グラニテの条件-6

 第二会議室の扉は時折開き、中からプレゼンを終えた社員が出てくると、次の部署が呼ばれた。呼ばれた部署の社員は立ち上がって中に入っていき、また扉は閉められる。中の様子は外からうかがい知ることはできなかったが、出てきた社員はおしなべて疲れきった顔をしていた。それにおそれをなしつつ、ビスケットをかじりながら、センは自分の順番を待った。


 待った。


 待った。


 かなり待った。


 周りの社員たちが次々と呼ばれ、第二会議室の周りの人がだんだん減っていき、軽食売りのワゴンには『50パーセントオフ』と手書きされた紙がぺたりと貼られている状態になっても、センの順番は回ってこなかった。


 日を間違えたかと思い、センは念の為予定表を確認した。それによれば、センの順番は二時間と三十一分前にすでに回ってきたことになっている。ずいぶん押しているなあ、とセンは立ち上がって軽く体をのばし、七十%オフのラベルが貼られるのを待ってからワゴンの中のグラニテを買った。


 グラニテ(全体的に溶けかけていた)を食べ終えても、順番は回ってこなかった。同じく待っていた周りの社員も、順番に部屋の中に呼ばれていき、気づけば第二会議室の前で待っているのはセンだけになっていた。ワゴンの片付けをしていた軽食売りの社員は、『いろいろ買ってくれたから』と、売れ残りのチョコバーとナッツ入りクッキーをセンに渡してエレベーターで降りていった。


 予定表によれば、センの後にもいろいろな部署――施設管理課、ブックメーカー室、植物対策課など――が順番を待っているはずだった。しかしセン以外の社員はあたりには見当たらない。待ちくたびれて一旦自分の部署に戻ってしまったのだろうか、とセンは考えた。


 少しすると、第二会議室から一人の社員が出てきた。そしてまた少し間があってから、今度は複数人の社員が何かしらしゃべりながら出てきた。その中には資料の束を持った者や、見た目からあきらかに高いポジションについているとわかる者もいる。最後の社員が第二会議室から出ると、扉を開け放しにし、中の電気は自動で消えた。


 センはちょっと考えた。今見たところを普通に解釈すると、『今日の第二会議室の使用はこれで終わり』のシーンだった。しかし自分はまだプレゼン資料も写していないし、せっかく描いたシュレッダーロボットのイラストも日の目を見ていない。一時休憩ということだろうか。だが、周りに自分以外待機している社員がいないことも気にかかる。センはチョコバーを胸ポケットに、ナッツ入りクッキーを後ろポケットに突っ込むと、エレベーターのほうへ向かう社員たちの後を追った。


「あの、すいません」


 センの声に、一番後ろにいた、資料の束を抱えた社員が振り返った。


「なんですか?」

「あのう……今日の新社屋移転の検討会議は終わりなんですか?」

「はい、そうですが」

「えーと、私の部署も今日の順番のはずだったんですが、ずっと前で待っていたんですが、呼ばれていないんですが」

「え?」

「ほら、ここに……」とセンは予定表を見せ、第四書類室の割当箇所を指差した。

「あー……」


 その社員は、周りの他の社員と顔を見合わせた。そして小声で何かを相談しはじめた。「誰も気づかなかった……」「私もすっかり……」「重要性はそんなに……」などの言葉が切れ切れに聞こえてくる。やがて相談がまとまったらしく、その社員はセンに向き直った。


「えーとですね、ちょっと手違いがあったようでして。検討会議を少し延長します」

「あ、そうですか」


 完全に忘れられていたことには気づきつつ、センはその気づきをなるべく表に出さないようにした。じゃあ、とセンが第二会議室のほうへ行こうとすると、「あ、ちょっと」と呼び止められた。


「どこへいくんですか?」

「え、あの、会議を延長するんでしょう? なのであの部屋に……」

「いえ、会議室には戻りません」

「え?」

「我々はこれからこのエレベーターに乗ってデスクに戻りますので、一緒に乗っていただいて、その間の時間でプレセンしていただければと」


 センはエレベーターの所要時間について考えた。今までの経験から、どうがんばっても三十秒が限度であろうという結論はすぐに出た。もともとの割当時間は五分だったはずだ。資料もそれに合わせてある。どうにか伸ばしてもらえないかと頼もうとしたところで、エレベーターの扉がするすると開いた。


「さ、どうぞ」


 セン以外の社員は皆それに乗ってしまった。どうすることもできないまま、センはその後に続いた。扉が閉まり、エレベーターがスムーズに動き出した。




 練習してきたプレゼンは、最初にいくばくかの時間を使ってシュレッダーに関するちょっとしたジョークを披露する段取りになっていた。ただそれを今の状況で段取りどおりに行おうとすると、おそらくエレベーターを降りるまでに伝えられるのはそのジョークだけになるだろう。ジョークはカットするとして、どこを伝えればよいのだろうと、センは頭の中でせわしなく資料のあちらこちらを削除していった。プレゼンをプレゼンらしくするためのページは次々に消されていき、結果として一ページが残ったが、その一ページはあまりに本質的すぎて、結局それをそのまま伝えてもあまり効果が上がらないように思えた。


 しかしそう考えているうちにも、エレベーターはだんだん下降していく。慌ててセンはひとまず資料のファイルを開き、とにかくそのページを目の前の社員たちに見せようとした。しかしプレゼン資料はセンの脳内で行われた大リストラに抗議するつもりらしく、『不明なエラー』というとてもわかりやすいエラーメッセージを吐いて強制終了したため、社員たちとセンはそのエラーメッセージの表示されたデスクトップ画面を一緒に見つめることになった。


「えーと……」


 センのしてきたプレゼン練習は、資料を見せながら話すことが前提になっていたため、センは言葉に詰まった。いっそのことジョークだけでも披露しようかと思ったが、エレベーターは目的階に近づいてきたらしく、だんだん減速していった。


 終わった、とセンは思った。シュレッダーロボットたちの猛抗議、過酷な通勤、その他もろもろの大変さを思い浮かべると、目の前が暗くなった。


「ちょっといいかな?」


 落ち込むセンに、社員のうちの一人――見た目から判断すると一番高いポジションについているようだった――が声をかけた。


「はい?」

「それ」


 その社員が指差していたのは、デスクトップ画面に置いてある、あるアイコンだった。毛糸玉を転がしてゴールまで導くゲームのアイコンだ。


「それ、プレイしているの?」

「ああ、はい」もうほとんどどうでもよくなっていたセンは、明らかにプレゼンと関係ない質問について聞かれるがままに答えた。「今社内ランク四位なんですよ」

「スクリーンネームは?」

「本名ですよ。セン・ペル」

「ああ、そうなんだ。今度の大会にも出る?」

「まあ……参加できれば」


 そこでエレベーターの扉は開いた。


「ありがとうございました。では、結果はまた後日お知らせしますので」


 と、センが最初に話しかけた社員が言った。セン以外の社員たちはぞろぞろと降りていき、センはひとり取り残された。


 センは一階のボタンを押した。もう今日は仕事をする気にならなかった。どこかに寄ってアルコールを摂取しよう、ということだけを方針にして、センは体を外に運んだ。

 



 三日後、移転対象の部署リストが送られてきた。結論から言って、第四書類室はその移転対象から除かれていた。選定理由は非公開とされていたので、どうしてあのプレゼンで第四書類室が移転対象から外れることができたのかはセン自身にもよくわからなかった。選ばれた部署の引っ越し準備でいつにも増して騒然となっている社屋の中で、センはシュレッダーロボットたちを送り出した後、少しずつ進めていた荷造りをほどくことに一日の大部分を費やした。


 一ヶ月ほどしてほとんどの部署の引っ越しが終わり、しかしその空いたスペースは他の部署が風のように疾く占領していったので見たところはほとんど変わっていない社屋で、毛糸玉を転がしてゴールまで導くゲームの大会が開かれた。社内ランク四位のセンは、この大会でなかなかの好成績を収め、賞品として毛糸セットとタンブラーをもらった。とくに最後の試合は一進一退の好ゲームで、それに勝利したときにはオンラインで観戦していた他のプレイヤーからたくさんの祝福のメッセージが届いた。その中には、スクリーンネーム『ポセ』という人物からのものも混じっていた。なにか見たことがあるような名前だと思いながら、センは賞品の毛糸セットで好みの色を選ぶのに気をとられ、その人物のことはいつしか忘れてしまった。

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