第211話 劉邦と項羽といろはの「ゆ」

古代中国漢帝国の初代皇帝高祖(劉邦)、彼はもともとならず者のような存在であり、軍とは無縁の人間でした。

当時の法律に違反したということで、やむにやまれず反乱を起こしましたが、初めの頃は戦争に勝ったり、負けたりとあまり冴えませんでした。


やがて、戦争の得意な武将や豪傑たちは中華史上最強と言われる項羽によって殺されていきます。

そして、天下には劉邦と項羽の二人が天下の覇権を争う情勢となりました。


ちなみに項羽は若いころから伯父と共に戦に明け暮れ、彼の兵は彼の強さに心酔していました。

逆に彼の敵となった軍は彼の無敗の戦績に恐れおののいていました。


ある時、劉邦は50万を号する大軍を集めましたが、これに対して項羽は精鋭とはいえわずか3万の兵で挑みます。

結果は項羽の大勝、劉邦の軍は10万以上の被害を出して敗走します。


しかし、劉邦はしぶとく生き残ります。

彼は仲間を集めることによってふたたび大軍を集めました。

しかし、前の戦いのように例え大軍を擁しても、百戦錬磨の項羽に勝つ保証はどこにもありません。


彼は項羽と正面から戦うことは避け、持久戦をとることにしました。

項羽も一騎討ちをけしかけたり、人質となっていた劉邦の息子を殺すと脅したりして決戦を挑みますが、劉邦はその手には乗りませんでした。


やがて、時が過ぎ、劉邦軍も項羽軍も兵糧が無くなり戦意も喪失しかかったため、いったん和平を結ぶこととなりました。

しかし、この時劉邦はだまし討ちで項羽の軍を打ち破ります。


今の感覚だと「劉邦汚い、マジ汚い」という感じでドン引きされて項羽の味方が増えるかも知れません。

ですが、この時項羽は致命的な物を失いました。


それは不敗神話という、項羽の味方からしたら心の支え、敵から見たら絶対の恐怖心

でした。

それまで、項羽は敵に対して恐怖を与え、それがあるために敵達の動きは鈍くなっていました。


それが無くなったことで、劉邦軍は大軍の力を存分に発揮できるようになったのです。

さらに劉邦は最後のとどめを刺します。


項羽の同郷の者達を集め、項羽の故郷の歌を歌わせ、それを全軍にも歌わせることで項羽と彼の精鋭たちから「戦うという心」を奪いました。(四面楚歌)


周りを敵に囲まれた項羽とその兵士たちにとって、故郷こそ最後の心のよりどころであり、不敗神話の源泉でした。

その故郷から裏切られた(これは劉邦の策略ですが)絶望感はあの項羽さえ自害を選択させるインパクトがあったのです。


さて、武術や戦術の点で最高峰にあった項羽、兵士たちの心さえがっしりと掴んでいたこの名将はなぜ、劉邦のような武術も戦術も大きく劣る人物に負けたのか?

最後にこの戦いの後の劉邦と部下達の会話から答えを聞くことにしましょう。


劉邦が家臣たちと酒宴を行っていた時、劉邦は「皆、わしが天下を勝ち取り、項羽が敗れた理由を言ってみよ」と言った。


これに答えて高起と王陵が「陛下は傲慢で人を侮ります。これに対して項羽は仁慈で人を慈しみます。しかし陛下は功績があった者には惜しみなく領地を与え、天下の人々と利益を分かち合います。これに対して項羽は賢者を妬み、功績のある者に恩賞を与えようとしませんでした。これが天下を失った理由と存じます」と答えた。


劉邦は「貴公らは一を知って二を知らない。わしは張良のように策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することは出来ない。わしは蕭何のように民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることは出来ない。


わしは韓信のように軍を率いて戦いに勝つことは出来ない。

だが、わしはこの張良、蕭何、韓信という3人の英傑を見事に使いこなすことが出来た。

反対に項羽は范増1人すら使いこなすことが出来なかった。これが、わしが天下を勝ち取った理由だ」と答え、その答えに群臣は敬服した。


心配りというと、何か暖かい感じがしますが将としての心配りとはもっと深いものなのかもしれませんね。








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