応援コメント

第269話 閑話休題「捨てがまり」は創作?」への応援コメント

  • まあ物書さんとしては、良いような、悪いような。ですね~

    作者からの返信

    いつき ふみと様コメントありがとうございます。<(_ _)>😊
    島津というのは戦国時代の資料が何故か少ないんですよね。
    ということは創作しやすいとも言えます。

    でも、ここでもある通り、丁寧に歴史を調べられるとこうしたことが起きます。
    でも武田の歴史に比べたら創作性は少ないと思うのでこれからも光る歴史や逸話を紹介できたらと思います。😄🍀

  • また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨

    作者からの返信

    オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつも貴重なお時間をご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😊

    最近は「不屈の両殿」という書籍がとても売れているようで、恐らくこの島津専門書の中に最新の見解が紹介されていると思います。
    私も、機を見て買って読みたいと思います。

    次のご愛読も楽しみにお待ちしています。😄🍀

  • また遊びにきます😊

    作者からの返信

    かず斉入道様いつもありがとうございます<(_ _)>

    またのお越しをお待ちしています。

  • こんにちは。
    歴史がころころ変わるっていうのはそうですよね。それだけいろんな人が熱心に研究しているってことなんでしょうね。
    歴史小説のフィクション部分に対して、あたたかい眼差しで見よう、というのはまったくそうだと思います。

    作者からの返信

    久里 琳様。いつも応援ありがとうございます。
    島津研究家は新進気鋭の方が多くそれだけに史実に厳しくもあります。
    創作系の人から見ると少しやりずらいかも知れませんね。

    でも織田信長のようなフリー素材のようになれば大人気になるのでその点を真似て取り入れて欲しいと個人的には思います。

  • 歴史ってころころ代わりますし、その上に書かれた人の恣意が挟まるから、厄介です、実際にほんとなんてわからないと思っています。現実のその場にいても、人はそれぞれの思惑で現実をとらえますものね。

    作者からの返信

    アメリッシュ様貴重なご意見ありがとうございます。
    実のところ私たちが歴史の事実としている事柄の多くが後世では否定されることは容易に想像できます。

    これは医学と歴史の話ですが19世紀の医療先進国ドイツで医者と看護婦のどちらが手術の生存率が高いかの研究があり、看護婦の方が明らかに生存率がたかかったそうです。

    種明かしすると看護婦は手術の度に着替えていましたが、医師の方は着替えずにそのままオペをしたからという落ちです。
    ちなみに当時の高貴な人々は医師の治療を所望していました。

    しかし、歴史は精査されてきたものであり人生の教訓として貴重であるという点は揺るがないと私は思います。
    現代でも歴史を馬鹿にする知識人よりも常識人の方がはるかに冷静正確な判断をしていると見ているからです。

    編集済
  • 今もずっと発掘調査とか続いていますからね。古文書などが新たに出てくると歴史が一転する可能性もあります。教科書の内容もずいぶんと変わっていたりしますからね。
    「聖徳太子(厩戸皇子)」が「厩戸皇子(聖徳太子)」になったり

    「1192年鎌倉幕府」が「1185年(だったよね?)鎌倉幕府」になったり

    歴史は常に変動してます。

    作者からの返信

    野林緑里様コメントありがとうございます。
    歴史とは磨かれた像のようなもので常に磨いておかないと本当の姿がみえなくなります。
    研究という名のふきんでいつも磨いておくことが大事です。

    とはいえ、物書きとしては困るんですよね(笑)
    なので、最近は素人物書きと紹介して予防線を張っております。(苦笑)

  • ほんと、歴史物の難しさです。
    子供の頃から大河ドラマとか見ていて「この人ほんとにいたの?」とか「こんな喋り方すんの?」とか疑問に思ったことがありました。
    脚本家さんや、小説家さんってすごいと思ったのです。少しの記録から物語を作り上げる。これ素晴らしきかなです。
    しかし、研究が進むとたしかに事実が明るみに出ることもありますしね。歴史物の難しさですね。

    作者からの返信

    雪うさこ様コメントありがとうございます。
    この問題現代の、そして現代進行中の問題です。
    三国志なども史実と演技がごちゃ混ぜだったり、そもそも歴史書の正史が正しいという保証もないのです。

    一つ言えるのは過去は司馬遼太郎さんのように歴史を創作と割り切り自分は作家だと言える環境に現代がないということです。
    きびしいということは時に息苦しくなるものですね。

    私の小説の中にも現在、あるいは将来は変る学説もあるとは思いますがご了承ください(笑)
    もちろん歴史に忠実なのは大切なことです。