テレビ放映戦国大名総選挙その13 毛利元就
毛利元就は1997年のNHK大河ドラマで主役として出演していました。
平均視聴率は23.4%、最高視聴率は28.5%という記録が残っています。
戦国大河を放送する場合、ほとんどは信長、秀吉、家康が必ず主役、またはわき役として出演するのが恒例となっていましたが、この作品はあくまで中国地方を舞台の中心にしていました。
やや、数字的には少なめですが、私個人としては地方大河としては大健闘だったと思います。
もし、島津義弘が大河となった場合、舞台の多くがの信長たち三傑に絡まないという点でこの毛利元就から学べる点が多くあると考えています。
ただ、島津が九州全土で活躍したのは毛利元就が活躍してしばらく後なので、一応信長も秀吉も家康もそれぞれ出番はありそうです。
信長はゲスト扱いだと思いますが。
さて、私個人は毛利元就とその一族を見ていると島津と似てるなと思うところが結構あります。、(似てると一緒は意味が違うので便利な言葉だと思います)
毛利元就と島津忠良(日新斎)はよく似た人生を送っています。
どちらも父が早めに亡くなり、母や義母と苦労して自分のテリトリーを守ることを強いられることになりました。
弱肉強食の時代なので回りからの攻撃も多かったようです。
戦闘に強いというよりも謀略、計略系に強い所もよく似ています。
それと極めつけが「手紙が長いこと」二人ともとにかく息子や孫、家臣たちに噛んで含めるような手紙を書いたことで有名です。
もっとも元就の方はあの小早川隆景にうんざりされるほど細かい点まで書いていたようですが(笑)
それと毛利は3本の矢の例えの通り毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3人の子供たちで戦国末期を乗り切りましたが、島津も孫の義久、義弘、歳久、家久の4兄弟で同じ時代を乗り切りました。
つまり、子孫たちのために土台を据えたという点でとてもよく似ています。
こうして見ると毛利と島津は地方大名としても、その後の戦国での家中の流れも似たようなところがあり親近感が湧きます。
大河ドラマの大先輩の一人として毛利元就公の5位入賞を改めてお祝いしたいと思います。
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