第225話 情けは人のためならず江戸幕府といろはの「ひ」
情けは人のためならず、この言葉の後に続く言葉をご存じでしょうか。
それは巡り巡って己がため、と続きます。
中国の歴代王朝の興亡を見ると、前の王朝が滅ぼされるとき、一族郎党が酷い目にあうのは珍しくない光景です。
かくいう日本でも、平家が滅亡したときや、鎌倉幕府の北条一族、豊臣家の滅亡など血なまぐさい光景は確かにありました。
実のところ穏やかな禅譲という場合を除き、政権交代とは過去の歴史をリセットする行為なので滅ぼされる側が無傷であるというのは奇跡的なことなのです。
さて、題名にある情けは人のためならずはまさに江戸幕府のためにある言葉のようです。
なぜそう言えるのか説明したいと思います。
江戸時代、検校という盲人の官職がありました。
その立場は尊ばれ、そのトップは15万石の大名と同じ権威と格式を持っていたそうです。
余談ですが、外様の大藩である薩摩藩のなかで最大の私領を有した都城島津家は4万石弱でした。
話を江戸幕府に戻しますが、盲人たちは幕府から手厚い保護と敬意を受けています。
また、仕事の点でも鍼灸師や会計や、平曲や三絃といった芸術分野でその才能を発揮してとても重宝されました。
こうして、障碍を持ちながらも彼らは高い地位と尊厳を保つ存在として江戸時代で生きていきました。
さて、ある時、新潟から盲人の貧しい百姓が江戸で行き倒れていました。
彼は運の良いことに幕府の奥医者(徳川将軍を診る御典医)である石坂宗哲に助けられました。
その後彼は鍼医となり出世の機会を掴みます。
さらには財テクで資産を築きその金を使って旗本男谷家の株を買いました。
(ちなみに検校の世界には沢山の身分制度があり、より高い身分をお金で買うことが常態化していたようです)
そして、時は流れ動乱の幕末の時代、彼の曽孫が歴史の舞台に登場します。
その名は「勝海舟」。
彼は幕臣として、列強に対抗するために航海技術を持つ人材を熱心に育て上げました。
その中には佐賀藩、薩摩藩、土佐藩などの後に倒幕の中心となる勢力の人間もおり、もしかしたらこうした人脈も後の交渉で影響したのではと個人的には考えます。
とにかく、彼は後の新政府側の人間たちと接触を持ち、他の幕臣たちには不可能であった信頼関係を築いていきました。
やがて、幕府滅亡の時が近づいてきました。
当時の新政府軍の空気は幕府の総大将徳川慶喜は死罪、幕府はお取り潰しというのが大半の意見でした。
その様な中で、勝海舟は新政府代表の西郷隆盛と会談します。
この会談で勝海舟は奇跡的ともいうべき条件で破滅を回避しました。
内容を簡単に言うと、慶喜は謹慎、徳川家も規模は縮小するが存続というものでした。
教科書ではさらりと言いますが、当時幕府側で新政府側に交渉できる、別の表現なら話を聞いてもらえる人物は勝海舟以外いませんでした。
あとの幕臣や大名では当時の新政府軍の勢いからして話どころか門前払いされていたでしょう。
勝海舟は新政府側からも恩義があり、信用され、話を聞くに値する人物とされたのです。
それは彼の出自が身分制度に囚われない態度を育み、新政府側から見ても話しの分かる人物だったと判断されたことが大きかったと思います。
さて、江戸幕府の盲人に対する情け深い行政が勝海舟という奇跡を生み、滅亡必死だった幕府を穏便に終了させたというのはとても清々しいと感じました。
弱い者に対する情けは時に大きく歴史を変え、穏便な解決を促す。
最初に戻りますが、いろはの「ひ」弱き者に優しさ、慈しみ恵む心を忘れないようにしたいですね。
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