第2話
「いらっしゃいませ」
僕は都内の小さな喫茶店で店長をしている。学生時代に小遣い稼ぎの軽い気持ちで始めたアルバイトだったが、コーヒーの魅力にハマり、オーナーに弟子入りして、コーヒーを学び始めた。
老夫婦が営んでいるそのお店は後継者がいなかったため、そのお店を潰したくないという気持ちから、高校を卒業し、そのままお店に就職という形で今に至る。
お店のオーナーである老夫婦は現役を引退し、今では僕が一人でお店を任せられている。
お店の名前は『Encounter』
カウンター4席、テーブルが3席の小さなお店だ。
昔からよく、無愛想と言われていた。
「佐藤くんってさ、笑わないよね」
「あいつ、感情とかないんじゃない?」
感情?感情とかって、なんなんだろうーー。
感情を表に出すことが物心ついた頃から苦手で、人と接することに不器用な僕は、昔から他人に興味がなかった。
興味がなかったというか、興味が持てなかったのかもしれない。
別に過去に何かがあったわけではない。
ごく普通の両親に、ごく普通に育てられた。
それらを少しでも克服するようにと、両親にも勧められて始めたアルバイトでもあったが、でも不思議とお店のカウンターでコーヒーを淹れている時は、まるでその香りで魔法にかかったかのように、自然と人と接することができた。
お店のオーナーである東山さんは、そんな僕を雇いいれ、あらゆるコーヒーの技術を教えてくれた。
「君は無愛想なんかじゃないよ。まだ何かを探している最中なんだ」
東山さんはいつも、僕にそう言っていた。
何かを探している?
僕は何を探しているんだろうーー。
僕が小野さんと出会ったのもこのお店だった。
今でも鮮明に覚えている。
春の訪れを感じさせる、暖かい風が吹いたあの日。
お店の外に置いてあるメニューの看板が風に倒され、それを立て直そうと戻している時だった。
風で倒れないように、こんなに重くしてあるのによく倒れたなと、体力がない僕は重い看板を起こすのに手こずっていた。
そんな時、
「手伝いますよ」
と一人の男が僕に声をかけた。
「すいません」
と僕が言うと、重い看板をいとも簡単に立て起こした彼を見て、同じ男として自分が情けなくなった。
「ありがとうございます」
「いえ、いえ」
その男はストライプスーツを着ていて、クシャッと僕に笑いかけた。
「あのっ!」
突然の大声に驚いた。
「はっはい?」
モジモジとなんだか恥ずかしそうにしている。
「こっ、ここって、ラテアートが有名だと聞いたのですが」
「ラテアートですか?」
喫茶店を任せられてから僕はラテアートも学び、お店のメニューに取り入れた。
クマやうさぎやキャラクター、名前を書いたり、メッセージを描いたりしているうちに、お客さんがラテアートの写真をSNSに投稿したのがきっかけとなり、それを目当てで来店するお客さんも多かった。
勿論、ラテアート以外にもコーヒーや紅茶にも力を入れ、一つ一つを丁寧に入れるため、有り難いことにお店の評判はよく、売り上げも上々だった。
客層は女性が多いため、その男の質問に少し驚いた。
「やっていますよ」
「やっぱり!ここのお店だっ!名前が難しくて、わからなくて」
「確かに分かりづらいですね。『Encounter』って英語で出会いって、いう意味なんです」
文字通り、僕達は出会ってしまった。
「そうなんですね!彼女がここのカフェラテは可愛くて、美味しいって言っていたので」
とクシャッとした笑顔で男は話しかけてくる。
「ありがとうございます」
「俺、近くの美容室で美容師やってるんですけど、あんまりカフェとか行かないから、彼女から聞いて初めてここにお店あるって知って」
美容師、だからか。
髪はアッシュのツーブロック、いかにも美容師という見た目だった。言い方は悪いがチャラそうで、軽そうな人というのが第一印象だった。
「大通りから外れているので、わかりづらくて」
男はまたモジモジと恥ずかしそうに何かを言いたげだった。
「噂によると、カフェラテに好きなこと書いてくれるんですよね?」
「はい。ご要望がありましたら。あっ、看板のお礼も兼ねてご馳走しますよ」
恥ずかしそうな男の顔が真剣な表情へと変わっていく。
「俺、小野圭吾って言います」
小野圭吾ーー。
「あとで彼女を連れて来きます。それで、彼女はきっとカフェラテを注文します」
もしも、もしも
あの日に戻れたならーー
「お恥ずかしいのですが」
時間を巻き戻すことが出来たならーー
「結婚して下さいって、書いてくれませんか?」
僕は絶対に引き受けたりはしないのにーー
ましてや笑顔で
「わかりました」
なんて言わなかったのにーー。
サプライズのプロポーズは無事に成功してしまった。
「してしまったーー」
この頃は、自分が小野さんを好きになるとは思わなかったから、今思い出すと全てが過去形になってしまう。
プロポーズに泣きながら喜ぶ彼女を見て、本当に幸せそうに笑うあなたの笑顔を、愛しく思う日が来るなんて、思わなかったから。
僕はバカだーー。
それがきっかけとなり、小野さんはよくお店に来るようになった。
カフェラテではなく、コーヒーのブラックを注文し、彼は一人だと決まってカウンター席に座った。
歳は35歳。
彼もまた店長としてお店を守る立場だった。
美容師というだけあって、オシャレでモテそうな顔をしている。
最初はチャラく感じた印象も話を重ねるうちに、どんどん変わっていった。
仕事に対してストイックで責任感が強く、友人や後輩思いで、愛妻家なのだと知った。
誰にでも優しく、よく笑う人だった。
あっという間に子供が生まれ、出会ってから気がつけば3年の月日が経とうとしていた。
既婚、子持ちの奪い方 心情 @sinjooo
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