第229話 島津日新斎いろは歌あとがき
約80章にもわたり、島津日新斎いろは歌と作者なりの解説や感想をご愛読いただき読まことにありがとうございました。
この小説の中で、島津日新斎の存在はいわば伝説の人、(レジェンド)です。
彼の存在と教えこそが戦国島津の魂であり根源に近い存在だったのではと作者は思います。
少なくとも、島津義久、義弘、歳久、家久に大きく影響を与えました。
そしてそれは幕末から明治になっても大きく影響し、郷中教育という形で西郷隆盛、大山巌、村田新八、東郷平八郎などが学んだとされています。
そして、今でも鹿児島の一部では教えられています。
わたしが参考にした「薩摩の聖君、島津日新公の教え」作者、清水榮一の中では鹿児島から島津公保(しまづきみやす) 様がはるばる鹿児島から上京し、日新公いろは歌の小冊子をもって訪ねてきました、というエピソードがあります。
もともと戦国時代の教えで、しかもあの薩摩の書物ですから清水榮一様が現代語訳を書くのにどれだけ苦労なされたか想像がつきません。
なので、現代語訳を知るだけでも清水様の書物は貴重な価値があると思います。
今はネット社会となり、清水榮一という名前も島津いろは歌も触れる機会がない方も多いと思います。
その様な方に、「強い」という点ではそれなりに知名度のある戦国島津をさらに理解してもらいたいと思いこうして解説と説明をしてきました。
もちろん、素人の書いたものですから、至らぬ点や間違いも多々あるかとはおもいますが、誰にも知られずに過去の歴史に追いやられるよりは、目立つように引っ張り出して、その価値を認める人達に知ってもらい、その上で補足、訂正してもらえばよいと思いました。
何度か、孫子を引き合いに出しましたがあの本も曹操という人物がまとめ、後の歴史家がつなげ、日本の戦国武将たち(たとえば武田信玄など)が活用し、現代でも起業家や政治家が取り上げるからこそ沢山の人に見てもらえるわけです。
そして、今から2000年を優に超える書物が現代でも通用するのであれば、今から500年足らず前の島津いろは歌も注目されてもいいのではと思いました。
先ほど、孫子は曹操や武田信玄が執着したように。島津いろは歌は島津4兄弟と明治新政府の要人たちが大事に活用してきました。
内容の面でも決して劣るものではないと思いました。
孫子は戦いに特化したまさに兵法書ですが、島津いろは歌は日常の生活にも関係する言葉もあります。
民主政治はその国民の質によって政治家の能力が決まる、もしその言葉が事実だとしたら、有権者たる私たちが強く賢くなることでより政治を良くすることが可能かもしれません。
極端かつ理想論の話をすれば、大久保利通のように私心なく官僚機構を整備し、西郷隆盛のように女性や立場の弱い人にもやさしい政治をおこない、島津斉彬のように新しい技術や考えをどんどん取り入れ、島津義弘や東郷平八郎や西郷従道のような頼もしい防人の軍をもった政治が出来る可能性もあるのです。
あまりに薩摩びいきなのでこの辺にしときますが(笑)別に薩摩だからという訳ではないのです。
もし、このいろは歌が優れたものであるのであれば、それをこの国のため。またそれぞれの地方のために役立てる、それがいいのではないかと思います。
私がこのいろは歌を日本、いや世界の偉人や歴史上の人物と絡めたのは、読者の関心を引く目的もありましたが、薩摩の枠を超えて世の中の役に立てばと考えてのことです。
長くなりましたが、私の目的はまずこうした考えを知ってもらうことです。
そして可能なら作者がへこまない程度に議論してもらいさらに優れた考えや指針がうまれて多くの人に良い影響を与えて欲しいということです。
島津義弘大河ドラマ実現のあかつきにはこの島津日新公いろは歌もベストセラーになってほしいと思います。
本当に長い文章にお付き合いいただいてお疲れさまでした。
読者の皆様に心から感謝申し上げます。
それと、この物語はまだまだ続きますので今後もよろしくお願いします。
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