第258話 ねこネコ編 島津とねこ
時は戦国時代、権力闘争に明け暮れた公家と武士たちはその立場の違いから争いと謀略を繰り返していました。
武士たちは彼らを利用して朝廷の権威を用いたり、官位を得るために様々な工作をしたりしました。
公家たちもまた武士たちを利用して財力を得たり、調停などをすることで権威を示したりもしました。
江戸幕府が出来ると武士たちは朝廷を管理、支配しようとし公家たちはその動きに頑強になって抵抗しました。
さて、このように決して相容れない両者ですが、公家のトップ関白の近衛前久(このえさきひさ)と鬼島津と恐れられた島津義弘の手紙が記録されています。
さて、どのようなドロドロとした内容の手紙だったのか意訳ですが紹介したいと思います。
皆様心の準備はよいでしょうか。
近衛前久「もらった猫、家内に取られた。娘もほしがっているけど、それは無視して自分の分だけあと一匹ほしい」
島津義弘「、、、、、」
(ちなみにこの手紙の解釈として娘の分も頼むと暗に催促しているそうです、公家恐るべし!)
ちなみに京都と鹿児島はとても遠く、当時の手紙代も馬鹿にならなかったと思います。
彼らの猫に対する必死さを知ることができるエピソードですね。(笑)
さて、以前島津義弘が大陸を渡った時、7匹のねこを時間を知るために連れていったエピソードをお伝えしました。
そして、2匹のねこが帰国したという話もあるそうです。
もし、それが事実ならこの7匹のねこたちはその辺から徴用したものではなく島津義弘が普段から飼っていた可能性が高いです。
なぜなら、徴用したねこの場合、懐いていないため戦地で逃げてしまう確率が高く、加えてわざわざ帰国させる必要もないからです。
そして、帰国させたあとも恐らく大事にされたであろうことは想像がつきます。
なぜなら、それらのねこたちは戦地で戦死した息子、久保との思い出を共有した存在だからです。
死んだ猫たちの為に神社や祠をわざわざ立てた義弘が2匹のねこを粗略に扱うなどありえないでしょう。
つまり、家で飼っていた可能性が大きいということです。
近衛前久との手紙も、島津義弘が普段から沢山ねこを飼っていた証拠ではないでしょうか。
結論として、島津義弘は単にねこが好きなだけでなく普段から沢山ねこを飼っていた「大のねこ好き」だった可能性が濃厚だと言えます。
というわけで、次回からは多頭飼いをしていたと思われる島津義弘にあやかって、現代のねこに焦点を当てた現代「ねこネコ編」をお届けいたします。
ねこ好きのあなた、ねこをしりたい読者の皆様どうかお楽しみに。
そして、島津義弘のように大のねこ博士になれますように。
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