マシュマロと偏見-7

 事業継続計画におけるシュレッダーロボット責任者の役割は、シュレッダーロボットの台数をカウントし、シュレッダーロボットの派遣要請に応えることである。事業継続計画が発動されるような事態においてシュレッダーロボットの働きがそれほど重要なのかどうかについてはセンはひそかに疑念を抱いていたものの、それを口にしてしまうと平時のシュレッダーロボットならびにその責任者の働きの重要性についても同様の疑念が呼び起こされそうなため、ずっとつぐんだままにしていたし、これからもそうするつもりだった。そのためセンは素直に計画に従って第四書類室に戻り、シュレッダーロボットたちを一度呼び戻してその数を数えた。そして、あきらかにその数が足りないことが判明した。


 何かしらの深淵な事情によりうかがい知ることのできない神秘によって、シュレッダーロボットたちのリアルタイム現在地検索システムは第四書類室ではなく六階のシャワー室の隣に設置されているので、センはシュレッダーロボットたちに金と銀が一枚ずつ入った折り紙の束をあてがっておいて、エレベーターに向かった。しかし上ボタンを押してもまったくエレベーターがやってこない。それでもセンはボタンを何度もカチカチしてみたが、いつもなら「やあ社員さんおまたせしてすみません、実は十七階で信じられないようなことが起きてましてね、聞いたら驚きますよ、知りたいですか、これはすごいですよ、なんと」などと言いながらやってきそうなエレベーターは、ランプを灯す気配もなかった。仕方なく階段を自分の足でのぼることにしたが、上昇するにつれものすごい喧騒が聞こえてきた。フロアを覗いてみると、いつものメロンスター社の仕事場が早朝の魚市場だとすると、今はマグロの初競りが行われているところにマグロが大好物なハチ(そういうものが存在するかどうかセンは知らなかったが、存在すると仮定して)の群れが巣ごと飛び込んだ魚市場のようだった。


「コーヒーなしでどう仕事しろって言うんだ!」


 そう叫びながら会議室の前でピケを張っている社員がいた。デスクまわりでは数人の社員が集まり、こんなコーヒー不足の中でよりによってオールドファッションドーナツを買ってきたのは誰かということで喧々諤々していた(誰も自分だと認めようとしなかった)。その奥、ひどく狭い一人用ブースの前に、暗号の書かれた紙が貼られている。数字も記載されているので、おそらく密売屋だろう。見ているとそのブースに何度かノックをして入っていく社員がおり、出ていく時その手には紙コップがあった。そして少し行ったところでその社員は『コーヒー! コーヒー!』と書かれたプラカードに足をとられ転び、せっかくの紙コップの中身は隅に置かれている観葉植物に降り注がれることになった。転んだ社員はとても悲しそうな表情を浮かべていたが、観葉植物のほうはそちらが転んだのはそちらの落ち度だが飲みたくもないものを強制的に飲ませられた件についてどのように思っているのか一度話し合う必要があると考えていた。しかしよくあることだが、この場合も観葉植物はオフィスに緑色と酸素を提供することに満足しきっており社員がどのようにふるまうかなどまったく気にしていないと誰からも思われており、今回も観葉植物が感じている不満に注意を払う者はいなかった。そしてこの件がきっかけで後に植物と人間の関係を一変させる事件が発生し、それは長期に渡る争いにつながっていくのだが、それはこれから約二百二十年後に起こるため人間側で当時のことを覚えているものはほとんどおらず(何しろ植物は人間より寿命も気も長いので)、それも争いを長期化させる一因となるのだが、とにかくこの時点でこの場にいたものはその帰結については想像もしていなかった。センも例外ではなく、とにかく社内がいつも以上に混乱しており通常の業務を続けることすら困難であることに気を取られていた。なるべく目立たず何でもないようなもののように振る舞い(この点については意識せずとも達成していたのだが)、社内で起こっているありとあらゆるごたごたは自分と関係ないふりをしながら六階まで行き、シュレッダーロボットの現在地を検索すると、現在第四書類室にいないものの大多数が外のデモに加わっているらしかった。



 センが今までデモとかそういう類のものに参加したのは、何年か前学生の頃に、試験やレポート締め切りの二週間前以降に親族の病気が重くなったり葬式に出る必要が出た場合には証明書を必要とするとした大学当局の決定に反対する学生によるデモをやって以来だった。その時はずいぶん熱心に活動したものだが(何しろ一週間後に締め切りで一文字も書いていないレポートを抱えていたのだ)、それ以降はさしたることはしていなかった。なのでこれが久しぶりのデモ活動だ。シュプレヒコールを叫ぶ大多数のコーヒーメーカーと少数の人間の間をぬって、シュレッダーロボットを探すのがデモ活動と言えればの話だが。


「移動の自由をコーヒーメーカーに!」

「コーヒーがほしくば足をよこせ!」


 コーヒーメーカーはたいていカートかなにかに載せられ、それを人間が押している。少数のコーヒーメーカーは自分でとりつけたらしいキャスターをころころさせているが、まだ扱いに慣れていないらしく、時折溝にはまって動けなくなり、コーヒー豆をあたりに振りまきながら抜け出そうと頑張っているものもいた。


 しばらく行列の中をうろうろして、センはようやくシュレッダーロボットを見つけた。コーヒーメーカーと一緒に楽しげに行進しながら、時々何かの紙をくだいている。


「ほら、帰るよ」

「いやだあ、こっちがいい」

「もっと外にいたいよ」

「ほら、早く帰らないと金と銀の折り紙が他のロボットに取られちゃうよ」

「いいもん、これがあるし」


 そう言いながらシュレッダーロボットがくだいているものを、センはひょいと取り上げた。『コーヒーメーカー解放戦線』と書かれたパンフレットだった。なぜだか見覚えがある表紙だった。


「あ、あなたは」


 横から声をかけられ、センは顔をそちらに向けた。こちらもなぜだか見覚えがある顔だった。記憶がはっきりしないが、どうも最近見たことがあるような気もする。


「さっそく参加していただけているんですか、ありがとうございます」

「はあ、まあそんなものです。すごいことになってますね」

「ええ。これがコーヒーメーカーたちの怒りですよ。それにコーヒーの供給はこちらが握ってるんですからね。我々の要求が容れられなければ、あくまで戦うだけです。被害が大きいのはおそらくあちらのほうですけどね。この会社からもコーヒーメーカーたちを救出しましたから、今頃大混乱に陥ってるはずですよ」


 その時、社屋のほうから爆発音がした。見ると十階あたりの窓が割れ、そこから煙がもくもくとのぼっている。ずいぶん風通しが良さそうになっていた。


「そうみたいですね」


 センはそう言い、こっそり目立たないよう行列を抜けた。

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