狼の子

雨世界

1 どうしよう? お兄ちゃん。

 狼の子


 本編


 どうしよう? お兄ちゃん。

 

 東京の夜の中に、二匹の小さな狼の子の兄弟が住んでいた。名前を春雨と秋雨と言う。(兄が春雨。弟が秋雨だった)

 森を追われた狼の兄弟は人間からその姿を隠して、(狼である自分たちが人間に目撃されてしまったら、犬だと間違われたら幸運なことだけど、狼だとばれたから絶対にその場で駆除されてしまうからだった)二匹は慎重に行動し、明るい昼間には薄暗い場所や、地下にある下水道などのじめじめしたところで眠りについて、夜になるとビルとビルの間や、公園。川沿いの土手などを慎重に餌を求めて徘徊して、なんとか日々の生活を送っていた。


 そんなある日、それは夏の終わり、秋の始まりのころの季節だった。

 森の中ではなく、東京で過ごす初めての冬をこんなとか越えるために、なんとかして寒さをしのげる場所はないかと兄弟が知恵を絞って新しい居場所を探していると、兄弟は地下鉄の駅の一角にある、まるで人間たちにその場所だけ見捨てられてしまったような、そんな使われていない放置されたままの駅の跡地を見つけた。

 そこはかなり暖かい場所で(と言っても、もちろん居心地は悪く、とても寒いことには寒いのだけど)、雨や雪の心配もなく、なによりも人が近づいてくるような気配がまるでないことから、狼の兄弟はこの場所を今年の冬の居場所に決めた。(こうして兄弟は季節ごとにできるだけ自分たちの居場所を変えるようにしていた。それは兄弟が、この東京の夜の街で生きていくために必要な行動であり、知恵だった)


 そして秋の十月の終わりごろ。(もう十一月になるという時期だった)

 ほっと安心していた兄弟のいる東京の街を季節外れの大きな勢力を持った台風が襲った。

 その台風は本当に強い台風で、せっかく見つけた兄弟の居場所は、すべて水没して、そして必死の思いで逃げ出した地上でも、そこには見たこともないような、氾濫した川やマンホールの蓋を押しのけて、吹き出す大量の水、そして降り続ける本当に強い勢いを持った大ぶりの雨の水によって、水没してしまった東京の街があるだけだった。

 強い風と雨の中を移動して、兄弟はなんとか近くにある大きな公園まで避難をした。(そこには避難してきた人間たちもたくさんいた)

 狼の兄弟はその公園で不安な思いをしながら、台風が過ぎるのを夜の間、ずっと恐怖と戦いながら、二匹で体を寄り添いあって、祈るようにして過ごしていた。


 そして、台風は去った。(大きな傷跡を東京の街に残して)


 狼の兄弟はそれからもう一度新しい自分たちの居場所を探しながら(それはなかなか見つからなかった)大きなダメージを受けた東京の夜の街を彷徨いながら、餌を求めて、毎日必死になって生活をした。

 

 でも、居場所はなかなか見つからず(思えばあの新しい居場所が秋の始まりのころに見つかったのは本当に幸運な出来事だった)そして、ついに冬を迎えて、寒い風が吹き、餌もほとんどなくて、そんな無理な生活がたたったのか、弟の秋雨がある日、病気になってしまった。

 兄の春雨は秋雨に「隠れ家で寝ているように」と言ったのだけど、弟の秋雨は「大丈夫。動けるよ。お兄ちゃんの足手まといにはなりたくないんだ」と言って、見張りだけでも手伝うと言って聞かなかった。(実際に兄弟は協力して餌を確保することが多かった)

 春雨は「じゃあ、今日、餌を手に入れたら、少し一緒に休息を取ろう。病気が良くなるまで、どこかでしばらくの間、じっとしていよう」と秋雨に提案した。

 秋雨は「うん。わかったよ、お兄ちゃん」と嬉しそうな顔で言った。

 

 でも、その狩りの間(二匹は餌を手に入れる行為を狩りと呼んでいた)、台風のせいなのか、それとも、ただその人間になにか不機嫌なことでもあったのかわからないけれど、狼の兄弟はその夜に人間に見つかってしまい、「狼がいたぞー!」という大勢の声に追われる中で、「撃て!! また被害が出るぞ!!」という声のあとで、銃の発砲音がして、弟の秋雨は足を撃たれて、四つあった足のうちの一本を失い、そして兄の春雨はその銃撃の中で、体を撃たれて、東京の夜の中でついに兄弟は離れ離れになり、そのまま兄の春雨は(弟を)弟の秋雨は(兄を)失うことになった。

 兄を失った秋雨はそのまま川のところまで逃げたところで、別の人間に保護された。(その人は、動物に優しい人だった)


 後年、森に帰された秋雨は、東京の比較的近くにある山の中にある森の中で、もう一匹の雌の美しい狼と出会い、その狼(菊花という名前の狼だった)と結婚をして二匹の可愛い双子の子供を授かった。


「……兄さん」

 毎年秋が終わり冬の季節が訪れると、秋雨は東京の夜の中で生き別れになった兄の春雨のことを思い出した。(兄の春雨がかばってくれなかったら、きっと病気で弱っていた僕は、あの夜の中で死んでいたと思う)

 春雨は生きているのだろうか? それともあの東京の夜の中で死んでしまったのだろうか?

 秋雨は、兄の春雨が生きていることを願っていた。(信じていた)でも、結局、そのあと天寿をまっとうした秋雨が、いなくなった兄の春雨と再会することは二度となかった。

 今年も、冬の山の森の中で、天に輝く白い月の光に向かって、一匹の狼が悲しそうな声で吠えている。

 それはきっと、あの三つ足の兄をなくした年老いた狼の、今は亡き兄を思う、……遠吠えだった。


 狼の子 終わり

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