第5話 ラムネの瓶とすり抜けるあなた
肺を冷たい空気が満たして、吐く息が白く濁るようになった。そんな十一月の初め。吸い込んだ空気の中に混じる稲刈りの匂いに、夏にラムネを飲み忘れたことを思い出した。
水色の瓶と、その中で光を反射している満月のようなビー玉が頭に浮かんで、甘ったるい炭酸が喉を通り抜けたような気分になる。
甘ったるいのに、嫌な感じがしないのはきっとその甘さがあなたによく似ているからだ。甘ったるいのに、刺激的で、しつこいと思う前に手から離れて言ってしまう。追いかけられていたはずなのに、気がついたら追いかけている。
そんな不思議な魅力がある、あなたに。
あなたの手は僕に届くのに、僕の手はあなたには届かない。そんな絶妙な距離を保って、僕の心に触れようとしてくるあなたは、いつだってずるい人だった。
僕が悲しい時は泣かないと怒るくせに自分が悲しい時は無理して笑うところも、僕の背伸びを見破ってわざと子供扱いするくせに自分はバレリーナみたいに背伸びしているところも。
全部、ぜんぶずるくて嫌いだった。
でもそういう嫌いなところまで、愛せてしまうほど、僕はあなたが好きだった。
どうしようもなく、あなたに惹かれていた。
深く、深く吐き出した息は、白く濁ってとけて、冬が始まったばかりの世界と混ざりあう。クリスマスケーキの予約が始まった商店で夏の風物詩である瓶のラムネは、もう売っていないだろう。
いつだって手遅れな僕は、あの日掴めなかったあなたの手を思い出していた。白くて、細くて、なのに僕のそれよりも力強かった。どこからそんな力が出てくるのか、僕はいつも不思議だった。
吸い込んだ空気が、肺を満たして背筋が伸びる。
会いに行こう、夏になったら。キンキンに冷やしたラムネの瓶を二つ持って、あなたが褒めてくれた真っ青な自転車を漕いで。僕も大人になったんだって、伝えにいこう。あなたの中では僕はいつまでも子供だから、そんなことを言っても笑われてしまうかもしれないけど。それでもいい。きっと自転車を漕いでいる間にラムネは温くなってしまうから、それを冷蔵庫にしまいながらあなたが僕に笑いかけてくれるなら、それだけでいい。
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