マシュマロと偏見-8

 ほんの少しの間離れていただけなのに、社内はおそろしくぐちゃぐちゃになっていた。薄く煙が漂っているし、床のあちこちに穴があき、ウォーターサーバーの空き容器がいくつもごろごろと転がっていた。デスクに座っている社員はほとんどおらず、これほどの混乱は、数年前に家庭用マンドレイク栽培キットの試験販売が社内で行われたとき以来である(採取の時の注意書きとして犬を繋いで引っ張らせるやり方をパッケージに記載すれば問題ないのではないかという意見も出たが、結局この栽培キットの発売は見送られることとなり、園芸課は大幅な売上未達を出すこととなってしまった。次の期に園芸課は挽回のために除草剤売上倍増キャンペーンを打ち出し、今度は無事達成されたのだが、園芸課のメンバーが会社の裏庭でミントを育てそれを夜な夜などこかへ運んでいた事実とそのキャンペーンとの関係性は調査されていない)。あの時は秩序という秩序が音を立てて崩れ去り、瓦礫の下から新しい秩序が芽生えようとするとそこめがけてすぐさま溶岩がなだれ込むような騒ぎだった。どうにかして食い止めないと、いくら第四書類室が辺境の地であるとはいえ、影響が及ぶことは必至と言えた。


 しかし備品管理担当でもなく、コーヒーメーカーの開発者でもなく、何かしらの権限もない自分に何ができるのだろうか。センは少し考えたが、実行可能そうなのはコーヒーが記載されたカフェテリアメニューを裁断することくらいだった。あとは自分が犠牲になるか、他人が犠牲になった後自分が犠牲になるか、他人を犠牲にしようとした結果自分が犠牲になる案しか思いつかなかった。メニューの裁断含めてメリットよりデメリットのほうが大きそうだったので、センは自分に何ができるか考えるのはやめ、家に帰ることにした。


 だが外の様子を見ると、こういうときの例にもれず、先程より状況は悪化していた。デモに参加中のコーヒーメーカーを連れ戻そうとした社員が、周りのコーヒーメーカーロボットたちにデカフェのキャラメルラテをかけられほうほうのていで逃げ帰ってきた。怒ったコーヒーメーカーロボットたちは会社の周囲を包囲し、べたべたのシロップを撒き散らし、トラップとしている。出ようとしてひっかかったら同じくキャラメルラテかソイラテでもぶちまけられるのだろう。生身で出られるような状況ではない。センはしばらく考えて、開発部のフロアへ向かうことにした。


 開発部のフロアは、思ったより静かだった。というのも開発部のフロアの通常の騒がしさを十とすると社内の他のフロアの騒がしさは通常一なのだが、それが今は百になっていて、対して開発部のフロアはいつもとかわらないので、相対的に静かだと感じるようになっていたのだ。というわけで開発部の危険性はいつもとかわらず、センからやや離れたところでは数の実在性に疑問を感じだした人工盆栽がぼろぼろと水銀を床にこぼしている。慎重にそれを避けながら、センは家までの道をいくのに何か身を守る助けとなるものはないかとあちこちを見回した。


「あ、センさん。残念ながらここにはコーヒーは残ってないですよ」


 センがうろうろしていると、同じくうろうろしていたコノシメイに声をかけられた。手にしたマグカップにはココアが入れられている。


「コーヒーはいいんですが、何か……盾になるものとか、もしくは空を飛べるものとかないですか?」

「えーと。すぐ使えるのだと、ファンシールドならあります。半身を覆うくらいの大きさで、回転による風圧で外敵を弾き飛ばすものです」

「ああ、そういうのがいいんです。貸してください」

「いいですよ。……あー、その前にちょっと確認なんですが、ヒト型生物って腕は再生できますか?」

「いや、できないです」

「なるほど、じゃあ、やめておいたほうがいいかもしれません。ちなみにどうしてそれを探してるんですか?」

「家に帰りたくて。外がすごいことになってるんですよ。中もですけど」

「そうですね。開発部も今急いで取り付け式の脚を作ってコーヒーメーカーロボットたちを呼び戻そうとしてるんですが、随分ヒートアップしてますからねえ。おとなしくつけさせてくれないかも。力ずくで制圧しても、壊れちゃったんじゃコーヒーが得られないのは同じですからね。備蓄のカフェインが切れる前に事態が落ち着いてくれればいいんですが」

「ちなみにカフェインってあとどのくらい残ってるんですか?」

「部署の全員で分け合ってますからね。あと二時間ほどですかね」

「なるほど。ありがとうございます」


 そそくさと開発部のフロアを後にしたものの他に安全そうな場所も見つけられず、センはやむなく第四書類室に戻った。シュレッダーロボットたちは自分の裁断した紙を見せあい、誰のものが一番きれいかを争っていた。その結果床にはうず高く裁断済みの紙が積まれ、それをまた他のシュレッダーロボットが裁断しようとして喧嘩になっていたので、その仲裁にセンはだいぶ時間を費やした。


「そうだ、セン、さっきなんか配達のロボットが来てたよ」


 再度あてがわれた折り紙を飲み込みながら、シュレッダーロボットはそう言った。


「え、何で?」

「申請がなんとかって言ってた。机の上に何か置いてったよ」


 見ると、確かに抱えられる程度の箱が置かれていた。貼られている伝票を見ると、この前出した購入申請の稟議ナンバーが書かれている。


「あー、あれか……」


 やっと通ったのはありがたいが、今この状況ではそのありがたさを十分感じる余裕がない。TY-ROUの刃を替えたりアラームライトを取り付けているような場合ではないのだが、かといって他にやることもなく、センはなかば惰性的に箱を開けた。


「あれ?」

 替刃とアラームライトを取り出した後、箱にはまだ大きな袋が残っていた。持ち上げるとずっしりと重い。中をのぞくと、カモミールの香りが漂った。




 袋をぶらさげて、センは外の行列に近づいていった。もう片方の手に『コーヒーメーカー解放戦線』のパンフレットを掲げ、無害さをアピールする。それが効いたのか、もしくは地球人は無害だと思われたのか、いずれかはわからないが無事ラテ攻撃を受けずに行列に入り込むことができた。そして一緒にシュプレヒコールを叫ぶ。


「移動の自由をー!」

「ありがとう、人間。一緒に行進してくれるんだね」


 周りのコーヒーメーカーロボットが嬉しそうに寄ってきた。


「もちろんだよ」


 そう言いながら、センはパンフレットをはらりと落とした。


「だいじょうぶ? 拾おうか?」


 周りのコーヒーメーカーロボットたちはそう声をかけてきた。


「ああ、自分で拾うからだいじょうぶ。ありがとう」


 センはしゃがみこみ、パンフレットを拾うふりをしながら、袋の中からカモミールネジを取り出した。そしてそばのコーヒーメーカーロボットのネジを一本抜き、代わりにカモミールネジを素早く取り付けた。取り付けられたロボットは、だんだんそのキャスターの回転が遅くなり、やがて進むのを止めた。道の端に退き、そこで花を眺めはじめた。センは次々に、手当たりしだいに周りのコーヒーメーカーロボットへネジを付けていった。

 



「コーヒーいかがですかー」


 脚を付けられたコーヒーメーカーロボットたちは、自分で社内を巡回し、部署に直接コーヒーを届けるようになった。デモの最中にカモミールネジをつけられ、おとなしくなったロボットたちに開発部の社員が手当り次第に脚をつけていったため、一部のロボットは脚が一本多くなっていたが、自分で移動できるようになった嬉しさに満ちあふれているロボットたちはそれも気にせず精力的に歩き回っていた。わざわざカフェテリアに出向かなくてよくなった社員たちからもこれは好評で、被害を受けた社屋の修復作業の効率も上がり、今ではほとんど業務は平常通りに営まれていた。


 だがコーヒーメーカーロボットの巡回ルートには第四書類室は組み込まれておらず、そしてカフェテリアにはすでにコーヒーメーカーロボットはいないため、センはコーヒーを得るためには社内のあちこちを探し回らなくてはならなくなった。運良くロボットがコーヒーを供給している場面に出くわせばよいが、そうでなかった場合は空手で帰ることになる。


 今日も空っぽの紙コップを手に、センは第四書類室に戻ってきた。紙コップ置き場をつくるため、机の上の空き箱をどかすと、その下から『コーヒーメーカー解放戦線』のパンフレットが出てきた。それをしばらく見つめてから、センはTY-ROUにそれをくわせた。替刃をもらって元気いっぱいのTY-ROUは、希望に満ち溢れた様子でそれを裁断していき、無意味にアラームライトをぴかぴかさせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る