ちょうかつになるな!その10

趙括が死に40万の大軍を失った趙の国は滅亡の危機に直面します。

首都である邯鄲(かんたん)に攻め込まれ、一部ではまたもや兵糧不足のために子供を食すという悲劇的な状態に陥りました。


しかし、この機になって趙の民が覚醒し、必死に戦いました。

また戦国四君の一人で宰相であった平原君により魏の信陵君と楚の春申君らの援軍を呼び寄せ、撃退しました。


こうして、趙はこの時何とか滅亡だけは避けることが出来ました。

ちなみに秦の将軍白起はあの趙括との戦いがあまりにも見事だったために、秦の宰相に警戒されてしまい、趙への攻撃命令も出されませんでした。


もし白起が趙を攻めていたら滅亡した可能性は大いにありました。

つまりそれほどまでに趙括の大敗北は趙という国を弱体化させていたのです。


余談ですが、この歴史的流れを秦という国から見るとまた別の姿が見えてきます。

宰相という身内が有能な将軍が提示したチャンスを却下することで国益を害することがあるということです。


この点から、味方陣営だからと言って仲間内がみな有能な味方とは限らないという教訓を得ることが出来ます。

無能な味方は敵より怖いという言葉もあります。


まさに趙括は核地雷級の恐怖を味方の趙という国と国民に対して与えました。

それに比べれば些細なことですが、秦の宰相も方向性としては似たことを行いました。

 (なおこの宰相自身は趙括と違いとても優秀でしたのでこの件のマイナスよりも今までの活躍のプラスの方が多いのではないかと個人的には考えています)


とにかく趙括を信頼した王はあわや滅亡の憂き目に、首都の民たちは飢餓の苦しみに、そして働き盛りの世代をごそっと失った民たちは国防や日頃の労働力の枯渇によってそれぞれ苦しい思いをしました。


もちろん、秦に国を売り渡した挙句うまく逃げおおせた人も中にはいたかもしれませんがそれはいたって少人数だったことでしょう。

恐らく秦から利益を得ていた人々の殆どは国家存亡の手前まで披露した中で生活基盤や財産の多くを失い、失った物の方が多かったに違いありません。


さて、国を売るということがどういうことなのか、次の話しははとどめと言えるまとめを紹介したいと思います。

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