ちょうかつになるな!その9

秦と趙の対決は秦の大勝、そして趙の敗北で終わりました。

趙括という口先だけの人物、歴戦の老将を馬鹿にして後の世に「紙上に兵を談ず」の言い習わしの語源となった人物は趙という国家に大きな傷を残しました。


まず、人的資源として40万の軍を文字通り壊滅させました。

この手の戦いの損害というのは、結構逃亡者が出て、例えば40万人が全滅と言っても何割かは国に帰っている場合が多いです。


なので、文字通りの大敗ではないことも結構あります。

特に短期間の合戦のような場合だと例えば関ヶ原での戦死者数は西軍の場合ざっくり1割~3割位とされています。


つまり軍の多くは生きていたということです。

しかし、前回見た通りこの趙括と白起の戦いはこの短期決戦とは違います。

まず、趙の大軍は完全に包囲されていて逃げ場がありませんでした。


もし、逃げ場があれば軍の大半が飢え死にする前に退路を確保していたはずです。

つまり、本国に逃げかえった人間はほとんどいなかったと推測できます。


おまけに趙括将軍が突撃した時の人数は恐らく少数で逃げることも敵にダメージを与えることもできなかったというのもポイントです。

そして、降伏した時に40万の半分の20万人いたという記録は戦えず、逃げることも出来なかった兵士たちがほとんどだったという裏付けになります。


そして、少年兵240人というかなり具体的な数字が記録されていることを考えると残りを全員生き埋めにしたというのは正確な表現であるという裏付けにもなります。

確かに古代中国では戦の数字を多めに見積もる習わしがあるので文字通り40万人だったのかは議論の余地がある所です。


ですが、秦の白起が兵糧を用意できないと考えるほど多くの軍勢がいたのは事実のようです。

言葉を変えるならば、趙の国の主力の軍勢を文字通り失ったのは動かしがたい事実のようです。


さて、長々と趙括について書いてきましたが、今の時点で押さえて欲しいことが二つあります。

一つは趙括という人物は敵国秦によって評判を高められた人物ですが、決して彼自身は秦のスパイでもなく、彼なりに趙の国を愛していたこと。


そして、もう一つは彼に付き従った40万の軍勢はことごとく殺されたという事実、そしてその中には秦に降伏した人が5割ほどいたということです。

さて、趙括になるな!という題で長く話を紹介しましたが、次回は結びとしてその後の趙の国と秦の国の様子を紹介したいと思います。




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