ちょうかつになるな!その8

秦に囲まれ、兵糧もなく、総大将の趙括も戦死した趙軍、その数は40万から激減したとはいえまだ20万もの軍勢がいたとされます。


しかし、戦闘する意思はなく秦軍に対して降伏することになりました。

さて、視点を変えて秦の軍の事情を見てみましょう。


総司令官白起から見ればこれは大勝利です。

それは間違いありません。

ですが、趙軍が深刻な兵糧不足になるということは、当然ある程度の期間戦い、秦も兵糧を消費しています。


当然大軍ですから本国からの兵糧にも限界があります。

そのような中で、20万もの軍が降伏してきました。

何しろ、これは今から軽く2000年以上前の話です。


現代の戦争のように、捕虜の扱いに関する細々した決まりや人道的な取り決めなどありません。

当然非人道的という概念そのものも現代と比べればはるかにおそまつなものでした。


となれば、考えるのはまず兵糧があるかないか、当然ありません。

味方の兵糧を分け与える?そんなことをしたら味方がお腹を空かせますし、その状態で敵兵が襲ってくれば今までの戦いは無駄になります。


すぐに捕虜を解放する?

そんなことをしたら、せっかく降伏、無力化した軍が復活して今度こそ秦の軍勢を撃ち破ることもあり得ます。


ではどうするか、答えは一つです。

白起将軍は命じます。

「生き埋めにせよ」


こうして少年兵240人を除き、20万といわれる投降兵はことごとく殺されました。

これはコウメイの推測ですが、少年兵を生かしたのは、温情という感情が白起にあったかもしれません。


しかし、もしかしたらエグイことに若くて感受性が高い彼らにこの戦いの様子を長い期間趙の国内に宣伝させるためのスピーカーにしたという可能性もあるのではないかと思います。


もしそうなら、この少年たちは秦の強さと恐ろしさ、趙の弱さ、戦争中の趙の軍勢の内部での内ゲバや醜い行状を趙の国内にいるあらゆる人々に宣伝した事でしょう。

助けた人数が多ければ、兵士として再び刃向う、かといって一人二人助けたり、あるいは全滅させたらこうした宣伝は出来ない。


240名というのはそうした視点で見ると実に絶妙な数ではないか、コウメイはそう考えました。

さて、次回はその後の趙の国内について紹介します。

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