パイシューの反逆

パイシューの反逆-1

 センはノートを開き、ペンを持った。両方とも社内で大量に余っていたもので、エレベーターホールの一隅に『ご自由にどうぞ』と書かれたポップとともにどっさり置かれていた。ロゴを見る限り、先日リリースされるはずだった新サービスのPRのためのノベルティのようだった。そのサービスは様々な機能を持ち合わせていたのだが、主力として打ち出されていたのは惑星投資商品のリスク分析――宇宙地政学の観点からのリスク評価や類似条件を持つ惑星との比較、該当宙域の発展性などの情報を提供し、その惑星に将来性があるか、リスクはどの程度かなどをユーザーが分析評価可能にするものだった。惑星投資商品は近年人気が増してきているが、勘案すべき因子が多岐にわたるため、商品の評価はプロでも難しいとされていたところを、このサービスによって一般の投資家にもよりわかりやすくより多くの情報を届けることができるとされていた。そのため社内でも力をいれてPRが行われていたのだが、サービスリリース前日に、サービスで使用している情報、分析モデル、ソースコードなどすべてのリソースが置かれていたデータセンター惑星に隕石が衝突したため、リリースは緊急中止となり、プロジェクトチームは目下スペースデブリの回収と、データセンター惑星のリスク分析に追われていた。


 そういう事情をセンはまったく知らなかったので、特に感じることもなくノートとペンを手にとっていた。こういうアナログな筆記用具を使うのは久しぶりだった。なぜいつものように電子ノートやペンタブレットを使っていないのかというと、それは昨日耳に挟んだ話に理由があった。




「何テストですって?」


 センはブラックコーヒーを飲み下し、そうたずねた。社内のカフェテリアで、ばらばらと設置してある中のスタンディングテーブルの一つ――『カフェインはあなたの健康に悪影響を及ぼすおそれがあります』という落書きの下に、『カフェインはあなたの健康に悪影響を及ぼすおそれがありますが、あなたの精神を麻痺させてくれます』ともう一つ落書きが追加されている――につき、向かいにはコノシメイがいて、ダブルショットカラメルラテ、生クリームとカフェイン増量といういろいろなものに悪影響を及ぼしそうなものを飲んでいた。コノシメイは開発部の社員で、センのことを同僚というカテゴリより実験道具というカテゴリに分類していそうな振る舞いをする以外は気のいい人間だった。


「侵入テストですよ。聞いてませんか?」

「ええ……」


 第四書類室に情報が回ってくるのは、それが公開のものであれ内部のものであれ、たいていは一番最後に決まっていた。センよりシュレッダーロボットたちのほうが先に何かを聞き込んでくることすら少なくない。


「ほら、セキュリティ対策で、このごろ色々やってるじゃないですか。社内ツールのアップデートとか、キーの更新とか。入場ゲートも変わったし……その一環で、今度侵入テストをやるって噂なんですよ」

「侵入テスト……誰かが社屋に忍び込むってことですか?」

「いや、そうでなく」とコノシメイはがぶりとラテを飲んで続けた。「ま、それもやるかもしれませんけどね、やめておいたほうがいいでしょうね。そういう物理的な侵入者に対しては、警備ロボットがすぐ駆けつけますし。このごろそういう対象もないから、ロボットたちが加減を忘れちゃってるかもしれないですからね。侵入テストっていうのは、外部の専門業者が社のシステムに攻撃を加えるなどの方法で、脆弱性がないかを調べるんですよ」

「へえ」


 それならあまり自分に関係はなさそうだ、とセンは判断した。シュレッダーロボットたちのアップデートは自動更新をオンにしてあるから、それでも攻撃を加えられたら責任は自分というより開発したほうにあるだろう。それにシュレッダーロボットが攻撃されたところで、会社にどんな影響があるというのだろうか。


「攻撃の手法の一つで、社員に標的型攻撃のメッセージを送ったり、社外で話しかけて機密情報を盗んだりもするらしいですからね。まあ古典的な手法ですけど、引っかかった社員は後でセキュリティ研修を受けさせられるらしいですから、気をつけないと。研修を受けた人の話によると、しばらくは夢にも理解度チェックのテストが出てくるそうですし」

「わあ」




 というわけで、センはアナログなツールを導入しておけばもし自分が攻撃されても流出する情報を最小限に抑えることができるのではないのかと考え、ノートとペンを入手したのだった。早速なにか重要な情報を書こうと、一ページ目にペンを下ろした。


 数分後、特に書くことを思いつかずペンを手放した。


 しかしわざわざノートとペンを持ってきたのだからなにか書かねばと思い、もう一度ペンを手にとった。そういえばシュレッダーロボットのうちの一台が、今度ケーブルのチェックをしてほしい、どうも調子が悪いからと言っていたのを思い出し、『ケーブル』と書いた。それだけが書かれているページはいかにもさみしかったが、今後の発展に期待をこめてセンはノートを閉じた。

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