「カリン」事件その4

ヒキコモリーヌ、後にひだまりの国の政治分野のリーダーとして強さとしなやかさをもって長期政権を築いた美しい女性です。


とりわけ、彼女は情報戦において神業的な戦績とカリスマ的な支持を集めたことで歴史に名を残します。


彼女の二つ名は「メディアキラー」あるいは「メディアの天敵」と呼ばれました。

その彼女がひだまりの国が落ち着いたころに、このカリン事件のことをいくつか語っています。


「当時の世相はメディアに対する怒りと不信感で渦巻いていました、でも逆に言えばばそれしかなかった、だからあの当時のメディアと旧体制の特権階級はまるで動物を狩るが如く人々を蹂躙していったわ」


カリン事件の裁判が始まり、アイドル投票に関心のある人々はその様子、動きに多大な関心を持ち見守っていました。


一方、メディア側と旧体制側はカリンの悪い噂とデンゲル人や旧体制側の息のかかったアイドルに対するやりすぎとも思えるキャンペーンを繰り広げていました。


ただ、不思議なことに裁判に関しては情報管制をしたかのように、あるいはなかったことかのように扱うことを控えていました。


ごく一部にこの動きを不気味に感じた人もいましたが、大半は怒りと無関心の二つの感情のどちらかに支配されていました。


そして、まず刑事事件の判決が出ました。

カリン誘拐についての事実は認められたものの、量刑は極めて軽く同じような例の判決のほぼ半分の量刑となりました。


カリンの親族や支持者たちは落胆しました。

そして、怒りをもって注視していた人々は怒りを爆発させました。

「こんなことがあっていいのか、許されていいのか」


やがて、ネットにこの話題が怒りの言葉と共に広く拡散されていきました。

そして、その怒りの言葉はどんどん強く、どんどん激しく、どんどん過激になって広がっていきました。


それとは対照的にテレビや新聞や週刊誌では比較的静かに、あるいは触れないという形でこの問題が扱われました。


身内の不祥事ということで触れないのではないか、あるいは世論が荒れているので恐れているのではないか、という推測がSNSの一部でささやかれてはいましたが、それよりも怒りの声が圧倒的に支配した状況なので問題になりませんでした。


ヒキコモリーヌは言葉を続けます。

「彼らは老獪にも、あるいは狡猾にもあるときを狙っていました、そしてほとんどの人々は怒りによってその企てを知ることが出来なかったのです」


虐げられ、争いから逃れ、自分達が築いた聖域を荒らされ、怒りに満ちたひだまりの若者達の悲劇、その最後にして最高潮の事態が間近に迫っていました。






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