第216話 フランス軍といろはの「み」その2
「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ 」当時の連合国軍総司令官であったフェルディナン・フォッシュというフランスの陸軍軍人が第一次大戦終結後のベルサイユ条約に対して放った言葉とされています。
この条約から約20年後第二次世界大戦がヨーロッパで勃発します。
さて、「エラン・ヴィタール」による精神的必勝法からくる兵士たちの突撃戦術によって多大な被害を出したフランス軍。
その反省からか、今度は大規模な戦術変更を行いました。
具体的には国境沿いに「マジノ要塞」と呼ばれる近代的、機械化された大要塞を建設し、来ることを半ば確信していたドイツとの戦争に備えることにしました。
この要塞のコンセプトは明らかに「エラン・ヴィタール」とは真逆でした。
可能な限り、兵士に戦闘をさせない方法で戦争を行う、ある意味腰の引けた作戦でした。
もちろん、腰が引けようが臆病だろうが戦争は被害が少なく勝つことが最上ですから成功すれば拍手喝采だったでしょう。
しかし、結果はひどい物でした。
ドイツ軍はマジノ要塞を迂回して、アルデンヌの森という難所を突破して直接フランスの首都パリを目指しました。
マジノ要塞もそこにいる多くの兵士も何の役にも立ちませんでした。
そして、フランスはわずか1か月ほどで降伏、フランスのほとんどの地域がナチスドイツによって占領されました。
歴史にもしはありませんが、仮にここでフランス全軍、あるいは全国民がナチスについていた場合、フランスは敗戦国となり、歴史的に大きな汚点を残したことは間違いないでしょう。
「エラン・ヴィタール」を捨て、一見安全で安易な国防方針を取ったフランスはこの時点で亡国の憂き目を見ました。
しかし、「エラン・ヴィタール」はフランスから全く消え去ってはいなかったのです。
「シャルル ドゴール」フランスの国防次官兼陸軍次官に任命されたこの人物は祖国フランスが降伏した後、イギリスに脱出しレジスタンスを行うようになります。
彼は戦術的には近代的な電撃戦などを研究し、戦闘に積極的に取り入れたようですが、メンタルの面では「エラン・ヴィタール」を心に刻んでいたようです。
例えば彼の言葉に「どんなことがあっても、レジスタンス(抵抗)の灯は消えてはならないし、消えないだろう」とか「剣は折れた。しかし私は折れた剣の端を握って、あくまでも戦うであろう」といった正しいと思う道には、ただひたすら、一身を投げ出す気持ちで真剣に取りかかるがごとき、信念と捨て身の覚悟がありました。
やがて、彼の覚悟は身を結び、祖国フランスを取り返し、ドイツを打倒します。
そして彼はフランスの大統領となり、ナチスドイツによって落ちかけていたフランスの国際的威信を劇的に取り戻します。
さて、島津いろは歌に戻りますが、今まで学んだように文武両道や優れた者達から学ぶといった技術的な面の努力も行ったうえで捨て身の真剣さを行うこと、そうすれば天から助けがある、というのが教えの概要でした。
たしかに兵士の無意味な突撃を奨励した「エラン・ヴィタール」については賛否両論あるかもしれませんが、この捨て身の精神抜きで戦うことが結果的にどれだけ被害を増やすかについては今回のフランスの歴史で学ぶことができたのではないでしょうか。
個人的には今の日本も第二次大戦前のフランスと似たような考え方が蔓延しているようで心配しています。
現代日本の周りにナチスのような危険な民族主義国家がないことと、日本がそのような国から不意打ちを食らうことがないことを強く願っています。
難しいテーマでしたが皆様はどのように感じられたでしょうか。
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