第226話 山本五十六と上杉鷹山といろはの「も」
もろもろの 国や所の 政道は 人に先ずよく 教え習わせ
現代語訳
すべて、国や地域、組織などを治める方法は、まずそこに関係する人々に、やり方進め方や取り決め、規則などを徹底してよく教え、くり返し身につくようにしておくことです。
上記の現代語訳を見て、山本五十六の次の言葉を思い浮かべた方は少なくないと思います。
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
山本五十六、日本海軍の太平洋戦争での連合艦隊司令長官であり、太平洋における現場の最高指揮官です。
また、海外のゲームなどではチート級の評価を付けられるほどの有能な軍人として有名です。
山本五十六の言葉の方が表現が細かく、褒める点が加わっていますが内容はほぼ一緒です。
それと、このいろは歌にはありませんが島津日新斎は人の長所を褒める表現を多く残しています。
例えば、自分の孫4人にそれぞれの得意分野を格調高く指摘して、その言葉は今日まで伝わっています。
また、孫の島津義弘も自分の兵士たちにそれぞれの特質にそった励ましの言葉を残しています。
話はそれましたが、山本五十六に戻りましょう。
彼は海軍の首脳として大きな課題に取り組んでいました。
それは海戦を戦艦中心の戦いから新兵器の航空機主体の戦術に切り替えることです。
新兵器を使うわけですから、最初から熟練兵がいるわけではなくはじめは皆未経験者だったでしょう。
しかし、山本は猛特訓を行うことで熟練したパイロットを多数育成しました、
余談ですが、この訓練は鹿児島湾(錦江湾)で行われたそうです。
山本の上記の名言はこの航空戦を実現することを念頭に置いて述べたものと思われます。
彼が育てた航空隊は真珠湾攻撃やマレー沖海戦で見事大勝利をおさめ、海戦における戦艦中心の作戦の終焉と航空戦力による決戦の時代の幕開けとなりました。
話は戻りますが、山本の冒頭の言葉は上杉鷹山の言葉である「してみせて 言って聞かせて させてみる」から影響を受けているとされているそうです。
上杉鷹山とは江戸中期の大名で武士(今で言うなら公務員)が多すぎて財政が火の車となり、お取り潰し寸前まで危機が迫っていた米沢藩を立て直した名君です。
これも余談ですが、彼の父は日向の国高鍋藩(宮崎県)の大名秋月 種美(あきづき たねみつ[1] / たねみ)です。
彼は藩を救うために、改革を行います。
内容は大きく二つ、一つは産業振興、もう一つは無駄な経費の徹底削減です。
このうち、経費の徹底削減は当時の家老をはじめ多くの反対が起こりました。
彼は上杉家の人間ではなくよそからの養子だったことも考慮すればその反対はとても強かったに違いありません。
しかし、彼は自らが徹底した倹約を行うことで、彼らを納得させました。
例えば、着衣は木綿、食事は一汁一菜を基本とし、木綿の使用は羽織や袴だけでなく、下着にいたるまで着衣の全てに使用していました。
食事の内容は朝食に粥を2膳ほどと香の物(漬物)、昼食や夜食に千魚などの肴類を添えて、うどんやそばを食べていたそうです。
酒は飲まず、冬になると甘酒を一椀ずつ飲んでいた。結果的に倹約ができて健康にも良い粗衣粗食であったと伝えられています。
まさに「してみせて」をやって見せたのです。
島津いろは歌のいろはの「も」、山本五十六や上杉鷹山の例を見ても明らかなとおり、組織を大胆に改革するためにはまず分かりやすい手本を丁寧にくり返し教えることが重要だと学ぶことが出来ました。
最後に蛇足ですが、私のペンネームの一部である郭隗は、ことわざの「隗よりはじめよ」から来てるものですが、このことわざの一解釈にまず自分がやってみなさいと言う意味があるそうです。
あまり良い見本ではないかもしれませんが、皆様にとって何か参考になりましたら幸いです。
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