テレビ放映戦国大名総選挙その64 織田信長
さて、一向一揆、あるいは一向宗について少し説明を加えたいと思います。
浄土真宗というとピンと来る人が多いかと思いますが、厳密な解釈としてはともかく、大まかなまとめ方で言えば同じような集団という見方も出来るかと思います。
鎌倉時代に出来た一向宗と同じく鎌倉時代の親鸞によって出来た浄土真宗、これが時代を経て混ざり合い出来た集団というのがざっと見で理解した内容です。
戦国時代にはすでに北陸で大幅な組織となり、一国を支配し守護を追放するという事態に発展しています。
さらに大坂や伊勢長島でも巨大な組織として発展していきました。
余談ですが徳川家康も三河の一向一揆でずいぶん苦しめられてきました。
この組織の特徴として、一向という名前からも推測できますが専心の念が強く、一方でしきたりという点では簡素だったために信者になるためのハードルが低い点があります。
また、肉食OK妻を娶っても良いという感じで現世から離れた宗教というわけではありませんでした。
また、南無阿弥陀仏と唱え、自力で仏になるのではなく、「如来の本願力」(他力)による救済という教えとされたようです。
ざっくり言えば、念仏を唱え全き専心をもって信仰すれば救われるという極めて分かりやすく小難しい労力を必要としない教えでした。
それゆえ、上級階級の武士や公家や僧侶たちではなく、身分の低い武士や農民達がこぞって入信したようです。
信者は現世において虐げられた者達や学のないもの達、そしてただ信じれば救われるということで室町幕府とそれに連なる大名や領主達とはどうしても水と油のような関係になりました。
さて、人生の目的を理解しそのためにやることも見つかったこれら一向宗の信者にとって大名や領主の税負担や労役や法律は邪魔な物、あるいは不当な重圧ということになります。
しかも、信じていれば救われるので死んでも救済される、そう考えた多くの僧侶と信徒たちは各地で反抗し、独立していきました。
ここまで説明した通り、一向宗は沢山の民を引き付ける魅力的な教えであると同時に一向宗以外の人々や組織とは明らかに異質で共存のしずらい存在でした。
そして、信長が登場します。
次の章では時間の経過とともに信長と一向宗との激烈な関係を説明していきます。
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