破竹の勢い

三国志と言えば魏、呉、蜀の三国を思い浮かべますがその中で最後に残ったのは呉の国でした。


三国志末期には魏が蜀を吸収し、その後魏の重臣であった司馬一族によって魏は晋に乗っ取られてしまいます。

経緯はともか「破竹の勢い」かの有名な三国志、その最終局面において魏から晋に衣替えした国家が孫権の建国した呉に対して最後の決戦を行う前に登場した格言です。

く、劉家、曹家、孫家の中で三国志で最後まで残ったのは呉ということになりました。


この言葉は晋の将軍「杜 預」(トヨ)が発したのですが、言葉の意味は一度竹に切り込みを入れれば後は簡単に切れるもの、なので決戦はすぐに行った方が良いということです。


現在では猛烈な勢いでものごとが進むことのたとえ。また、勢いが盛んで押さえがたいことにいう、と説明されています。


実はこの時、杜 預の意見に反対する者も多かったようです。

とはいえ、三国志の歴史に詳しい方であればこの反対意見というのもあながち的外れではない事をご存じかと思います。


例えば、あの天才曹操が大敗したのは呉との赤壁の戦いでした。

それだけではなく、国力の点では曹操よりも上の時代に彼の息子曹丕が皇帝親征の元、万全の準備で戦い、そして負けました。


ある時は歴戦の名将曹休が三方向からの攻勢に出ますが、敵の計略と水軍によって大敗北します。

魏の歴史、あるいは将たちから見れば、呉の水軍と謀略で今までうまくいった経験がほとんどない状態でした。


この間およそ70年、身に付いた常識として考えれば慎重になるのも不思議な事ではありませんでした。

では杜 預と魏改め晋の他の将たちの違いとは何だったのでしょうか。


その前になぜ、この昔の話をここで持ち出したのか、実はこの昔話のいきさつを説明することが、前の話でコウメイが語った破竹の勢いによる作戦立案、そしてヒキコモリーヌやテレスが慎重論を述べた理由を理解するのに役に立つのです。


回り道にも思えますが、歴史を学び現代に生かすのがこの作品のポリシーなので、今しばらくお付き合いください。


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