また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読ありがとうございます。
<(_ _)>🍀😊
次もどうぞよろしくお願いします。✨😊✨✨✨🎶🎵
島津家って、いろんな意味で、謎が深く、そして、信長との関係も興味深いものがありますね。
作者からの返信
アメリッシュ様いつもありがとうございます。
信長との関係はその後継である秀吉と険悪だったことから悪かったのかと思いきや、4男家久と家臣たちが上京してあの明智光秀が供応してるんですよね。
今も資料を研究中なので、今後の進展に期待したいと思います。
信長の要請を受けて!って、興味深い資料ですね♪
戦国時代の貴族の立ち位置も面白いですね。
作者からの返信
いつき ふみと様コメントありがとうございます。
最近は信長と信玄の外交は信用できないという風潮もありますが。(笑)
信長から見て毛利や九州北部の勢力は仮想敵でした。
なので、敵の敵は味方、あるいは遠交近攻方針で考えた時島津は信長にとって都合の良い存在でした。
また、島津と近衛の親密な関係も見逃せません。
島津と中央の関係が劇的に悪化したのは豊臣秀吉からで、いろんな要素がありますが、義久と秀吉の性格が極めて合わなかったのは大きな要因だと思います。
一見すると信長の政策を踏襲したと総括される秀吉ですが、西日本の差配に関してはかなり独自性を発揮したと言えるかもしれません。
ちなみに島津も秀吉に関する情報はそれなりに入っていましたが、ここまで強硬に島津に敵対するとは考えていなかった感じで、九州のほとんどを制圧したにもかかわらず迎撃態勢はほとんど整っていませんでした。