破竹の勢いその3
杜預(とよ)の時代晋に人口はどのくらいいたのでしょうか。
ざっくり500万人以上はいたのではと思います。
そんな中、晋の武帝、司馬炎(しばえん)の知る範囲で呉の討伐に積極的だったのは彼を入れて3人しかいなかったという話だそうです。
そして、彼の父の代からの悲願、というか皇帝になれば誰しもが切望する天下統一を望む家臣がそれだけしかいなかったというのは寂しいことだったかも知れません。
しかも、杜預の上司が病で亡くなり、残り2名となりました。
実はここに一つポイントが隠れています。
杜預の上司は武帝の意を理解していたのか、呉討伐の準備を着々と進めていました。
この時、彼は自分の部下に命じて船を造らせたそうです。
ポイントというのはその部下が益州という元蜀があった地域だったということです。
過去の呉征伐の時には軍船は魏の領土で用意されたと思われ、当然呉としてはあらかじめそれを知ることが出来たはずです。
そうすると、軍事的に水軍の準備をすることもできるし、時間がありある程度準備ができるので寝返りや埋伏の毒などの計略を用意することが出来ます。
しかし、魏が蜀を併合したのちには魏もその後の晋も呉に大規模な戦をしていなかったため呉の防御体制はかなりガバガバだったと推測できます。
要は油断した状態だったということです。
さて、上司は亡くなりましたが、部下であった杜預はその後を継ぐことになります。
つまり軍船や呉攻略の作戦案も引き継いだと考えられます。
これも大きなポイントです。
あの曹操が赤壁で破れた要因として、準備不足だったことが挙げられます。
長年呉討伐を進言し、却下されていたとはいえ、恐らく念入りに訓練と装備の充実を図る時間が与えられたはずです。
さて、簡単にまとめてみましょう。
呉に気づかれないように、準備をしたことで呉に軍備や謀略を行う隙を与えなかったこと。
そして、長年の計画により味方は十分な準備が出来たこと、この二つが呉征伐を目指す杜預の前に置かれた状況でした。
さて、さらに話をすすめていきます。
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