また読ませて戴きます✨🤗✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。<(_ _)>😊
次もよろしくお願いします。🍀🍀🍀
弱小な立場で戦国を生き抜いてきた。なるほどです。
血気盛んな家来や家臣。それをなだめるのは大変でしたでしょうね。
作者からの返信
アメリッシュ様、島津日新斎いろは歌編最後までご愛読ありがとうございます。
私個人も最後の章がこのような内容であり、こうした形で締めることが出来たのはとても清々しい気分です。
これも島津日新斎とその言葉を伝えた人々のおかげだと感謝したいと思いました。
薩摩は大藩でしたが、特に徳川前、中期は幕府ににらまれ細心の注意を払う必要がある時代もありました。
その様な時期に伝説の島津の聖将の言葉が薩摩を生きながらえさせたとすればロマンすら感じます。
でもこれはロマンではなく歴史の事実なので、多くの人に知ってほしいと決意を新たにしました。
これから、誘致絶望編という完全オリジナルに突入します。
不安も大きいですが、これからも頑張りたいと思いますので、よかったらこれからも応援をよろしくお願いします。
それと、明智光秀を扱うコンテンツがさらに盛り上がることを願っています。
編集済
元就が「われ、天下を競望せず」と言い残したのは、遺言もしくは子孫への戒めのようですが……
軽く扱ってしまった長男隆元を亡くしたのが、大きかったんじゃないかなあと思ってます。
元就の策がことごとく決まったのは、隆元が大内家仕込みの内政や交易をきっちりやって、他所との約束も果たして「信用」を得ていたから。
隆元の死後、毛利領の収支は悪化し、加えて卑怯千万を繰り返してきた毛利家を他所がどう見るか、というと、まあ。
三本の矢が折れた日が、毛利家の限界だったのかも知れませんね。
作者からの返信
上野文様ご愛読と興味深いコメントありがとうございます。<(_ _)>😊正直毛利家のことはあまり詳しくないのでこうして補足していただけると私自身も他の読者の皆さんにも勉強になるのでとてもありがたく思います。
私たちは統一国家日本に生まれ育ち、それが当たり前の考えになっていますが、当時の人々の天下統一という概念は私たちよりはるか遠く、それほど現実的でも魅力的でもなかったのではと思います。テレビゲームと違い、自分と一族の命がかかっているので。
万事、計画的で慎重な元就がご指摘のような隆元の死で計画が狂ったとすればいろいろ合点がいきますね。
織田家や長宗我部家もそうですが、跡継ぎが不意になくなると相当なダメージになるようですので。
武田信玄もそうですが、毛利家もいっぱいいっぱいだったのかもしれませんね。
ありがとうございます。🍀😄