テレビ放映戦国大名総選挙その19 豊臣秀吉

少し話はさかのぼります。

豊臣秀吉という人物はとても城攻めが上手で特に鳥取城での兵糧攻めは有名です。


秀吉が活躍した時代は戦国時代の末期と言ってもよく、兵糧攻めに関する知識や経験も多くの大名や武将の間で知られていたことでしょう。


つまり、兵糧攻め自体は決して斬新な戦法ではありませんでした。

しかし、秀吉の城攻めは徹底していました。


まず、戦争をする前に兵糧を止めるというよりも、高い値段で買い占めるという方法を取りました。


これによって城を守る側は米を売り、より優れた武器や兵士の増強にお金をかけたいという行動を促すことになります。


次に、徹底して城の周りを封鎖します。

海上ルートはもとより、陸上も封鎖をし、基本的には堅陣を敷いて戦闘すらさせないようにしました。


こうして味方の損害を最小限にしつつ、敵の兵が生きていてもそれは敵の敗北を早める要素となるという当時の合戦で勝敗を決めるという概念を超えた戦いをします。


さらに、周辺の住民を敵の城まで誘導して、場内の食料を消費させます。

とどめとしては逃げ出そうとしたり降伏しようとする兵士や領民を城に追い返すという戦法まで使っています。


ちなみに、この時の敵将は毛利の中でも勇猛とされる吉川の名を持つ人物で、恐らくまともな野戦や籠城戦をさせたら相当厄介だった相手であった可能性が高いです。


にもかかわらず、まったく手も足も出ませんでした。

結局城側は降伏しましたが、その後の食料の配給によって得た食料が弱った体には耐えきれなかったため、多くの人が食後亡くなっていきました。


武器を使っての合戦が良いこととは思いませんが、この戦いは極めて残酷な方法だったと言えるでしょう。


そして実に豊臣秀吉という人物の恐ろしさと強さを示す事例だと個人的には思います。


また、彼は小田原城攻略を見ても分かる通り城攻めを苦にしない戦国大名です。

戦国時代に数多の大名武将がいましたがこの点で秀吉に比肩する人物を私は知りません。


織田信長、武田信玄、上杉謙信、徳川家康、彼らを見てもこの城攻めという点に関していえば秀吉には劣ると個人的には思います。


前も指摘しましたが、秀吉は巨大な敵を降伏させるのがとても上手です。

北条、伊達。毛利、島津、上杉、徳川、どの大名も大合戦をする国力はあったはずなのにほとんど記録がありません。


もちろん、戦闘自体はあったのですがそのほとんどが合戦になる前に秀吉が有利になるか膠着状態になり秀吉が大負けする例があまりないのです。


次は秀吉の野戦について少し考察したいと思います。

そして、島津軍と秀吉の相性の悪さについても触れたいと思います。









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