偉大なる男

不立雷葉

偉大なる男

 果てしなく遠く近く、星間宇宙を超えた先か深く広がる奈落の先か、登りつめた先にある天上にあるものか。行こうとしても行けぬ場所、けれども夢には見れる世界。

 どこにあるかは誰も知らない、それこそがイリシアの大地である。


 このイリシアのある大陸にエートリア=フスという国があった。領主の齢は八〇を越えており、長く病床に臥せっているために黒々としていた髪は白く伸び放題。若い頃に纏っていた鋼と見紛う程に鍛え上げられた肉体も既に失われてしまい、骨と皮ばかりとなっていた。

 領主は寝台から起き上がることも出来ずにいたが、それでも責務を果たそうとして横たわりながらも寝室に政務官を呼んで政を行っていた。しかし、限界というものはやってくる。

 強く逞しく人々から畏敬の念を抱かれる彼であっても、病が呼ぶ死神の手からは逃れられない。ある日の朝、力なく目覚めた領主は遂に冷たい手が枯れた肌に触れたのを感じた。


「そうか……とうとう来てしまったか」

 この領主の呟きに常に控えている典医は顔色を変えた。

「おはよう御座います陛下。何を弱気なことを言っておられるのですか、この国にはまだまだ陛下のお力が必要です」


 領主は典医の言葉を鼻で笑い、典医の目が泳いだ。

「何を言うか、私は私がおらずともこの国が栄えるように息子達を鍛えてきたつもりだ。現にお前も知っているだろうが、息子達は政務官として実に良く働いてくれている。私がいつ天の都に迎えられても争いが起きぬよう、跡継ぎも決めているではないか」

「ですが……」

 典医は言葉を続けることが出来なかった。王の言ったことは典医も重々に承知していたのである。けれどもそれを認めてしまえば、偉大なる王は今にも旅立ってしまいそうだった。


「それよりも以前から決めていたことがある、あいつをここに呼んでくれ」

「わかりました、すぐに奥方とご子息をこの場へ」

 典医は座っていた椅子を立ち上がるとすぐに駆け出そうとしたが、王は叫び声に近い音を出して服の裾を掴んだ。その腕は枯れ木のようで色は白い、典医はこれをそっと掴んだが脈も弱弱しい。


「妻も子も呼ばんで良い、私の最後を看取るに相応しくそして頼みが出来るのは一人しかおらん。我が友を呼べ、やつとの付き合いは妻よりも長いのだ。頼むぞ」

 忠誠を誓っている王の頼みといえどすぐには応じられない、典医はどうすべきか王の顔を見ながら悩んでいた。王は瞬きもせずに見上げ続ける、瞳は白く濁り輝きを失って久しいが力強さは変わらずそこにある。


 典医はそれでもまだ考え込んだが、逡巡の末に頷いた。

「頼んだぞ」

 王の言葉に再び頷いた典医は、王の友を呼ぶために寝室を後にする。一人残された王は体から熱が失われてゆくのを刻一刻と感じながら大きく息を吐き出す、生命の火が揺れて咳き込んだ。けれども王の顔は綻んでいる。


 高い天井を見ながらかつての事を思い返していたのだ。

 王は元々エートリア=フスの地とは縁もゆかりもない、遥か遠くの高山に住む戦士の一族に生まれた男だった。そこから若さに任せて飛び出し、当時は隆盛を極めていた<混迷の都>とも呼ばれたパンネイル=フスへと流れ着き、友と出会い多くの脅威と怪異に遭遇した。

 そうして幾度と無く冒険を繰り返すうちに、気付けばこのエートリア=フスの王となっていたのである。あの時は長く果ての無い旅路に思えていたが、こうして横臥しながら振り返ってみればあっという間の出来事のようだ。


 今でも瞼を閉じてしまえば鮮明に当時の事を思い返すことが出来る。映像だけではない、音や臭いそして肌に感じたものまでも。楽しい日々であったと、王は頬を緩ませて笑う。

「随分と楽しそうですね、良い夢でも見ましたか? だとしたら聞かせて欲しいものですね」

 過去の思い出に浸って気付かなかったが、寝台の横に十二の弦を持つ楽器を持った耳の長い青年が立っていた。見た目こそ若いが年齢は二〇〇を既に過ぎている、というのも彼は長命なエルフ族の男であり未だ青年期の只中にある。

 この彼こそ若い頃の王がパンネイル=フスで出会い、多くの冒険を共にした友人である。そして今は詩人として活躍していた。


「貴様と肩を並べ諸国を漫遊していた時の事を思い出しておった、そんなに楽しそうに見えたか?」

「えぇ、とっても。人間はもちろんのこと、人外の化生だろうと千切っては投げとやるあなたがそんな穏やかに笑うとは思ってもいませんでした」

 エルフの詩人は昔と変わることなく肩を竦めておどけてみせると、寝台脇の椅子に座って楽器を腕に抱えた。

「どうせなら何か弾き語りましょうか?」

「いいや、そんな気分じゃあない。お前の語りは何十年に渡って幾度と無く聞かされてきたのだ、いい加減に聞き飽きてしまったわ」

 王は首を横に振り、二人は笑いあう。


 二人は言葉を交わさずとも同じ事を思っていた。こうして笑うのは久しぶりだ、二人きりで笑いあっているとパンネイル=フスにあった居酒屋<銀夢亭>で屯していた頃を思い出す。

「故郷を飛び出してから随分と色んなことがあったな……都でお前と出会い、多くを見てきた。一国の主になるとは、夢にも思わなかった」

「そうですね。化け物と戦った事は数知れず、命を狙われたこともありましたね。星の大海を越えた向こうの旅人とも知り合い、そういえば未来からの客人もいましたね。幾晩も語り明かせそうですが……こうして昔話をするのは初めてですね」

 詩人の表情が翳った、典医から聞かされていたし何年も前から覚悟していたつもりだった。ただの人間とエルフでは寿命があまりにも違いすぎる、いつかはやって来るこの時に備えていたはずだったのに半身が裂かれるようだ。


「なぁ友よ……俺はお前に尋ねたいのだ。俺は<偉大なる男>に成れたのだろうか、かつての英雄モウランのような男に……」

 王は天上を眺めながら問い、詩人は俯きながらしばらく考え込んだ後で首を横に振った。王はそれを見ていなかったが気配で察すると、大きく溜息を吐き出した。

「そうか、成れんかったか……憧れは憧れのままで終わる、か……」

 王の力の無い呟きに詩人はまた首を振る。


「いいえ……あなたは英雄と呼ばれるに足る男。<偉大なる男>に相応しい、数々の冒険譚だけでなく国を持った。あなたの作った礎は強固だ、あなたが地に還ろうとあなたの子は継いだ力で間違いなく国を繁栄させるでしょう。けれど、それではまだ足りない」

「足りなかったのか、今からではもう遅いが友よ教えてくれ。俺には何が足りなかった?」

「あなたには足りないものはありませんよ。英雄は何故英雄なのでしょう、モウランは過ぎ去りし人なのにどうして今も愛されているのだと思います?」


 考えてみたが王には分からず、素直に友へ答えを求めた。

「語り継ぐ者がいたからです、あなたがどれだけ素晴らしい男であっても語る者が無ければ<偉大なる男>には成らない。そう、つまり……私があなたを<偉大なる男>にしてみましょう」

 詩人は楽器を王の眼前へと突き出した。王は目をしばたたかせた後で、声を上げて大いに笑った。病に蝕まれた身である、こうして笑うだけで胸を中心に全身が痛んだ。けれども、痛みよりも楽しさが遥かに上回っていた。


「なるほど、そうだ。その通りだ、語り継ぐ者がおらねば忘却の彼方へと沈むだけだな。なるほど、つまりお前は各地を巡り、この俺の物語を語って広めようというのだな」

「馬鹿を言わないで下さいよ、誰があなたの物語なんて語るものですか。私が弾き語るのは、あなたと私二人の物語ですよ。もう既に歌は作って<蛮族とエルフ>という題名もつけてあるんですよ」

「はっはっ、そうだな俺だけでは始まらんものな。俺の物語にはお前がいなければならんし、お前の物語には俺がいなければならん。しかしなんだその題名は、蛮族というのは俺のことか?」

「もちろんですよ、だってあなた蛮族じゃないですか。自覚が無いというのなら良いでしょう、この場で最初の物語を歌ってやろうじゃないですか。そうすれば自分が蛮族だと理解できますからね」


 王の返事を待たずして詩人は楽器を爪弾いた、響く音にあわせて物語を紡いでゆく。

 <峻険なるダンロン山>の光景を、そこに生まれた男のことを。男は故郷を飛び出して都を目指す、そうしてエルフと出会い二人は友となる。二人は魔女<妖艶なるニグラ>と出会い、彼女に導かれ多くの冒険へと旅立つ。

 弦を鳴らすたびに、詩を歌うたびに別離が近づく。音色は変わらない、声の調子も外さない。勇壮なる男の物語を語りながらも詩人の眼からは涙が溢れ、頬を伝う。

 王は瞬きするのも忘れ、じっと友の語りに聞き入って懐かしき日々へと思いを馳せていた。満足の行く日々であった、この国は自身がいなくなっても友の言うように繁栄するだろう。思い残すことは無い、そう言いたくはあったが王には一つの心残りがあった。


「我が生涯の友よ、お前にしか頼めぬことがある。頼まれてはくれまいか?」

「もちろんですよ。今更あなたの頼みを断るもんですか」

 詩人は手を止めて大きく頷いた、王も満足げに頷き返すと枯れ枝のような指を壁に向ける。その先には一振りの剣が掛けられていた。その剣については詩人もよく知っており、剣の逸話は物語の中にも組み込まれている。

 剣の名は<狼の爪>。ドワーフの名工が鍛え上げ、氷雪を奔らせる力を持つ魔剣である。この剣は王がまだ無頼漢であった頃に託されたもので、王が詩人以外に命を預けていた相棒だった。王が王になるための戦いでも、この魔剣は活躍してくれていた。


「俺の剣を振るうに相応しい者を探し、託してくれ。それが、俺の頼みだ」

 詩人は壁の剣をじっと見ていた。詩人もこの剣に幾度となく助けられてきた、思うところが無いわけではない。

「良いんですか? 子に託さなくて。あなた程じゃないですが、どの子も立派な戦士ですよ」

「笑わせるな、あやつらは確かに強い。並みの戦士が一〇人束になったところで敵いはしまい、けれどもどいつも<狼の爪>を振るうに相応しいやつはおらなんだ。だから頼む、強い男に俺の剣を<狼の爪>を託してくれ」

「強い男ですか、それはどんな男なんです?」

 詩人は王を見ずに尋ねたが、答えは既に分かっていた。しかし、王の口から聞きたかった。


「俺を超える男だ、この国を打ち倒してやるぐらいの気概があれば尚良い」

 想像していたものと一言一句違わぬ答えに詩人は小さく笑う。そして立ち上がると壁の剣を手に取り、鞘に収めるとこれを腰に吊るした。

 ずしりとした重さがあった、見た目以上に重い剣だった。この剣には王の想いだけではなく鍛え上げたドワーフの、そして詩人自身の想いも込められている。


「約束しますよ、必ずあなたを超える強い男に剣を託すとね」

 任せろ、と詩人は己の胸を叩く。

 これを見て王は安堵の息を吐いた、思い残すことはもう何も無い。気付けば体の感覚はほとんど無くなっており、指先をぴくりと動かすことも出来ない。友の言葉は遥か遠くに聞こえ、視界も暗く閉ざされつつある。


 死は目前へと迫っていた、次の瞬間にはもう鼓動が止まるかもしれない。けれども王に恐怖は無かった、胸の奥は暖かなもので満ち足りている。実に良い人生だった、王は知らずの内に唇を緩めていた。

「友よ、俺は先に逝く。再び見えるのは数百年は先のことだろうが、その時はたっぷりとお前の歌を聞かせてくれ」

「もちろんですよ、その時は嫌というほどに私の歌を聴いてください」


 詩人が寝台へと戻った時、王は既に黄泉路を歩いていた。瞼を開けたまま、満足そうに笑いながら。

「まったく……そそっかしい所は最期まで変わりませんでしたね。ではカブリさん、一時のお別れです。数百年の後にまた会いましょう」

 詩人は王の顔を撫で、彼が閉じるのを忘れていた瞼を閉じてやった。頬に流れる一筋の涙を手の甲で拭った後、詩人は楽器を手に寝室を後にした。


 廊下には典医だけでなく、王妃と王の子供たちが集まっている。誰もが沈痛な面持ちを浮かべ、中にはもう瞼を赤く腫らしている者もいた。王が逝ったことに皆が気付いていた。

「安らかに逝かれましたよ」

 詩人は全員の顔を見渡した後、それだけを伝えると人の壁を押しのけてその場を去ろうとする。詩人の教え子でもある王の長男が彼を呼び止めた。

「ブレト先生はどちらへ行かれようというのですか?」

 問われて詩人は足を止めたが振り返らない。

「私はあの人との約束を果たしに行きます。そして広めるんです<偉大なる男>の物語をね」

 これだけ言って詩人はまた歩き出した、誰も彼を止めなかった。止めても無駄だということを理解していたのだ。


◇◇◇


 エートリア=フスの王、カブリ・エートリアの生涯の幕は下りた。

 彼の友であるブレトがこの後どうなったのかは誰も知らない、歴史書にもブレトの名が出てくることは無い。だが彼の作った<蛮族とエルフ>の物語は語り継がれてゆき、カブリは<偉大なる男>として親しまれ続けたのである。

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