マシュマロと偏見-4

 翌日の出社後、センは昨日申請した稟議のステータスを確かめた。『差し戻し』となっている。何があったのだ、とセンは詳細を確かめた。


『正しい申請フローが設定されていません。承認者を設定してください』


 というエラーメッセージが表示されている。そんなことなら昨日申請したときに教えてくれればいいのにとセンは思ったが、しぶしぶ設定のやり直しに取り掛かった。


 しかし、やり直しは容易なことではなかった。まず編集画面を開くためには砂漠の中の一粒の砂金くらいに見つけるのが難しい『変更』ボタンを探し出す必要があり、またどうにか編集画面を開いても、砂漠に砂金を探しに行こうとしてど真ん中でラクダに逃げ出された人のように『承認者』はどこにも見当たらなかった。仕方なくマニュアルを読み、さらにマニュアルの解説動画(メロンスター社員の間では副業として動画を公開するのが流行っており、『出張攻略! 惑星間最速移動法』や『経費で落ちなそうだがどうしても落としたいものを落とす方法』や『近づいてはいけない部署十選』や『新開発クジラ型ロボットVSベテラン釣り師(製品テスト)』などが日々アップされている。センも一月ほど前ためしに『おすすめのシュレッダーロボットへの紙の投入方法』という動画を公開してみたが、閲覧数が十二で止まっている上に無言で低評価にマークがつけられたため削除した)を見ることで、『承認者』というのは『処理者』と同一であり、編集画面では『処理者』を追加する必要があるということがようやくわかった。ようやく再申請をすませたころにはもう昼時になっていたので、センはカフェテリアに向かうことにした。


 カフェテリアはいつになく混んでいた。しかもあちらでは長い列ができ、こちらでは人々がざわめいている。何があったのかセンがきょろきょろとしていると、列に並んでいた社員の一人が声をかけてきた。


「センさん、コーヒーはこっちですよ」


 話しかけてきたのは、開発部のコノシメイだった。心身に深刻なダメージを与える可能性のある新製品テストをセンで行おうとする以外は付き合いやすい相手で、時折ランチを一緒にする間柄だった。


「いや、コーヒーを飲みに来たわけじゃないんですが……ええと……これ、どうなってるんですか」

「知らないんですか? 今会社じゅうのコーヒーメーカーが動かなくなってしまってるんですよ。どのフロアでも大混乱が起きてて、二十三階なんて緊急事態宣言が発せられたくらいなんですから。で、ここのカフェテリアのペーパードリップコーヒーに皆が並んでるってわけです」

「コーヒーメーカー」センはその単語を最近――ごく最近――どこかで聞いた気がしたが、それが具体的にどこかというところまでは思い出せなかった。

「今庶務課の担当者が調べてるらしいんですが、どうもそう簡単に直らなそうなんです。センさんも早めに並んだほうがいいですよ。どうもコーヒーフィルターの在庫はそこまで潤沢じゃないみたいですから。他にコーヒーを手に入れられる場所はないんだし」

「あそこは何してるんですかね?」


 列とは離れて社員たちがごたごたしているところをセンは指差した。


「ああ、たぶんコーヒーの転売をしてるんでしょう。早めにコーヒーを手に入れられた人が、列に並ぶのが嫌な人とか緊急的にコーヒーを欲している人にコーヒーを売りつけてるんです。でも私としてはおすすめはしませんよ、きっと定価の十倍は取られるんですから」

「あそこは?」とセンはまた別のごたついている箇所を指差した。

「ああ、あれは誰かが偽コーヒーを売ろうとして取り締まられたみたいです。タンポポの根っこかなにかを煎じたとか。あんまりいいやり方とはいえないですよね。あんなにすぐばれちゃうようじゃ、儲けもほとんど無いに等しいでしょうし。それにタンポポの根っこを掘り返すのはけっこう面倒なんですから」

「掘り返してみたんですか?」

「ためしにね」とコノシメイは肩をすくめて言った。「でも結論としては、今のところはこうやって並んでおくのが一番無難だってことです」


 センは少し考えて、列の一番後ろに並んだ。列の先頭付近には『一人一杯まで』とポスターが貼られている。

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