テレビ放映戦国大名総選挙その74 織田信長

伊勢長島は地獄でした。

なまじ、守備側に有利な地形だったために逃げ道がなかったのです。


攻撃側である織田軍はすでに多くの犠牲を払っていましたので、もはや彼らを許すという感情や理性が摩耗していました。


お互いが全力で戦い、お互いが大きなダメージを受けました。

本来なら素人集団のはずの一向宗でしたが、地の利と経験を積んだ将、そして織田軍との長い戦闘そのものが彼らを精兵に育て上げました。


もし、彼らを逃がしたらまた別の場所で織田軍を苦しめる場合によっては何度も行われている信長帰還時を狙っての暗殺さえやりかねない。


感情を抜きにしても信長が彼らに情けを施す理由は危険性と比べて明らかに希薄だったでしょう。

こうして、前に述べたように完全なる意図を持った皆殺しが行われました。


さて、伊勢長島の地で沢山の、あるいはほとんどの一向宗が消滅しました。

しかし、その地にいたのは一向宗だけではありません。


むしろ、一向宗に対して良い感情を抱いていない人々が多かったかもしれません。

なので、その後の統治という視点で見ればこの行動はあと腐れなく円滑に領土を支配するという点で有益でさえあった、そういう見方もできます。


織田軍の恐ろしさが原因なのか、それとも治政が良かったのかそれは人それぞれ違うでしょうが、その後は織田家の領土として兵の動員や経済力の支えという点で伊勢の国は安定した存在となりました。


また越前についても朝倉家の滅亡からの混乱と一向宗の圧政、そして各宗派による分裂を経て、信長軍が侵攻し平定しました。


こちらも長島での地獄の戦と一向宗の悪政による混乱を経たために信長と戦おうという意思を持つ者達は少なくなり、結果として平定されていきます。


この地は越前8郡75万石を柴田勝家に与え、北ノ庄城主に命じた。


越前府中10万石は前田利家・佐々成政・不破光治に均等に与えられ、府中三人衆として勝家の補佐・監視役を担った。

また、大野3万石は金森長近に、2万石は原長頼に与えられた。


こうして、今度こそ信長陣営による確固とした支配が越前で確立されました。

そして隣の加賀の国も拠点が陥落、加賀と越前で勢力を誇った一向宗は政治勢力としてはほぼ無力化することになりました。


次の章ではもう少し一向宗のその後の話を紹介したいと思います。








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