検地によって税収の公平化と安定化を大規模に
最初にやったのは秀吉ですね。
多分、信長の時代にもそれなりには行われていた
ものを本格的に実施したのでしょう。
太閤検地は石高の基準を明確にし、
測定や量りの基準も統一して実入りを明確にし、
そこから税額を算出したのですが、
調べてみると面白いのは家康です。
家康は秀吉の検地の翌年から領地の検地をするのですが、
石高制を採用せず、現場の村役人に実情に応じた税額を
毎年算定させる方法を取りました。
戦や賦役で動員したとか、豊作だったとか飢饉だったとか…。
こういう実情を斟酌する制度だった様です。
また控除をする場合の基準も明確だったそうです。
この為、領民の家康への忠誠は他国に比べて異常とも
言えるくらい高く、これが関東への国替えの原因の
ひとつだったとか。
作者からの返信
白狐姫と白狐隊様興味深い点を教えていただきありがとうございます。<(_ _)>
😊
石高や領土の広さを見ると確かに戦国三傑が強いのは分かるのですが、それにしても他の大名と比べて成長率の高さが凄く、内心不思議に思っていました。
個人の武勇や人徳だけでそこまで差が開くものかともやもやしていたのですが、なるほどご指摘のお話を聞くとストンときますね。
私個人は好き嫌いを除くと秀吉が最強だと考えていますが、彼の経済力の強さを考えるとやはり戦は長い目で見れば経済力が鍵かなと思いました。
そして、統一する能力とそれを維持する能力は別物で、秀吉はドーピング、家康はいつでも行けるように調整していたイメージですが、その点も今回の説明で納得です。
本当にありがとうございます。<(_ _)>😊
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
<(_ _)>😊
次回もどうぞよろしくお願いします。<(_ _)>✨😊🎵🍀🌟🌈