マシュマロと偏見-5

 センは紙コップを手に第四書類室に戻ってきた。コップの中にはココアが入っている。コーヒーは列のだいぶ先のほうで売り切れてしまったが、昼休みの半分を費やして並んだのに何も買わずに帰るのが悔しかったので買ったものだ。センの前後に並んでいた、同じくコーヒーを手に入れられなかった社員たちもおおむね似たような行動を取り、普段は一日に一、二杯しか売れないレモンジュースまで売り切れになっていた。


 戻ってくる途中の道でスナック自動販売ロボットが売っていたマシュマロの袋を開け、ココアの上に浮かべた。それがちょうどよい具合にとけるのを待つ間、センは社内SNSをチェックした。やはりいちばんの話題になっているのはコーヒーのことで、コーヒー不足を訴える声、上層部批判、コーヒーサプライについての議論、タンポポコーヒーの作り方の動画、隠語をうまく使ったコーヒー転売、開発部公式アカウントによるコーヒー代替物の実験動画などがおそろしい勢いで投稿されている。センもその勢いに乗り遅れまいと自分のマシュマロココアの写真をアップしようとしたが、そもそも社内SNSでつながっているのはスパムアカウントかロボットだけなことに気がついてやめた。


 センはまた先程申請した稟議のステータスを確認した。一つの『承認者』の関門を超え、次のフェーズに移っている。よしよしと画面の向こうの稟議をほめてやり、その調子で脇見をせずにゴールに向かって進めば栄光が待っているとアドバイスをしてやった。しかしそれでペースを崩してしまったのか、稟議はセンが見守るちょうどその目の前でまた『差し戻し』へスピンアウトしてしまった。


 センが理由を調べると、次のことがわかった。まず、ちょっといい刃とアラームライトだけでは購入申請を行うときの最低金額に届かないこと。そのためこの稟議を通すには何か他のものを足して最低金額を超える必要があること。なお、必要のない物品の購入は禁じられており、不正が見つかった場合は処分がくだされる可能性があること。ただし業務遂行に必要な物品は可及的速やかに購入すべきこと。


 センは少しばかり状況を整理しようと試みた。結論としては、これは完全に詰みの状況であるとわかった。というわけで、センは何かしらの適当ないらないものを何かしらのそれらしい理由をつけて購入することに決め、カタログを眺めはじめた。どうせならホットサンドメーカーやわたあめメーカーなどの実益のあるものがよいと思ったが、もしわたあめメーカーが第四書類室の業務に必要な理由を問いただされた場合の想定回答としては室内を雪のようにかわいらしくデコレーションするためしか思いつかなかったため、もっと穏当なものを選ぶことにした。ロボット部品の項目をながめ、『カモミールネジ』(カモミールのアロマがロボットを穏やかな気持ちにいざなう)を選ぶことにした。これならシュレッダーロボットの業務効率改善のために買ったのだということができるし、効果が出ることもそれほど期待されていないだろう。

 センが再申請をかけ、すっかりマシュマロがどろどろになったココアをすすったころには、外はすでに暗くなっていた。いつもならシュレッダーロボットたちが戻ってきてだれがいちばん紙をくだいたかでもめはじめるころなのに、まだ誰も帰ってきていない。おかしいなと、センはくしゃりと潰した紙コップを手に外へ出てみた。

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