしい。
もちろん王室内ではまだ懐疑的な声や、異星人そのものを受け入れない団体も存在している。
そうした団体や声は必然で、日本としても全員が受け入れられるとは一切考えてはいない。
しかし、王と王代理が好意的であることから決して多くなく、貿易に対しての反対意見も少なかった。
『当面はイルリハランから日本への資源の輸出のみ行われ、日本からの輸出は行わないとのことです』
まだ文化的侵略の問題が残るため、日本の文化はユーストルから出さないことが決まっている。少々予定が変わったが、社会実験用天空島を用意する前にすでに一部始まっているラッサロンで検証が行われる。
『日本からの輸出で話題に挙がっていた、わずか一グラムで五億円もするフォロン結晶石は、世界経済へ多大な影響を及ぼすため、アルタランが掲げたユーストル開発特区案が軌道に乗るまでは、産業目的での採掘は行わない方針を日本政府は固めました』
表向きは日本委員会の方針とはいえ、日本が自ら平和的発展を願って特区案を出したのだから、自ら無秩序に採掘をして混乱させることはない。
下準備を世界が共同で行い、来たるべき日に世界に流通させる。
そうでなければあの過酷なアルタラン決戦を乗り越えた意味がない。
ただ、日本人からすれば採取は決して困難ではないから、闇市場に流させないように監視体制を整えないといけない。
これもまた当面、採掘事業者や研究者以外の一般人は接続地域を抜けて、日本領ユーストルでも立ち入りは制限されるだろう。
結晶石が大量に流通すれば、その価値も下落して持ち出すほどの物でもなくなる。
それでも下落するまでは高価だから、過剰なくらいの監視は行う必要がある。
ここで日本人が無秩序に無断で採掘し、それを流せば世界から信用を失うからだ。
そのための法令の可決は急務で、国会は大変紛糾していると言う。
羽熊からすれば大変だなと思う程度で、須田駐屯地の食堂にて呑気な気分の中、ニュースを見ていた。
手元にはカレーライスが置かれ、米の代わりに異地産のケアが盛られている。
栄養は米と変わらず、歯ごたえは若干ぐにゅっとしているが味は似ていると思う。
米を愛する日本人からすれば違和感しかないが、米の生産量が増えるまでは我慢だ。
少なくともケアを食べ続けるなら米と、全国総出で大量生産すると確信できる。
そんな日本と異地の融合させた新時代の料理を羽熊は食べ続ける。
『どうやら調印式が始まるようです』
時間は十二時丁度となり、女子アナウンサーがそう言うと画面は調印式会場へと切り替わった。
調印式そのものは前回と同じだ。
違うと言えば今回はハウアー国王の代わりにリクト国王代理が署名を行い、国交条約も先のアルタラン決戦を経たことでユーストルから日本人を出さないことを条約で付け加えられたくらいだ。
こればかりは羽熊の仕事の範囲だったが、それでも今までの苦労からすれば楽なものである。
おかげで減少傾向だった体重は元に戻り、ここしばらくは八時間睡眠も出来てブラック業務からは解放されている。
さらなる解放として言えば――。
「あれ、羽熊なんでお前ここにいるんだ?」
やはりなれるのは難しいケアを主食にしたカレーを食べていると、背後から雨宮の声が掛かった。
「今日は調印式だろ。行かなくていいのか?」
言いながら雨宮は羽熊の向かいの席に座り、同じくケア入りカレーをテーブルへと置く。
「もうすることがないからね。通訳にしても今更それぞれで必要ないだろ。わだかまりが解けた以上はルィルに任せられるし、同行する職員でも喋れる人はいるし」
今までは真偽に関わらず間違いを避けるために、両国で最も言葉の理解がある羽熊とルィルが専属の通訳として同行していた。だがリクト国王代理が前向きとなり、両国でわだかまりも対立もない今、高度に喋れる通訳が一人いるだけで問題ないのだ。
よって羽熊は今回は日本政府に同行しないで、須田駐屯地でのんびりとしていた。
「けどよ、国土転移してきてからずっとこの日を目指して頑張って来たんだろ? 普通は最後までやり抜こうと思わないか?」
「そりゃ俺が自分のために一……ゼロから始めて、正真正銘最後の仕事まで頑張ったのにそれだけ誰かに奪われたら腹立つさ。けど、これは俺一人が頑張った仕事じゃない。日本全体が今日を目指して迎えたんだから、会場にいようがここにいようが同じだよ」
「いや手柄のことじゃなくて……いいや、お前がそれでいいならな」
雨宮が言いたいことは分かるが、しなくてもいい仕事を最後まで付き合うか、やらなければいけない仕事を最後までやり通すかでは違う。今回は前者だから特に思うことなくここにいられた。逆であれば考えるまでもなく行っている。
きっともうすぐ目を覚ますもあそこにいられないハウアー国王も、そんな考えを持つはずだ。
テレビではリクト国王代理と佐々木総理が調印式会場へと入ってくる。
前回の例の反省から、演説は行わずすぐに署名を行う予定だ。
「いよいよ実を結ぶか」
二人の人間が、書類に名前を書く。たったそれだけのことがこれほど難題とは、転移当初では思いもしなかった。
国土転移してから四ヶ月。体感としては何年も掛かった気がするも、過ぎればたったそれだけだ。従来であれば年単位で掛ける仕事を、四ヶ月と言う短期間に凝縮させるのだからそう感じてもおかしくはないだろう。
羽熊を含め、日本全体が生き残るために寝る間を惜しみ、休むことも厭わずに働き続けたから、今こうして平和的な関係のまま名を書くことに至れた。
そう思うと感慨深く思う。
佐々木総理とリクト国王代理は、それぞれテーブルに置かれた書類にサインをして交換し合った。
この瞬間、日本国とイルリハラン王国は、事実上の国交状態から正式な国交状態へと移行した。
そして二人の首脳は握手を交わし、画面の内外から拍手が起きた。
食堂にいて調印式を見守ってきた隊員たちが握手をしたのだ。
さすがに羽熊と接点のない隊員は多くいても、大多数が転移当初からここ接続地域で働いている隊員たち。彼らの先の見えなかった苦労も、いま報われた。
――ああ、ヤバイ。
今までの苦労が全て良い意味で終われたことで、胸の奥底から感情が湧きだしてくる。
一体いつぶりだろうか。こうした充実した達成感が全身を満たすと言うのは。
いや、満たすだけではない。それ以上に湧き出し、それが目から溢れ出る。
視界が歪む。
目の奥が痛く熱くなり、涙が溢れた。
「おい?」
雨宮が羽熊の異変に気づく。
「……違う、嬉しだけ……なんだ」
あふれる涙は止まらない。
「はは、情けないな。いい大人がこんなことで泣く、なんてさ」
涙は頬を伝い、カレーへと落ちる。鼻水も流れ出して大きく啜った。
「バカ野郎、今のお前を情けないって思うやつが、ここに一人でもいるわけないだろ。もしいるなら俺がぶっ飛ばしてやるよ」
擦っても擦っても止まらない涙目で、羽熊は周囲を見る。
食堂にいる自衛隊員みんなが羽熊を見ていた。
その表情は柔らかく、誰一人と憐れむようには見ない。
「堂々と泣いていいんだ。誰もお前が泣くのを笑ったり馬鹿にしないさ。ここにいる全員、お前の努力は知ってるんだからな」
パチ、パチ、と拍手のような音が聞こえ、それが連鎖するように大きくなる。
それがすぐに一度止んだ拍手であることと、それがテレビではなく羽熊に向けられていることが分かった。
別に羽熊は仕事としてこの四ヶ月奮闘しただけで、こうしたことは元来考えてはいなかった。
けれどこうして転移さえしなければ決して会うことがなかった人たちから、拍手を受けるとなるとうまく言葉に出来ない感覚で満たされる。
「ありがとう……ありがとう……」
拍手は鳴り止まず、羽熊の涙も止まらない。
「いいねぇ、こういうの」
雨宮はカレーを一口加えながらそう呟き、テレビでは調印式が終わりスタジオへと画面が切り替わる。
拍手はいつまでも鳴り響き、カレーは辛しょっぱくなった。
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