「カリン」事件その5

その日はある意味一つの大きな転換点でした。

日時自体はずいぶん前から発表されていたので決して不意打ちではありません。

しかし、旧体制派と敵対するカリンの味方達にとっては突然の悪夢の日の始まりでした。


カリン事件の刑事裁判の判決が出て数か月後、今度は民事事件の判決が出ました。

それは雑誌から始まり、新聞、テレビなどでカリンについて書かれた個人的プライバシーについてカリン側が名誉棄損と虚偽についての裁判です。


判決は「メディア側の無罪」でした。

判決文によると、ここで表現された事柄の多くは表現の自由の範囲内であり、尊重されるべきもの。


メディアの公的役割とアイドルの公共性を考えると個人のプライバシーについての保護は限定されると判断される。


被害者であるカリンの病状や社会的損失とメディアの報道との直接的な関連性は認められない。


大まかに言えばこのような内容でした。

カリン側に心を寄せた多くの人々はあまりの判決に激怒しました。

しかし、この時彼らのほとんどはある点について気づいていませんでした。


それは、この裁判に関わった弁護士はもちろん、裁判官や裁判長までが「デンゲル文化主義者でした」


これは、ひだまりの国の民の中で、デンゲルの文化がひだまりより優位であるという思想の元、ひだまりの民の法的保護を出来る限り制限しようと画策する団体のメンバーだったのです。


つまり、法の下の平等よりも自分達の理想を司法を使って推し進めることを正義とする「ゆがんだ法の番人」それが彼らの正体でした。


そしてこの一件は一言で言えば出来レースでした。

そして、その判決が出た瞬間から、莫大な数の訴訟が弁護士達の元に集まってきました。


内容のほとんどは、SNSによる今回の事件による誹謗、中傷を訴える、という内容でした。


種明かしをすると、旧体制派はカリン側についた人々のSNSでの発言を逐一監視し、その中で自分達を批判する特に厳しいコメントや知られては困る情報を書いた人々を狙い撃ちにするべく、監視、記録、リストアップをし、この裁判が来るまで沈黙を守りつつ入念に機会をうかがっていたのです。


カリン派、あるいは反旧体制派にとってこれは見事なまでの不意打ち効果がありました。


なにしろ、いままでSNS内でバシバシ議論、いや罵声の無制限総力戦をやっていたので全く予想外でした。


中には相手側も同じような言葉を使っているのだからお相子で相手の損害を考えたら裁判にはならないという人もいましたが、それは甘い希望的観測でした。


結局この時、カリン派と思われる500人ほどの人々が名誉棄損と業務妨害で訴えられました。


そしてさらに混乱は続きます。


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