『we're Men's Dream』 -type D-
澤俊之
第1話
山が雪に覆われる少し前。
とあるきっかけで、遭難しかけていた若い女子を拾い上げた。
実家の養鶏場で卵を拾い上げる感覚に近かった。
つり目の彼女は二十歳くらい。かたかたと肩を震わせていた。わたしが使っている山小屋に、彼女の連れふたりとともに連れ帰った。ひとまず暖炉であたたまってもらったけれど、もっと即効性があるだろう、と思って、五右衛門風呂を沸かして、入れてあげようと思った。
若いから、だろうか。湯舟からたちのぼる湯気を見たとたんに、彼女は抵抗なく全裸になる。五右衛門風呂はフタの上に乗って、底に沈めて入るのだけれど、コツをしらない彼女は、フタの浮力にあらがえずにひっくりかえった。見ていられない。
そのさまを目の当たりにしたわたしは、いっしょに入浴をすることにした。今年で二十代後半になってしまった躰をさらすのには抵抗があったけれど、全裸になって、彼女と一緒にフタを沈めて湯に入る。
朝風呂も贅沢でわるくないな、と思った。
数分もすると、つり目の彼女は全身に生気を取り戻したかのように輝きを見せた。少し紫色になっていた唇が、やんわりとした桃色に変わっていた。顔を湯で何度か洗い流した後、彼女は思いも寄らない言葉を吐いた。
「うー、しみるっ、あったけー。ん? おねえさん、胸、でかいっスね……。触ってもいい?」
言い終わらぬうちに彼女は、湯船にたゆたうわたしの胸を両手でそっと持ち上げた。な、な、なに? 思わぬ触覚に、はぅうと声が出てしまった。弛緩した口元から彼女は続けて言う。
「わぁ、思った以上の感触! やっこいっすね~。……私のも触ってみる?」
挑発的な目で、わたしを誘う。思わず彼女の胸も見る。わたしよりも少しだけちいさいけれど、若々しくツンとしていて美しかった。表面のさざなみの光の中で屈折しながら見える、うす桃色の先端。逆に羞恥心を感じさせられた。
かろうじて言葉を放つ。
「……あ、あなたのも……いい形してるよ」
湯に浸けた卵は、つるんとしたゆで卵に変わりつつあった。五右衛門風呂で対面している彼女の胸を盗み見しながら、両手指を浴槽のへりに載せた。
ん、そういえば、いつからこの五右衛門風呂に入る習慣があったんだっけ。指先から伝わってくる、ざらざらとした感触がその頃の記憶を呼び覚ました。
こっこ、こっこと養鶏場に鳴き声が響く。
子どもの頃から実家の手伝いをするのが日課だった。物心つくまでは当然のことだと思っていたけれど、中学に通うようになって知恵がついてくると、徐々にこの生活へ疑問が芽生え始めてきていた。
中学卒業後に入学した高校は、宮城県内でもっとも偏差値の高い進学校。親に似ねえで、
ちなみに、ここの吹奏楽部は、なんども全国大会出場を果たしている名門で、亡き祖母の影響で音楽好きだったわたしは、それにちょっぴりあこがれてはいた。しかし、それが入学の目的ではなかった。実家の手伝いばかりで楽器に触れたことはなかったし、入部したところで、超スパルタと言われている活動についていく自信もなかった。なので、わたしは吹奏楽部に限らず、そして、どの部活にも所属しないで、狭い世界で過ごしていた。
この高校に入学したいちばんの理由、それは
「県下ナンバーワンの超進学校だし、私立ではなく公立なので学費の負担も少なく、両親からの文句もなく家業の手伝いから解放される」と、思っていたから。
しかし、入学後も変わらず養鶏場通いは続いていた。
家業を手伝わされていても、試験の点数は学年トップ10から落ちたことがなかったからだ。
わざと悪い点数を取って「家業の手伝いが負担になっているから」などと言い訳をして解放されるよう仕向ける……そんな考えがよぎったこともあったけれど、実行する器用さも持ち合わせておらず、そのまま日々は続いていった。
わたしは、勉強が得意というわけでも、努力家というわけでもなかった。子どもの頃から記憶力が異常に優れていたので、授業を聞き流し、教科書を読み流すだけでも高い成績をキープできてしまっていた。
祖母が亡くなる少し前にこんなことがあった。
大好きだった祖母が病床に臥せっていたころだ。
祖母は、もともと往年の洋楽ポップスを聴くのが趣味だった。しかし、病気が重くなるにつれて、聴く機会も自然と減ってしまい、実家で音楽の流れる機会はなくなっていた。わたしはおばあちゃんっ子だったので、祖母が日に日に弱っていく姿に心をいためていた。
ある日、往診に来ていた医者が少し暗い表情で帰ったあと、病床の祖母を見舞った。
「おばあちゃん、ぐあいどう?」
祖母は言葉を発せずに、ゆっくりと弱々しく微笑みを作ってくれた。どうすれば元気になるんだろう? 幼いわたしは考える。
「そうだ。おばあちゃん! おうた、うたってあげるね」
わたしは祖母がいちばん好きだったカーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」を歌う。イントロをハミングで、ふーんふ・ふふ~、ふーんふ・ふふ~と鳴らしてから、歌詞を口ずさむ。Aメロが終わるころ、祖母を見やると目がだんだんと開きはじめ、光が宿っているのを感じた。とてもうれしかった。すべて歌い終えるころには、祖母の目が驚いたように見開いていた。気に入ってくれたのかな、幼かったわたしはそう感じたけれど、実はまったく違う意味を秘めていた。
祖母はゆっくりと掛布団から右手を出して手招きをする。近づいて、顔に耳を寄せる。
「……サッちゃん。おうたじょうずね。いつのまにおぼえたの?」
祖母が枯れ木のようになってしまった右手でわたしの頭をなでてくれた。
「おばあちゃんの好きなうたなんだから、あたりまえだよ~」
にこにこと答えた。
「うたの中身、英語だけど、わかるの? 歌詞カード見たの?」
「ううん、みてないし、なかみもぜんぜんわからない。でも、いちどきけばうたえちゃんだよ~」
鼻高々に答えると、とたんに祖母の表情が沈んだように見えた。祖母がわたしの小さな手をにぎって言う。
「サッちゃん、おうたとってもステキだった。ありがとう。でも、あんまり簡単に人前で歌っちゃだめよ」
「えー、なんで?」
祖母は少しだけ目をつむって考えたのちに答える。
「……おばあちゃんだけのものにしたいから」
そっか、と納得したわたしは、それを誇らしく思っていた。しかし、それは孫を思いやる祖母の配慮だった。幼いころから、神経衰弱も百人一首も無敗。そのたびに周囲の人たちの視線がおかしくなることを、わたしは悟っていった。異常なまでの記憶力を人前で見せると、周囲から怖がられることに気づいた。特にこの狭い田舎では広まるのも速い。わたしはここぞという時のためだけに、そして自分のためにその能力を使うことに決めた。
せっかく宮城県内でいちばんの進学校に入ったのに、このまま田舎で人生を過ごすこと考えると、ときどきぞっとした。両親は、ともに保守的な考えのひとたちで、高校卒業後は、兄弟のいないわたしに養鶏を継がせるつもりでいた。
高校一年生の秋ごろ、初めて父に軽トラで山に連れていかれた。うちの持っている山には、舞茸が生えるミズナラの木が沢山あったので、その収穫を手伝うためだった。売り物にしたり、家族で食べたりしていた最高級の舞茸。
黄色いプラスチックのカゴをいくつもいくつも満杯にして軽トラに運びこんでいく。わたしは林の中ほどに、少しだけ開けた空間を見つける。片隅には古ぼけた小屋らしきものがあった。
「お父さん、あの小屋って何? うちの?」
「ああ、そうだよ。ひいじいさんが炭を焼くときに使っていた小屋だけど、もう炭焼きも廃業してるし、荒れ放題だ」
帰宅してから、その小屋のことが頭から離れなくなっていた。
鶏の羽がいっぱい落ちている養鶏場の掃除をしながら。
老齢の飼い犬とゆるやかに散歩をしながら。
採れたての舞茸のてんぷらをほお張りながら。
湯船につかりながら。
読みかけの本を見つめながら。
おばあちゃんの形見のラジカセで音楽を聴きながら。
ベッドに横たわりながら。
何度も何度もあの小屋のことを考えていた。
高校二年生に上がる前の春休み、父親に相談をした。
「……ねえ、山の小屋なんだけど、直してみてもいいかな?」
それを聞いた父は、驚いた表情で答える。
「なんでまた! 物好きだなあ。あれを直してどうすんだ?」
わたしは事前に用意してあった言い訳を並べる。
「舞茸狩りって、大変じゃない? 休憩したり、雨が降ってきたときには避難できるし、使えたほうが便利でしょう?」
いつも親のいいなりで、反抗どころか提案をしたこともなかったわたしの申し出に、父は少し怪訝そうな様子を見せた。
曾祖父の使っていた小屋。父からは、もう使うこともないので好きにすればいい、と言われた。わたしは廃材を利用しながら、小屋を少しずつ改築していった。
こうして曾祖父の遺した小屋は、快適に過ごせる山小屋へと姿を変えていった。
短い春休みが終わり、わたしは高校二年生に進学をした。
ときどき、友人といっしょに勉強するから、と両親にウソをついて手伝いをサボり、山小屋で時間を過ごすようになる。
春先の山間部はまだまだ寒く、暖炉に薪をくべて、ついでに湯を沸かす。コーヒーを淹れ、祖母の形見のラジカセで、お気に入りの曲を流す。音量を気にせず、家族の目を気にせずに過ごせる時間は、なによりも貴重だった。大きな声で歌っても、誰からもとがめられない。祖母の遺したカセットテープ数百本に入っていた数千曲は、高校二年の夏休みに入る前にすべてマスターしてしまった。他にもいろいろな曲に触れたい、と思い始めたわたしは、Youtubeをスマホでチェックし、ありとあらゆる曲を聴きあさった。
いつしか、ぼんやりと、歌手になってみたい、という気持ちが芽生え始めていた。
高校三年の七月。夏休み前に三者面談が行われる。
山小屋という心のよりどころを手に入れたわたしは、少しずつ自分の意志を主張できるようになっていた。普段の作業着ではなく、上下ちぐはぐなおめかしをした母親と並んで座り、担任と話をする。
「ご存知かと思いますが、サツキさん、成績も抜群で品行方正ですよ。本人の望む進路だったら、どこでも胸をはって出せるくらいです」
担任の言葉を聞いて母が答える。
「んでも……。うちは跡取りもいねぇし。サツキは卒業したら、鶏の世話を継いでもらおうかと思っ……」
そう言いかけたとたんに担任が言葉をさえぎる。
「なに言っているんですか! お母さん。この学校創立以来の才女なんですよ! 進学しない選択はいっさいないでしょう!」
語気を荒くした。進学についてなにかしらのノルマが、どこからからか課せられているのだろう。わたしは答える。
「はい、わたしは進学するつもりです。三つほど志望校を決めてあります。国公立なので、両親にも負担をかけないはずです」
そう言って志望校についてのメモ書きを机の上に置いた。それを見た担任は、うんうん、とうなずく。
「お母さん。サツキさんの意志は優先すべきです。大学なんて、たった四年ぽっちですよ。そのくらいの猶予は与えてあげてもいいんじゃないでしょうか」
母は、普段自己主張のないわたしの決断を突然突き付けられ、魂を抜かれたようだった。目が泳いでいる。
「んじゃ、先生は、サツキが大学に進んだほうが幸せっていうんですか」
「むろん、そうです。そして本人の意思がある以上、親御さんとしては支えてあげるべきなのでは?」
「お母さん。家計に負担はかけないよ。わたしアルバイトもがんばるから」
「んでも……」
弁が立つ教育熱心な担当を味方につけた。何度も説得をしてもらい、押し切る形になってしまったけれど、やがて両親から進学することを許される。
ついでに担任から十年分の過去問を借りることができた。読むのには少々時間がかかってしまったけれど、三か月ですべて暗記。
三つに絞った志望校はすべて合格できた。入学したのはもちろん第一志望の大学で社会学部。一橋大学のブランドは田舎町でも威光を放つ。これによって外堀をすべて埋めることができ、誰の反対も受けずに上京することができた。
上京してしまえばこっちのもの。はじめのうちはふたつ、みっつと飲食店などのアルバイトを掛け持ちしながら、大学と並行して、週何回かの音楽学校に通う形だったけれど、ある程度音楽的な知識が身についてからは、もっと音楽に関わりがある割のいい仕事を見つけることができた。
あるとき音楽学校の講師に紹介され、クラブのシンガーとして仕事をすることになった。大学二年の夏前、ちょうど二十歳になった頃だ。
時給は破格の五千円。体の線がもろに強調されるドレスを着用させられ、若干の接客はあったけれども、夏休みの間に荒稼ぎができた。銀行口座には一〇〇万円以上が貯まっていた。
このアルバイトで歌のスキルを磨くこともできたのはよかったけれど、その反面、困ることもあった。
お客さんとのおしゃべりや音楽トークは楽しかったけれど、何度もストーカーにまとわりつかれるハメになった。これも記憶力のマイナス要素だった。
「〇〇さん、いつも来ていただいてありがとうございます。前回は六月二十日の二十三時過ぎでしたよね。残業が大変な中、来ていただいてうれしかったです。クライアントのせいでプロジェクトが頓挫していたっておっしゃられていましたけど、落ち着きました? 顔色もよさそうですね。あの時はわたしのテネシーワルツもほめていただいて……」
ご相伴するお酒の勢いもあいまって、ことこまかに記憶されていた顧客情報を用いてトークをすると、相手の男性が「サツキは自分のことをなんでも理解して好意を寄せている」と勘違いさせてしまうためだ。ストーカーいっちょうあがり。
おかげで何度も引っ越しせざるを得なくなってしまい、引っ越し貧乏におちいる。稼いでも稼いでも追いつかない。
気づくとあっという間に就活のシーズンに突入。わたしは全くそれに関してはコネづくりや事前対策を行っていなかった。就活に余念のなかった大学の友人たちは、次々と大手の内定を決めていった。さすがに田舎の両親からもこれからどうするのか、就職しないのならば田舎に戻ってこい、とせっつかれていたので焦りを感じ始める。
エントリシートと、過去問を丸暗記したSPI対策、コミュニケーションスキルも問題なかったが、二次面接でことごとく落とされた。最終選考まで残ることができたのは、友人には話せないような中小企業。
しかし、わたしの最大の目的は『田舎に連れ戻されずに音楽を続けること』だったので、しぶしぶと内定を受諾した。
就職先はグローバル展開をしている一部上場企業……の資本が入った子会社だった。親会社がもつ商社機能の一部である国内営業活動を請け負っていた。わたしの担当は総合職という名の雑用。先輩営業に随伴し、その営業補佐や雑務を大量に押し付けられる。新卒にも関わらず、入社初月から残業時間は二〇〇時間ごえ。顧客に合わせて、休日出勤もあたりまえ。
時間と体力を奪われ、あっという間に疲弊してしまう。音楽に費やす時間もお金もない。入社一年後には心身共に病んでしまう。欠勤を繰り返し、退職を与儀なくされた。後から知った話だと、通年経験者を大量に採用しながらも離職率が高く、新卒も毎年数百人採り、その中で役職までたどり着ける年数をこなせるのは皆無だということを知った。体のいい捨て駒なのだ。
わずかに残った貯金と失業給付金で糊口をしのいでいたけれど、限界があった。ちょうどその頃、見計らったかのように母親から電話があった。父親が腰を痛めてしまい、重労働ができない。一度田舎に戻ってきたらどうか、という提案だった。
心身ともに限界を超えていた私には判断力も選択肢もなかった。
後ろ髪引かれる思いで帰郷を決意した。
片道切符のつもりで上京したことを思い出す。できたばかりのバスタ新宿から夜行バスで実家の宮城を目指す。時折、揺れるシートから車窓を覗くと、自分自身の顔が映った。上京した時の目の輝きは喪われていた。もう二度と東京には戻れない。人前で歌を歌うことなんてかなわない。そう思うと鼻先がつんとして、目に涙が滲むのがわかった。
戻った先に待ち受けていたのは想像通りの日々だった。
「……おねえさん、おねーさんってっば」
胸の先端を指でなぞられるのに反応し、はっと我に返ると、つり目の彼女はまだわたしの胸の感触を堪能していた。
「ご、ごめん、なんかぼーっとしちゃって」
「そのスキに思う存分触らせてもらたんで大丈夫っス」
つり目が少し挑発的な目で続ける。
「……その分、私のも触ってもらっていいっスからね」
と言いながらわたしの右手首をつかんで自分の胸に添えさせる。
「……うん、気持ちいい感触だね。すべすべ。若いっていいなあ」
「なに言ってんスか。おねえさんだって若いし美人だし、そのうえ巨乳なんだから、いわゆる勝ち組? ってやつっスよ」
わたしは完全に負け組だったから、ここにいるのだけれど、まだ望む未来を叶える術はあるんだろうか。
頭の中でトップ・オブ・ザ・ワールドが流れはじめると、空高く、気持ちよさそうに鷹が滑空していく姿が目に入った。
<了>
『we're Men's Dream』 -type D- 澤俊之 @Goriath
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