テレビ放映戦国大名総選挙その65 織田信長
織田信長と一向宗との最初の接触は必ずしも険悪なものではありませんでした。
以前話した通り、織田信長が足利将軍を連れて上洛しました。
その時に大坂石山本願寺の11世法主の顕如、つまり一向宗のトップに対して足利幕府の御所のための費用を要求しました。
この時に素直に5000貫という大金を払いました。
この時点ではむしろ関係は良かったはずです。
しかし、この後すぐに事態が急変します。
元亀元年(1570年)9月12日に顕如は「信長が本願寺を破却すると言ってきた」として本願寺門徒に檄を飛ばし、三好三人衆攻略のために摂津福島に陣を敷いていた織田軍を突如攻撃した。
私見ですがこの記述とても不思議に思いました。
確かに信長は一向宗と仲が良くはなかったでしょうが、既にお金を要求してそれを受け取っています。
しかも、敵が目の前にいて戦場に陣を敷いているタイミングでわざわざこんな無理なことをする必要があるのかとても不思議です。
この戦いは織田家が優勢な状態で推移していきますが、その後、正親町天皇による和議を進めています。
どうも、信長が仕掛けたという割には信長に一向宗を潰そうという意図をこの時点ではあまり感じないのです。
むしろ、一向宗側の方が信長の隙を見計らて仕掛けたように見えます。
この後近畿では浅井、朝倉、三好、雑賀衆などいろんな勢力を巻き込みながら一向宗は信長と戦うことになります。
しかし、こちらの戦線は本願寺顕如が近くにいたせいなのか、ダラダラと戦が続きます。
その間には和平や講和が何度かかわされ、顕如~茶器のプレゼントを信長が受け取ったりその返礼をしたりとなんだかよくわからない状態が続いていました。
ちなみにその和議の中には武田信玄による仲介というのもありました。(信玄の妻と顕如の妻は姉妹である)。
実はこの時一向宗には3つの大きな拠点があり、今回紹介したのは顕如のおひざ元でしたが、次の章では残りの2か所について紹介したいと思います。
一つは北陸、もう一つは伊勢長島です。
いわゆる信長を魔王という恐ろしい言葉で形容することになった大きな歴史的事実がこれから紹介する地で行われました。
では、次の章にお話を譲りたいと思います。
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