秋には二人で焼き芋を食べたね
橘花やよい
秋には二人で焼き芋を食べたね
小学生の頃。
あの日、彼女は突然私の目の前に現れた。
明るいクリーム色の髪がさらさらと揺れていた。真っ白な肌。まん丸い瞳は透き通るような青色をしていた。
天使のようだ。
まずそう思った。
そして次にどうしようと戸惑った。
「えっと」
何を言えばいいのか分からなかった。彼女は彼女で首を傾げていた。
「お、おばあちゃん!」
結局私は祖母に助けを求めた。きょろきょろと見渡すと、小屋のかげから祖母が不思議そうな顔をして出てきた。
「あらあら、秋ちゃん、その子どうしたの」
「わかんない。でも、ほら、多分、この子、日本語が」
分からないのではないだろうか。
彼女は見るからに日本人ではなかった。外国人の子どもだ。歳は、おそらく自分と同じで十歳くらい。
私は祖母の背中に隠れて、彼女の様子を見守った。
天使のような彼女は、くりくりの目で私たちを見ていた。
「あなた、どこからきたの」
祖母が話しかけても首を傾げるだけ。やはり日本語は分からないようだった。
「おばあちゃん、どうするの」
「うーん、そうだね」
祖母は少しの間をあけて、微笑んだ。
「ひとまず、焼き芋食べようか」
「おばあちゃん、呑気すぎるよ」
祖母は笑って、落ち葉が真っ赤に燃えている火の中心を木の枝でつついた。中からアルミホイルで包まれた芋が出てくる。
家の庭で、落ち葉を集めて焼き芋を作っていたのだ。
どれどれと言って祖母はアルミホイルをめくった。
「熱くないの?」
「熱いわよ。秋ちゃんは軍手つけなさいね。ほら、そこにある。その子にも渡してあげて」
祖母が指し示した先に、軍手がいくつか置いてあった。私は軍手を手に取り、戸惑いながら彼女に渡した。
「はい、これ。つけて」
目をぱちくりとさせる彼女に無理やり軍手を押し付けて、私も自分の手に軍手をはめた。そんな私と、押し付けられた軍手を交互にみて、彼女も自分の手に軍手をはめる。
「焼けてる焼けてる。ほら、熱いから気を付けてね」
祖母はアルミホイルごと焼き芋を私の手の中に収めた。次に彼女の手にも同じように乗せる。
「ちゃんとふーふーしてね」
「はーい」
軍手を通しても、焼き芋の熱さが手に伝わってくる。私は精一杯、焼き芋に息を吹きかけた。
「ねえ、あなたも冷まさないと――うーん、伝わってないのかな」
私は彼女の目の前で、「ふーふー」と大袈裟に焼き芋に息を吹きかけた。それをみて、ようやく彼女も自分の焼き芋を冷まし始める。小さな口で一生懸命息を吹きかけるのが可愛らしかった。
「いただきます」
私は焼き芋にかじりついた。途端に「はふっ」と息が漏れる。熱い。
口を開けたまま、宙を向いて息を何度も吐き出した。吐く息が熱い。うんうん唸ってから、私は口を押えて焼き芋を噛みしめた。
熱い。けれど美味しい。甘い。
ねっとりと芋の繊維が舌に絡みつく。芋を焼いているだけなのに、どうしてこんなに甘くなるのだろう。お砂糖をかけているみたいだ。
「おいひぃ」
「それはよかった」
祖母は満足そうに笑った。
彼女はといえば、私の様子を見守ってから恐る恐る焼き芋を一口かじった。やはり私と同じように「はふっ」といって熱さに身悶えている。目に涙さえためている始末だ。
「大丈夫?」
「んー」
声にならない声をあげた。けれど口の中で熱さが冷めると、彼女は目を輝かせた。
「美味しいでしょ」
ぱあっと彼女が微笑む。
それだけ美味しいのだ。
その後、二人して熱い熱いと悶えながらも焼き芋に夢中でかじりついた。
そして完食した頃。
聞きなれない大人の声がした。日本語の響きとは違う。その声を聞いて、彼女はばっと振り向いた。
「この子のお母さんかしらね」
彼女は声のする方と私たちの方を交互に見ていた。祖母が「いいよ、お母さんのところに行きなさい」というと、日本語が分からないながらも、なんとなくで意味を察したのか彼女は頷いた。
軍手を私に返して、彼女は軽やかに走っていく。角を曲がる前に、一度振り向いて、笑顔で手を振った。
それが彼女との出会いだった。
あれ以来、彼女は毎年秋になると私の家を訪れた。そして一緒に焼き芋を食べる不思議な行事ができた。
中学生の頃。
「アキ」
「リリー、久し振り。一年ぶりだね」
少し髪が伸びて彼女は大人っぽくなった。隣に並ぶと私がちんちくりんに見える。同い年のはずなのだが。
この頃になると、彼女――リリーは簡単な日本語なら喋れるようになっていた。
「さて、今年も焼き芋作るぞー」
二人で箒を使って落ち葉を集める。そして落ち葉の中心にアルミホイルで包んだ芋を置いて火をつけた。
彼女は毎年十一月にやってくる。日にちは色々だったけれど、ふらっと私の家に訪れる。連絡を取っているわけではない。本当にふらっと来るのだ。だから私はこの時期になるとそわそわする。
特別親しいわけではない。年に一度、焼き芋を食べるだけの仲だ。
「アキ、げんきだった?」
「元気だよー。私、全然風邪もひかないんだよねー。リリーも元気そうだね。大人っぽくなったんじゃない?」
「アキ、小さいまま、かわいい」
ぎゅーっとリリーは私を抱きしめた。多分悪気はないのだろうが、私としては少し不満だ。
そうして色々な話をして、だらだらとしているといい塩梅に芋が焼けた。その頃にはもう日が暮れ始めていた。
二人で軍手をして、焼き芋をかじる。
「あっつ!」
「んー!」
はふーっと息を吐き出した。リリーも口をぱくぱくとさせている。
彼女の目にはやっぱり涙。リリーは猫舌だ。毎年食べても、焼き芋のこの熱さには慣れないらしい。
私たちは顔を見合わせて笑った。
焼き芋はねっとり甘い。美味しい。やはり秋にはこれを食べなければ。
「美味しい」
「おいしい」
焼き芋を食べて満足した頃、彼女は笑って手を振り帰っていった。
高校生の頃。
リリーはすっかり大人になった。外国の人は成長が速い。私はまだまだ子どものままだった。
「アキは相変わらず小さいね、かわいい」
「喧嘩売ってる?」
ふふっと彼女は笑った。
リリーはだいぶ日本語を喋れるようになった。
「やっぱり秋はこれだね」
軍手に熱々の焼き芋。いつもの行事だ。
「それでは、いただきます!」
「ます!」
一口かじって、「はふーっ」と空を見上げる。例に漏れず熱いのだ。でもそれがいい。思わずにやりとしてしまう。
リリーも熱さに泣きながらも微笑んだ。
「アキは、彼氏できた?」
「残念ながら。リリーはモテそうだね」
「モテモテだよー」
「そうですか、羨ましい」
リリーはまた一口かじって満足そうに微笑んだ。
「アキはかわいいよ。多分、ワタシの国にきたらモテモテだよ。日本人はかわいいってみんな言ってる」
「そうか。じゃあ私外国行こうかな」
「いいと思うよー」
はふっと一口。熱い。悶えていると、リリーは愉快そうに声をあげて笑った。リリーの方が私より熱いものが苦手なはずなのに。
焼き芋を食べ終わると彼女は軽やかに立ち上がった。
「美味しかった、また来るね」
「一年後ね。待ってる」
ばいばいと手を振った。
大学生の頃。
「焼きいも―!」
「はいはい、任せろ」
リリーはとてもお洒落になった。大人の女性だ。一年ぶりの再会の第一声が「焼き芋」だが。
いつものように二人で芋を焼く。
「あ、そうそう、ワタシね、結婚するんだ」
「へー――ん、結婚? え、ほんとに」
「ほんとほんと」
あまりにもさらりと言われたから驚いた。そうか、結婚か。私と同い年のはずなのだが、結婚か。なんだか現実味がない。
去年はそんな話全く聞いていなかった気がするのだが。
「そっか、おめでとう」
「ありがとー、相手ね、日本人なんだよ」
リリーいわく、留学してきた日本人と地元で出会って恋におち、そのままゴールインとのことだ。それにしても出会いから結婚が早くないか。ちょっとだけ心配になった。
「とってもいい人なんだよ」
それでもリリーが幸せそうに微笑むから、まあいいかと思った。リリーが選んだ人なのだから、きっといい人だろう。
「アキは彼氏できた?」
「やめて、聞かないで」
「なんでできないの」
「知らないよ」
彼女はいたずらっぽく微笑んだ。私はそっぽを向いた。
二人で焼き芋を頬張る。熱い。
んんーっと、やっぱりリリーは涙目になった。それでも熱さにこらえるとにっこり笑う。
「おいしい、ワタシ焼き芋大好き」
「私も」
ねっとり甘い焼き芋。秋だなぁ。
社会人の頃。
彼女はお母さんになってやってきた。小さな天使を引き連れて。
「ベイビーだよ」
「かわいい、リリーに似てる」
女の子だ。はじめて会ったときのリリーにそっくり。ぱっちりとした目が愛らしい。
「今日は娘もお世話になります」
「どうぞどうぞ、芋ならあまりまくってるから好きなだけ食べてよ」
今日は三人分の焼き芋づくり。リリーの娘さんは興味津々で私たちを見ていた。
「それにしても、リリーがお母さんか。時の流れが速い。こわい」
「アキはまだ結婚しないの?」
「うーん、どうだろう」
彼氏はいる。しかし結婚するかと聞かれれば、微妙だ。踏み切れない。
焼きあがった芋をみんなで食べる。
「熱いから気を付けてね」
娘さんは首を傾げる。リリーは流暢な英語で話しかけた。私の言葉を翻訳してくれたのだろう。
娘さんはふーふーと冷ましてから、一口焼き芋をかじった。そして「んー!」と唸る。大きな目に涙の膜が張った。
しかし冷めると、芋の甘さに気づいて目を輝かせた。
「リリーと同じ反応、さすが親子」
「ワタシに似て可愛いでしょ」
「そうね。可愛い可愛い」
「アキ、投げやり」
リリーは不満そうに口をとがらせた。私は笑う。
「じゃあ、また来年くるね」
「はーい、待ってる」
焼き芋を食べ終わると、リリーは娘さんの手をひいて帰っていった。
けれど、次の年。リリーは来なかった。
次の年も、その次も。
リリーは来なかった。
毎年欠かさず来ていたはずなのに。
今年も来なかった。
リリーはいつもふらりと現れる。私はリリーの連絡先すら知らない。知っているのはリリーという名前だけ。毎年会っていたはずなのに、私はリリーのことを何も知らなかった。
連絡をとらなくても毎年会える。その不思議な関係が好きだった。
けれど、彼女が来なくなった今、とても後悔しているし、不安になった。
連絡先くらい交換しておけばよかった。
彼女がいないと焼き芋をする気になれない。
掃除して集めた落ち葉は庭の隅に追いやった。
「寒いなー」
ふーっと空に息を吹きかけた。
数年後。
眼鏡の男性が私の家を訪ねてきた。
「リリーの夫です」
そう名乗った男性は、優しそうな人だった。そうだ、リリーは日本人の男と結婚したと言っていた。
いい人そうだ。
リリーに話を聞いた時、少し彼女の結婚が心配になったことを思い出した。杞憂だったようだ。
「アキさんですよね。リリーが毎年十一月に会いにきていた」
「そうですが」
「ああ、よかった。やっと見つけた」
彼はほっと息をついた。そして次に泣きそうな顔をした。
リリーは亡くなりました。
彼はそう言って下を向いた。
事故だったそうだ。家の目の前の道路で。車にひかれた。数年前のことだ。
「リリーが、毎年この季節になると日本に訪れているのは知っていました。でも理由を聞いても、詳しいことは教えてくれなくて。ただ、秘密の友だちに会いに行くのだと」
「秘密の友だち」
「リリーが亡くなって、暫くはバタバタしていて、そのことを忘れていたんです。でもふと思いだして。もしかしたら、そのお友だちはずっとリリーを待っているのではないかと」
それで、彼はリリーの親類や、友だちに手当たり次第に話を聞いたらしい。そして、数年かけてやっと私に辿り着いたのだと。
「時間がかかってしまい、申し訳ございません」
「いえ、わざわざありがとうございます」
彼は「僕の連絡先です、何かあればいつでも連絡してください」と私に携帯の番号と住所が書かれたメモを手渡した。
私はメモを受け取って眺めた。アルファベットが並んでいる。リリーが住んでいた住所。
「あの、娘さんは元気ですか。一度、リリーがここに連れてきてくれたことがあって。まだその時、娘さん、小さかったんですけど」
「そうなんですね。ええ、元気ですよ、とても」
「そうですか」
リリーの夫は深く頭を下げて、帰っていった。
私は落ち葉を集めて火をつけた。もちろん火の中にはアルミホイルに包まれた芋。
日が暮れる頃、木の枝で焼き芋をつついた。そろそろ焼けただろう。
軍手をはめて、アルミホイルをはずす。
むわっと湯気が飛び出した。
ふーっ、ふーっ。
息を吹きかける。
一口かじった。
「あっつ」
空を見上げながら息を吐きだす。熱い。
ああ、甘い。焼き芋の甘さは久しぶりだ。ねっとり甘い。芋の繊維が舌に絡みつく。いつもの味だ。
熱い。甘い。
「熱いなー、もう」
あまりにも熱いから、泣けてきた。リリーじゃあるまいに。
「美味しい」
はふーっと息を空に向けて吐きだした。
秋には二人で焼き芋を食べたね 橘花やよい @yayoi326
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